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カション。スマホを落とした音で我に返った。ホームの隅に佇んだ彼女のたおやかな髪を、夏の夜風が生暖かく撫でる。
「電車、行っちゃいましたよ」
背中から声を掛けられた彼女はゆっくりと後ろを振り向く。声の主は青いベンチに座った男のようだ。夏も近いというのに黒いコートを羽織っている。伸び放題の髪の毛が何とも暑苦しい。妙な男は再び口を開く。
「いいんですか。終電ですよ、さっきの」
「……私の勝手でしょ」
そっぽを向いて投げやりに答える。
「目の前に電車がありながら終電逃す人、僕初めて見ましたもん」
頬杖をついて目を細め、ケラケラと笑う。そんな男にイライラしたのか乱暴な動作でスマホを拾うと、大股で改札へと向かう。慌てて男も立ち上がる。
「どこへ行くんです」
「決まってるじゃない、帰るのよ。ここにいても電車は来ないわけだし────」
付いてくる男を振り払おうと、足早に歩く。しかし男はあっという間に追いつき、横に並ぶ。
「─────何で付いてくるのよ」
「いやぁ、僕も終電を逃したもので」
困ったなぁ、と言うように目尻を下げる。その表情は貧弱そうな男に良く似合う。
「ベンチでぼんやりしてて終電を逃した人なんて初めて見たわ」
溜め息をつくと、彼女は歩調を緩めた。
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