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1. 1人目と2人目
エストリーリア王国の王妃が再婚の相手を探している。
小さな肖像画とともにそんな内容の手紙が発送されたのは、ゆるい傾斜畑に小さなぶどうの花咲きはじめる春も盛りの頃だった。
宛先は国内の貴族およびエストリーリア王国周辺の王室の未婚男性。
王妃の名前はアンナアウローラ・エストリーリア。
2年前に24歳で早逝した前国王アンジェロ・エストリーリアの妻で、今は国王代行として国政を任される未亡人だ。
議会を構成する年嵩の貴族たちをよくまとめ、国民にも慕われる王妃であると評判は上々だ。
肖像画に描かれた姿は、結婚前から周辺諸国でも名高い美貌。
ミルク色の肌に薔薇色の頬と唇。
それを縁取る蜂蜜色の豊かな髪の毛。
瞳は髪の毛より少し濃い金茶色。
それらをもっとも輝かせる純白のレースを纏った姿は見た者を皆虜にする美しさだ。
しかし実情は、かなり厳しい。
予算がなくて仕立て直したのは80年は昔のかびくさいローブ。
エストリーリア王国の王妃が再婚の相手を探している。
小さな肖像画とともにそんな内容の手紙が発送されたのは、ゆるい傾斜畑に小さなぶどうの花咲きはじめる春も盛りの頃だった。
宛先は国内の貴族およびエストリーリア王国周辺の王室の未婚男性。
王妃の名前はアンナアウローラ・エストリーリア。
2年前に24歳で早逝した前国王アンジェロ・エストリーリアの妻で、今は国王代行として国政を任される未亡人だ。
議会を構成する年嵩の貴族たちをよくまとめ、国民にも慕われる王妃であると評判は上々だ。
肖像画に描かれた姿は、結婚前から周辺諸国でも名高い美貌。
ミルク色の肌に薔薇色の頬と唇。
それを縁取る蜂蜜色の豊かな髪の毛。
瞳は髪の毛より少し濃い金茶色。
それらをもっとも輝かせる純白のレースを纏った姿は見た者を皆虜にする美しさだ。
しかし実情は、かなり厳しい。
予算がなくて仕立て直したのは80年は昔のかびくさいローブ。
頭上の王冠は、200年以上も前の王妃の遺産でよく言えば歴史的、本当のところは古臭いデザインで、真珠もダイヤもいくつも欠けているのを、画家に書き足してもらった。
ワイン以外にはこれといった産業のない貧乏王国の王妃。
アンナアウローラ・エストリーリア、24歳。
お金持ちの王族か貴族と再婚して、このエストリーリア王国を立て直したい。
そんな切実な思いが伝わってくるような手紙だった。
「王妃がお見合いってどういうこと?! 」
ことの起こりは3カ月前にさかのぼる。
国内のワイン畑の視察のために、アンナアウローラが数日間城を空けていた間に、議会の老貴族達に勝手に再婚を決議され、見合いまで決められていたのだ。
帰城したアンナアウローラは馬車から降りるなり、自室に戻ることも許されず執務室に引っ張り込まれた。
数名の老獪な貴族達にとり囲まれ、議会で王妃様の再婚が決まった、ついてはこれからお見合いを準備するので、その中から国王を選んでほしい。
そう、口々に頼み込まれたのだった。
「笑いごとじゃないわ、エットーレ。わたしのいない間に勝手に決められたのよ。あのじじい共。どうして今更再婚なんて」
ようやく解放されて自室に戻ったアンナアウローラは、幼馴染のエットーレ相手にまくしたてた。
「どうしてって、もう兄貴が亡くなって2年だし、世継ぎが必要だろ。議会の決定は極めて妥当だ。不在を狙われたのはお気の毒だけどね」
何故かシャツを脱ぎ艶やかな肩をあらわにした姿でワインを飲むエットーレは、アンナに笑顔を向けた。
「2年って、まだ2年じゃない。アンジェロが亡くなったなんて、まだ実感ないわ。それにわたしが再婚するよりあなたが結婚して王位を継いだほうがいいのじゃなくて?ところであなた、なんでわたしの部屋にいるの? しかも裸で。そのワインは今回の視察でわたしがお土産にいただいたものよ。勝手に飲まないで」
「一緒にお土産のワインを飲みたかったから、先に部屋に入って待っていたんだよ。裸なのはシャツにワインの染みをつけると洗濯係のリマがにらむから。彼女の仕事を増やしたくないからね」
エットーレは一番の最初の質問だけ無視して、もう一つのグラスにワインを注いだ。
