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仕事が終わり、家に帰って母と一緒にキッチン立った。今夜はカレーだ。人参をたん、たんとリズミカルに切っていると横でレタスを洗っている母が私を見た。
「奈々、付き合ってる人がいるんだったら、そろそろ連れて来なさいよ」
私は今年で二十八歳になる。
結婚適齢期の娘を持つ母は私の先を心配しているのだろう。
「いるけど……」
いるけど、高校の時のトラウマ……ではないが、簡単に家に連れて来るもの微妙だ。結婚するのならまだしも、付き合って一年しか経っていない彼氏を連れて来るのは破局の可能性が浮上しそうで、なんとなくその気になれない。
「お父さんの事、気にしてるの?」
「お父さんの事って言うか…」
むしろ父の顔の怖さと笑顔の無さしか気にしてはいないが、母は見透かしたように言った。
「いくらお父さんの顔が怖くて、笑わなくても、奈々の事を真剣に考えてくれる人だったら、大丈夫よ」
本当にそうかなぁ、私は曖昧に笑ってごまかした。
*
母が家に連れて来いと言った彼氏の慎とカフェでのんびりランチをしていると、彼は真剣な顔をして言った。
「そろそろ、付き合って一年になるし、奈々の実家に挨拶に行きたいんだけど」
「えぇぇ? まだいいよ」
父の鬼の形相が浮かび、私は首を振った。
慎は引かなかった。
「おれは真面目に奈々と付き合ってる。お互いもう三十前だよ。結婚を前提に付き合ってるんだったら、こう言う所はちゃんとしといた方がいいと思う」
確かに真剣に付き合ってはいるけど、正直、慎が父にビビって逃げ出してしまわないか、とそっちが気になる。一年間喧嘩しつつも大きな事はなく順調に付き合ってきた。
結婚話が別れ話になってしまうのは嫌だった。
「でも、そんなに急がなくてもいいんじゃない? まだ一年だよ」
「最近は交際0日で電撃結婚もあるから大丈夫だよ」
本当に大丈夫かな、正直、ニコリともしない父の怖い顔を見ると一気に大丈夫じゃなくなる気がするけれど。
私が返事を渋っていると、慎はまあ、親御さんの予定を聞いといて、と話をまとめた。
*
慎の話を両親にするとあれよあれよと話が進み、家に慎が挨拶に来た。
「奈々さんとお付き合いさせてもらっています、小野田慎と言います。娘さんを僕にください」
え?
なんと慎は玄関先で、予定にはなかったまさかのプロポーズを両親の前でやってのけた。
「娘はやらん」
父は低い声で言って、顔は赤鬼になっていた。
「突然来て、いきなりこんな事を言ってすみません。でも、僕は真剣です」
「だめだ」
「お願いします!」
私が事の展開についていけず、あたふたしていると母が助け舟を出してくれた。
「とりあえず、慎くん、だったかな? 玄関で立ち話もなんだから、部屋に入って話をしましょう」
客間で赤鬼になった父とまさかの結婚を言い出した彼氏に、私は激しく動揺していた。
隣に座った、慎の袖を引き、彼にこっそりと聞く。
「ねぇ、今日はただの挨拶だけじゃなかったの?」
「おれは元々そのつもりだったけど」
「いや、私はそのつもりじゃなかったよ?」
「何をごちゃごちゃ言ってるんだ」
父は大声を上げて、慎を睨んだ。
ああ、この顔ではもうダメだ、結婚どころか逃げ出してしまうだろう、と横目で慎を見ると彼は、今後の相談です、と全く怯まずに返事をした。
その様子を見た母は大声で笑った。
「慎くんいいねぇ。お父さんの事怖くないの?」
「……顔は怖いです!」
慎の正直さに私も笑ってしまった。
身内ならまだしも初対面の、しかも彼女の父の顔を怖いなどと言えるメンタルの強さ。思えば付き合い始めも、慎は臆せず自分の気持ちを伝えてきた。真面目な正直者だ。好きだから、付き合う、付き合うから結婚と彼の頭の中はいたってシンプルにできているみたいだ。
「お前は奈々の事を幸せにできるのか?」
父は低く怒ったような声を出した。
「はい、頑張ります」
「頑張るんじゃない、幸せにすると約束しろ!」
父は鬼の形相で慎に迫った。
私はハラハラしながら、その様子を見守った。
「はい、約束します!」
「本当か? じゃあ、今度から夕食を食べに来い! それから、お前の人となりを見て判断する」
「分かりました!」
えぇぇぇ?
私の意見そっちのけで、にこりとも笑わない鬼の顔をした父親と単細胞すぎる彼氏のやりとりで今後の予定は決まってしまった。
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