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夏休みの前半は、まだ連絡が取れていた。
中盤になり、何の応答もなくなった。
何かあったに違いない。お父さんのDVは、ずっと続いていたんだから。
私と素子は仲がよかったが、そこにはあえて触れなかった。デリケートな問題だったし、話を聞いてあげたところで、私は助けてあげられない。ウチの家庭は、素子からすれば普通だし、嫌味に思われたりでもしたら、もしも嫌われてしまったら。そう考えて、言い出すことが出来なかった。
素子も何も言わなかった。もしかしたら、家の外の世界でだけは、ごく普通の女子高生でいたいんだと、そう思っていたかもしれない。本当はどうだったのか、今はもう、分からない。
私は素子の家を知らない。父親を見られるのが嫌だと言って、絶対に教えてくれなかった。だから、様子を見に行くことも、無闇に警察を呼ぶことも、出来なかった。
無事を祈る気持ちはあったが、きっと大丈夫なんだろう。返信出来ないだけだろう、と、楽観視している自分もいた。
お葬式は、なかったらしい。
始業式の日に先生が、集会が終わったあとになって、三年生だけ体育館に留まらせた。
増谷素子が自殺した。
遺書はなかったが目撃者がいて、事故や他殺の可能性はなくなった。
詳しい場所は言えないが、飛び降り自殺を図ったようだ。
遺体には、殴られた痕や、性的暴行を加えられた名残なんかが、たくさんあった。
学校でのいじめを苦に、というわけではなさそうだ。現に彼女の父親が、事情聴取を受けている。
もしも、家庭での悩みがあったら、勇気を出して打ち明けてほしい。
先生達は、力になる。
少なくとも、我々は、君達生徒の味方だから──。
「丸山、仲がよかったよね。夏休み中、連絡取ってなかったの?」
「チサキ、増谷さんのこと、何か知ってたんじゃないの?」
「誰かに相談してたとしたら、丸山だよな。確か同じ中学なんだろ」
「あんなに仲よしだったのに、助けてあげなかったんだ」
「警察に言うとか、学校に相談するとか、方法はいくらでもあったのに」
「うわ、ちーちゃん、見捨てたの」
「実はいじめてたんじゃない?」
「見て見ぬふりって、一番やっちゃいけないことだよ。かわいそうに」
「友達だったら普通助ける。家にだって行けばいいし」
「ていうか増谷、実の父親に抱かれてたんだ」
「親がレイプとか怖すぎる」
「清楚な感じの子だったのにね」
「ちょっと、イメージ変わるよね」
「身近でこんなことが起きるなんて、気持ち悪い」
「嫌だな、進路に響かなきゃいいけど」
「学校の評判落ちたら、マズイよ」
「ニュースにならないことを祈る。こっちの将来に影響するし」
私は黙って席を立つ。
素子の机に置かれた花瓶を、そこに勝手に差された花を。私は皆のいる前で、わし掴んで廊下に出た。
思いきり床に叩き付けて粉々にして、そのまま家に帰って寝た。
それからは、絵を描いていない。
就職先は無事決まったが、私は卒業までの間、ずっと一人で過ごしていた。
絵は描けない。素子の応援の言葉が全部、呪いみたいに重かった。
就職しても、会社の人と親しくなる、という契約は、成立させずに日々を過ごした。
死は、とても身近にある。
その可能性に気付かされるのも、察知させられてしまうのも、迷惑だ。
だって、すごく怖いことだ。
もう人の心の傷なんて、見たくない。
何が正義で何が悪かなんてこと、先生達は最後まで、生徒に教えてくれなかった。
皆、口先と噂だけ。
皆、自分のことだけだ。
私も自分のことだけか。
だって素子の遺言を、今の私は守っていない。
どう生きるのが正しいだろう。
平気で他人を傷付けたり。
事情も知らずに評論ぶったり。
綺麗事しか飾らない。
こんな死臭に満ちた世界で、私はどう、生きていけばいいのだろう。
空を飛んで地面に叩き付けられるという進路しか、選択の余地がなかった増谷素子という十八歳の人間を、皆忘れていくというのに。
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