「洗濯係? ああ、最近入った娘ね。馬丁のフィリポの従妹よね。もう目をつけたの、それとも目をつけられたのかしら、遊び人で放蕩王子のエットーレ殿下」
アンナは帽子とスカーフを外し、エットーレの向かいのソファに座った。
旅行用のローブは旅行から帰ったばかりでほこりっぽいが、はたけば部屋が汚れるので、最低限ローブのすそを整えるだけにした。
「真面目は兄貴の役目で、僕は不真面目担当だったろ」
「アンジェロのことを思い出のように語らないで」
エットーレは応えず、グラスをアンナアウローラへ差し出した。
アンナも黙って受け取った。
「いい香りね。サントの畑はここ数年いいワインを作り続けている。もう少し生産量を増やせればいいのだけど」
「ここの後継ぎは量を増やすことには価値を感じていないよ。自分が飲む分だけ作りたいって感じだな。父親は真面目だけどな」
「よく知ってるわね。たしかに息子はそう言っていたわ、家族がおいしく飲める分だけ作られればいい。知り合い?」
「彼らだっていつもワインを作っているわけじゃない。たまには飲み屋で酒を飲んだりもする」
「そこにあなたがまざって朝までばか騒ぎする訳ね」
「そういうこと」
「楽しそうでなによりだわ。こちらは今から大変だいうのに」
「ぼくは国王でも王妃でもないからね」
「あなたが望めばいつでもなれるのよ」
「遠慮しておくよ」
最初の相手はすぐに決まった。
トゥーリオ・スピネッリ。
スピネッリはエストリーリア王国西の辺境の子爵家で、彼はそこの三男だ。
アンナの一つ年上で、手足が細長く見上げるほど背が高い。
王妃の見合いが正式に宣布されると早速エストリーリア城へやってきて、意気揚々とアンナとの対面に挑んだ。
アンナの方はと言えば、まだ見合いという行事について理解も納得もしきれておらず、知人を迎えるように会ったのだった。
トゥーリオは喪服の母親を伴っていた。
もう8年も前に夫を亡くしてるということだが、その後も喪服を脱ぐことをせず、この日もアンナに対して黒服で申し訳ないと、震える声で丁寧に詫びを入れた。
どうやら一人で応対は、相手に非礼であったかと思いあたった。
もっとも母親は早々に退席を願い城の外に出ていった。
親戚が近くにいるということでしばらくそちらに滞在するのだそうだ。
気を取り直したアンナはトゥーリオを中庭に連れ出した。
果樹園と季節の花々に囲まれた彫刻の美しい噴水はアンナのお気に入りだった。
思いつきで出たのはいいが、日差しが思ったより強かったため、侍女に急いで日傘を取りに行かせた。
日傘をさしてみると虫食いの穴がいくつか見つかりアンナは小さく溜息をついた。
「子爵家では領地の経営をまかされているとか」
アンナは何の気なしに投げかけると、トゥーリオは急に目を輝かせて答えた。
「そうなのです。もちろん当主は長兄なのですが、ワインや農作物の領地の収入に関してはわたしが中心となって取り仕切っています。なんといいますが、わたしはお金の計算が兄たちよりよくできるようで、それについては亡くなった父ゆずりだと母も言っておりまして、わたしが経営に携わるようになってから3年で領地の収入は1.8倍にも増えました」
「それは素晴らしいですね」
スピネッリ子爵家の領地は肥沃とは言えない畑と広大とはいえない葡萄畑が中心で、あとは自給自足程度の農作物。
お世辞にも裕福とはいえない家だが。
その後も自分の経営の才覚を披露し続け、とうとうエストリーリア城の経営まで口を出す始末だった。
葡萄畑の作付け面積、収穫量、品質、保存状態、はては女中や料理番の人数まで。
「王妃様」
「なんでしょう」
「差し出がましいようですが、一つ提案があるのです」
「こんな機会も滅多にありません。是非お聞かせください」
「先程お話した通り、わたしは有能な経理家のようなのです。もしも、あなた様の夫になりましたらエストリーリア城、いえ、エストリーリア王国の収入を2倍いや何倍にも増やすことができるでしょう。国庫が元手となればその儲けは一子爵家のものとは段違い。必ずや大きな利益を得ることができるでしょう!」
次第に大きくなっていく声、身振り、手振り。
ぎらぎらと野心に輝く目。
不覚にもアンナは一瞬目がくらんだ。
