Fのカケラ

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 ピンポーン  翌日。俺は、今度は開ける前にドア穴をしっかり覗く。  まぁ、もうあの女は来ないと思うけど。……外にはよく見る昨日とは違う女がいる。 「先生、大丈夫ですか」  編集担当さんがいることを確認して開けたら、開口一番に心配された。 「ん? ちゃんと原稿は進んでますよ」  俺は笑顔で担当さんを招き入れる。 「そうじゃなくて、落ちこんだりとか……精神が大丈夫ですか」 「心配していただき、ありがとうございます」  何事にも全力投球のこの担当さんの必死さが可愛らしく、俺は笑わざるをえない。 「もうなに笑ってるんですか。本当に心配してるんですからっ。  てか、あれは本当なんですか? 先生がおなべだというSNSで拡散されている噂は……」  彼女は直球で聞いてきた。こういう曲げれない性格も可愛らしい。  さて、彼女はどんな反応をしてくれるだろうか。 「そうだよ。残念だが、気持ち悪いおなべだよ。幻滅したでしょ?」 「いいえ」彼女は頭を振り、続ける。「素晴らしいです!」 「え?」  今や目を輝かしている、彼女のその反応は、とても面白い。トランスジェンダーに対してそんな目を向けてくれる人なんていただろうか。 「創作家としてとても素晴らしいです。いろいろな経験や考え方が創作には必要ですからね。あ、先生のエッセイ書いてみたらどうですか?」 「それよりも、あなたのキャラで話を作らせてくれないかな」 「えー。先生のミステリーで殺されるのは嫌ですよ」 「なんだか面白い話が書けそうなんだ」  そう、悪女を成敗する正義の少女の物語。書いてみたい……。ミステリーばかり書いている俺のテイストからはずれるけど。  数年後――。  ピンポーン  連載を続けている正義の少女の物語を書いていると、集中力を遮られるかのようにインターホンが鳴った。  いいところだったのに……。ん?  ドア穴を覗いてみたら、顔が確認できない。いや、よく見たら、下のほうに……子供? 「あの……お母さんに、困ったときにはこの人に頼りなさいって言われたんだけど……おじさんは僕のお父さんですか?」  ドアを開けると、突然現れた子供がおかしなことを口走り、俺の思考は一瞬止まり――、それから、数年前のことを思い出した。 「ねぇ、キミのお母さんの名前は?」 「……です」  やはり、出たのはあの女の名前だ。にしても、一人で来るとは…… 「お母さんは、どうしたの?」 「お母さんは天国いったの」 「そう。他に行くとこはないの? 親戚とか」  あの女は天国じゃなくて地獄だろと言いたくなるのをこらえる。 「ない」 「そっか……」  あの女が頼れる者はいなかったわけか。悲しい女だな。寂しくて俺につきまとっていたのかな。もう少し違う方法があったと思うのだけど……そのとばっちりを受ける子供はかわいそうだな。 「俺でよければ、お父さんになるよ」  いつかキミが秘密を――俺がFTMであることやお母さんが悪女のモデルだったことを知るとき、どうなるかわからないけど。  けど、俺はこの子が幸せな寂しくない人生を歩める手助けをしてあげたい。  ……ああ。もしかして、これが母性というものなのだろうか。俺の中に多少のFのカケラが残っているのだろうか。 
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