国庫が2倍。
穴の開いた日傘なんてすぐにでも買い替えることができる。
しかし、前国王アンジェロとともに国政や経営を学んだアンナはすぐに気が付いた。
彼はアンナアウローラと再婚したいのではなく、王妃と結婚して国王になり国庫を元手に王国の経営を行いたいのだ。
そしてそれこそが王妃が再婚する意味なのだ。
彼の野心を笑うことなどできない。
自分は自分が愛する人と再婚するのではなく、この王国と国民を守っていくために再婚するのだ。
17代国王ベルナルドの息子たちである2歳上のアンジェロ、同い年のエットーレはものごころついたときから一緒に育った幼なじみだった。
アンナの両親はベルナルドの弟で、エストリーリア城のすぐそばのフィオーレ領に住んでいたので、兄弟とはほぼ毎日遊ぶ仲だった。
3人の仲良しというよりは、3人で1人のこどものようだと城の中では言われていた。
城でエットーレを探すなら、アンナの行きそうな葡萄畑や最上階のベランダを探せ。そうすれば一緒にアンジェロもそこにいる。
アンジェロが川に釣りに行くと言えば、エットーレは畑で釣りの餌になる虫を集め、アンナはバケツを持って3人で列をなして行くという具合だった。
蔵書庫や古い肖像画のある物置はたいてい3人がほこりまみれで探検していたし、夕方に姿を探すなら食事の用意中で大忙しの台所のかまどの前だ。
遊び疲れたこどもたちが毛布にくるまって椅子を並べて火の前で眠っている。
勉強も遊びも王位継承者としての公務も一緒だった。
15歳になるとアンナはアンジェロと婚約した。
17歳のアンジェロは聡明で輝くばかりに美しかった。
国民からの人気も絶大で、次期国王はベルナルド王の弟であるドナテッロ侯爵ではなくアンジェロ殿下にとの声が次第に大きくなっていった時期だった。
一緒にいることが当たり前だったアンジェロとアンナは、そのままごく自然に結婚したのだった。
だが、この結婚は違う。
アンナ自身の愛のためではなく、国のために最も適した人物を選ばなくてはならないのだ。
「彼には悪いことをしたわ」
夜遊びに出かけてしまったエットーレに一人残されて夕食を取っていたアンナアウローラはフォークを置いて深いため息をついた。
ダイニングには執事のアルフレッドだけが王妃に仕えていた。
アルフレッドは先々代の国王からエストリーリア家に仕える執事だ。
人員をぎりぎりまで削減した城の中では、アンナの私事から公務まで広く受け持っている。
アンナアウローラの周りでは一番年長で、一番頼れる大人である。
「どうされました。今日のスピネッリ様とのお見合いでなにか不都合でもおありでしたか」
「違うのよ、アルフレッド。わたしがお見合いをよくわかっていなかっただけ。彼の方がよっぽどこの事態を理解していたのだわ」
アンナは両腕を上にあげて思い切り伸びをした。
袖にあおられてろうそくの火が音を立てて揺れた。
アルフレッドはあいた皿を下げ、目で「なにか別のものを」と問いかけると、アンナは作りたてのカッテージチーズとナッツを指さした。
グラスには再びワインが注がれ、アンナはため息の合間に飲みナッツをつまんだ。
「わたしの夫を探すのではなく、よい国王を探せということなのね」
「そんなことはありません。アンナアウローラ様が幸せになれるお方を選ぶのが一番です」
「それはそうよ。わたしだって幸せになりたくないわけじゃない。ただ、その優先順位はあまり高くないというだけ」
アルフレッドはすぐに空になったグラスに少なめにワインを注いだ。
「今回の彼はよい国王候補になりますか」
「国王というより、そうね本人が望めば財務大臣付の役職につけてもいいかもしれないわ」
「国王には不向きと」
「当たり前よ。国のことをお財布のように見る人なんてとんでもない!」
翌朝、アンナは仕事用の飾り気のないローブに着替えて執務室に赴いたが、ドアを開ける前にアルフレッドに頼んだ。
「いつでもいいからエストリーリア侯爵に執務室へ来てほしいと伝えて」
「ドナテッロ様ですね。午前中はたいてい奥様のところにいらっしゃいますので、午後からなら大丈夫かと」
「そうね。ドナテッラ様は長く患っていらっしゃるわ。わたしもまたお見舞いにいかなくては」
エストリーリア侯爵ドナテッロは元国王ベルナルドの弟で議会の重鎮である。
40代後半で身長はエットーレよりも高く前髪の半分が白髪で、その奥から覗く目は射貫かれるように鋭く、他人から怖がれることが多い人物だ。
しかし王族の者にとっては妻ドナテッラ・エストリーリア侯爵夫人を深く愛し、その行動はときとして下僕のようにかしづくような態度とすらとることを知っている。
現在も病床の妻を毎日見舞い、その愛は変わらない。
そんな姿を知っているのでアンナにとっては恐ろしい、というより愛情が深すぎて怖人という認識なのである。
予想通り昼食後にドナテッロはアンナの執務室にやってきた。
深々としたお辞儀の後、正面からはアンナの顔を見ず白い前髪の間から覗き込むように伺う。
身長の高いドナテッロにそんな姿勢を取られると、威嚇されているようにも思える。
「忙しいところ申し訳ないわ、エストリーリア侯爵。今日はお願いがあってきてもらったのだけれど」
5代前の国王から使い続けられている古くて大きすぎる執務椅子から、アンナはにっこりと笑って言った。
足は床に着かず、いつもローブのなかでぷらぷらさせている。
「なんでございましょうか。王妃さま」
「先日のお見合いのことなのだけど、先方はお母さまを連れて来られていたのよ。こちらとしてはオトモダチのように一緒におしゃべりするくらいに思っていたので、正直びっくりしてしまってね。わたし一人で対応したのは失礼だったかと思ったのよ」
「スピネッリ家は辺境なので、母上を物見遊山でエストリーリア城に連れてきたかっただけかと思います」
「そういえなくもないけど、未来の国王陛下を選ぶのに、わたし一人ではやはり対面上も安全上も問題あると思うの。で、エストリーリア侯爵、あなたに今後のお見合いで同席をお願いしたいと思うのだけど」
前かがみで拝聴していたドナテッロは、返答しなかった。
「なにか不都合? わたしの両親はすでに亡くなっているし、いとこのエットーレはまだ未婚で領地も持たない。元国王の弟のあなたが一番適任と思うのだけど」
ドナテッロはまだ黙ったままだった。
アンナも黙ったまま返答を待った。
十分に人を焦らせておいて、話を有利に進めるのがドナテッロのいつものやりかただった。
「やはり自分では不適格化かと」
ようやく口を開いた。
前髪の間からアンナをにらむように見る。
「どうして?」
「自分は、その、人を怖がらせる容姿なので、そのような席には最も不似合いかと存じます」
「まあ!」
アンナは思わず声に出して笑った。
「そんなことを気にしていたのね。そうね、わたし達は小さいころからあなたの姿から勝手にことを怖い人だと思っておにごっこの鬼にしたててあなたにちょっかいをかけていたものだったわ」
「覚えております」
「わかって相手してくれていたのね。だからこそ相手に、なんというか、なめられないためにもあなたがいいと思ったのだけど」
白い前髪の中の目が一瞬伏せられた。
「それでも私は辞退申し上げます。他に適任の者がいくらでもいましょう」
「誰がいいかしら。伯母上たちは城にこもって出てきそうにないし。他にはアルフレッドしかいないわ」
「それでよいかと」
「本当? あなた、わたしの再婚を真面目に考えてくれないのね」
固い顔のままのドナテッロをアンナはからかった。
親族が皆亡くなってしまったアンナにとって、ドナテッロは頼れる唯一の叔父なのだ。
表情の変わらないドナテッロを見て、アンナは溜息をついた。
「わかった。あなたがそういう態度をとるときは、決して態度を変えないのよね。しかたないわ。お見合いは公の行事としてとらえていたけど、議会の人が立ち会わないのであれば、今後はわたしの私的なこととして行うことにするわ。そうすると議会はこの件について口出しすることができなくなるけれど、それでいいかしら?」
そもそもこの見合いを提案したのはエストリーリア侯爵自身と聞いている。
何か意図があってのこととは思うが、それはまだアンナにはわからない。
だからさぐりをいれてやろうという気持ちもあったが、頑なエストリーリア侯爵には通用しなかった。
王妃の再婚なのだからある程度議会に主導権を握られるのは仕方がないとは思うが、自分の結婚に他人が口を挟むのも気分が悪い。
公の、特に華やかな場に出ることを嫌うドナテッロに見合いの立ち会いを依頼することで、逆に断らせて主導権を自分に取り戻そうとしたのだった。
「仰せにままに」
ドナテッロは深くお辞儀をした。
アンナはその夜の夕食時にアルフレッドにお見合いの立ち会いを依頼した。
3日ぶりに一緒に夕食をとっていたエットーレ共々想像もしていない展開で驚くしかなかった。
「一体ドナテッロ様はなにをお考えなのでしょう?!」
いつもの抑制のきいた声からは想像できない大声になった。
アルフレッドは急いで咳ばらいをして取り繕った。
「あなたに相手を見定めてほしいということではないのよ。ただいつも通り側にいて給仕してほしいだけ。エットーレは使えないし、エストリーリア侯爵に断られたら、実際あとはあなたしかいないのよ」
「悪かったね、領地も持たないろくでなしで」
エットーレはグラスの中身をあおった。
「ドナテッラさまがお元気なら、後見していただけるのに。本当に人材不足なのだわ、わが国は」
「わたくしでいいのでしたら最大限勤めさせていただきますが。やはりお相手は慎重にお選びにならないと」
「本当に。エットーレ。あなたもはやくお相手を決めて、わたしを安心させてね」
「ぼくはぼくのやりかたで進めさせてもらうよ。幸い国王でも王妃でもない」
エットーレのいつもの口癖だ。
「わたしは今、王妃で国王の代理なのよ」
アンナもグラスを干した。
「でも、まあ、好きにすればいいわ」
次の見合い相手はすぐに決まった。
マリオス王国の王室に入った先先代の国王のいとこのまたいとこ。
「もうエストリーリアの家系図からも外れてしまっているけれど、一応国王の血筋ではあるのね」
あまりに遠い親戚のため、アンナは等身を数えるのをやめた。
「すでに外国の王室に入られていらっしゃいますので、エストリーリアの血筋はあまり考えなくてよいかと」
「そうね。遠ーーーい親戚ってことでいいのかしらね。もし彼と婚姻ということになったら、その国とも姻戚になるということだわ。マリオス王国はどんな国だったかしら。正直言ってエストリーリアから随分と離れていて貿易もほとんどないし」
「こういったことはエストリーリア侯爵がお詳しいかと」
「今は話辛いところね」
「ではエットーレ様では」
昼食に合わせて起きてきたエットーレに食卓でマリオス王国について教えてもらうことになった。
「マリオス王国はエストリーリアのずっと東。国境は接していないし海岸のない国だから、港が玄関のエストリーリアとはあまり接点がない」
「それくらいはさすがにわかるわ」
「では続いて。主要産業は林業、農業。マリオス王国産の木材といえば質が良くてちょっと有名だよ。ああ、その関係で家具職人も多く、いい家具が作られている」
「素敵。うちの執務室の机と椅子を新調したいわ」
「彼とはそういう話をすればいいと思うよ」
「そういう?」
「結婚相手を探しながら、相手とよい取引をできるようにするということ。家具が欲しいなら、こちらのワインを条件にしてみるとか」
「お見合いで外交ということ?」
「そういうこと」
「そうね、いい考えだと思うわ。実際初対面の人となにをしゃべっていいかわからないもの。エットーレ、本当にあなたは頭がいいわ。これで不良殿下でなければいつでも王座を譲るのに。ああ、早くズボンを履きなさい。いつまでもシャツ一枚だと風邪をひくわよ」
「このあとまた寝るからこれでいいんだ」
昼食を食べ終えると、エットーレは言ったとおり自室に戻り、アンナは執務へと戻った。
2週間後、マリオス王国の見合い相手エヴェノス・メルクーリがやってきた。
細やかな意匠を施した4頭立ての馬車は重厚で美しいものだった。
降りてきた男性はマリオス王国風のガウンではなく、エストリーリアの衣装だった。
髪の毛はエストリーリアに多い明るい金色ではなく、艶のある黒色だ。
両国の特徴を身に着けた王子は感じのよい笑顔でアンナアウローラに挨拶をした。
「いつかお目にかかりたいと思っていましたが、このような機会が設けられるまで静置してしまい申し訳ありませんでした」
「とんでもありません。国を隔ててしまえば会うこともままならないもの。マリオス王国でご立派になられて素晴らしいことです」
そう言うアンナをエヴェノス王子は少し遠くから眺めるような目をした。
「どうかされました?」
「いいえ、送られてきた肖像画は、絵の具が乾ききっていなかったため丁度顔の部分がこすれてしまってわからなかったのです。大変お美しくて、本当にここまで来たかいがあったと感じ行っておりました」
「まあ、それは申し訳ありません。すぐに新しいものを……というのも変かしら?」
「ご本人にお目にかかれたことがなによりです」
遠回しに肖像画を拒否されたような気もするが、彼のおだやかな物腰に免じて気にしないことにした。
どちらも付き人は執事のみで、ぶどう畑に面したテラスで対面した。
あとで聞けば他に付き人を5人連れてきていたのだが、アンナの方が執事のみと聞いたので、メルクーリ側も他の者は馬車に残してきたのだとか。
無駄に気を使わせてしまって申し訳なく思うと同時に気遣いにこっそり感謝した。
テラスのテーブルに王室用のワインとチーズと果物と焼き菓子を並べてゆっくりとおしゃべりを、のつもりだったが2人ともお互いの興味は結婚より国の特産物や技術・産業の方だった。
「やあ、やはり国王陛下亡き後1人で国を取り仕切っておられるだけある」
「いつも年上の貴族相手にこのような政治やお金のはなしばかりしておりますので、いざこのような席についても……お恥ずかしい限りです」
「わたしはメルクーリの王族とはいえ本流からは離れていて国政には携わっておらず、領地の仕事ばかりですが大変参考になりました。さて、いったいわたしはなにをしにきたのやら」
「全くです。二国間の意見交換の場になってしまいました」
エヴェノスは話が簡潔で理路整然としており、とても聞きやすかった。
結婚の相手候補としてというより、仕事の話し相手の方が向きそうだ。
実際向き合って話しているとわかる。
彼の関心もまたアンナアウローラ本人にはないことが。
「どうやらわたしは男性にもてないことがわかったわ」
エヴェノス・メルクーリがエストリーリアでの予定を終え国に帰った日の夕食、ようやくアンナはエヴェノスのことを口にした。
「エヴェノス王子となにかおありでしたか?」
ワインを注ぎながらアルフレッドは尋ねた。
「逆よ。なにも、なんにもなかったの。彼はわたしに興味がなかったの、トゥーリオ・スピネッリもね。ねえ、エットーレ。わたしはそんなに魅力がないのかしら?」
数日ぶりに同じ食卓についていたエットーレは一瞬言葉を失った。
「魅力がないって、そんなことは……」
エットーレは助けを求めるように執事を見たが、アルフレッドはなにも見なかったように給仕を続けた。
エットーレが幼い頃から知るアンナアウローラは、国民皆から賞賛される麗しい容姿、朗らかであまり深刻に考えすぎない軽やかな性格。
そして亡くなった兄の妻。
エットーレは口ごもったままなにも言えなかった。
「スピネッリもあれからなにも言ってよこさないし。そもそもエストリーリア国王の座に魅力がない? こんな貧乏な国の国王なんていやということかしら、しかも未亡人付きだし」
エットーレは大げさに咳ばらいをしてから告げた。
「アンナ。まだ2人に一度切り会ったばかりだ、いきなり決まるわけないだろ。それとも誰でもいいの?」
「そんなわけないわ! そうね、まだ2人と会っただけだもの。じっくりいかなきゃね」
あっさり切り替えたアンナを見て、エットーレは小さく息をついた。
「それはそうと、もう一つの目的の方はどうだった?」
「とりあえずマリオスには王室用ワインを5ケースお土産に持たせたわ。そうしたらエヴェノス王子が執務室の机と椅子を作ってくださるって! ちゃんとわたしの足が床に着く高さにしてくれるのですって!!」
「それはよかった。これからもうまくいくといいな」
実際、2度のお見合いで有能な経理家を発掘でき、机と椅子を入手できるのだからはじまりとしては上々というべきだろう。
未来の国王陛下と出会えるかどうかはまだわからないが、少なくともこのお見合いはエストリーリア王国を有益な方向に向かわせるだろう。
次に会う人のことを、アンナアウローラは少し楽しみに感じることができたのだった。
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