トイレ

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 前のレーンの競争が次々と終わって、自分の番が徐々に近づいてくるあいだ、ヒートアップする歓声を暑苦しく思っていた、土屋定は、さして緊張することはなかった。自分の力量を本来の力量のままで繰り出していくだけなのに、何を緊張することがあるか、と、超が付くほど冷めていた。  とうとう土屋定の属する最終レーンが走る番だ。もう運動会なのではないかというほど、最高潮に盛り上がっているクラスメイト達を、土屋定は、うるさいやつらだな、と思っていた。  白線から出ないように、爪先をゴールの方へ尖らせて、スタンディングスタートの体勢をとった。  「ねえねえ、土屋くん。」  右隣の列に同じようにスタンバイしていた、森口有茶(もりぐち ありさ)が、突然話し掛けてきた。あんまり声を大きく出して注意されるのが嫌だからか、ひそひそ声であった。  「ハードル跳ぶときさ、右足で跳ぶんだっけ、左足だっけ。」  利き脚によるのではないだろうか、と土屋定は思った。  「..しらね。」  答えるのが面倒だったから、知らないふりをした。というのも、森口有茶はクラスではけっこうな目立つキャラクターで、そのため愛嬌もあるのだろうけれど、土屋定は、森口有茶と特別深く話したことはなかった。知っていることと言えば、自身の肌が褐色であることに嘆いていること、足の速い女子ほか二人と『グランドーナツ同盟』というグループを結成していること、いつもジーンズパンツを履いていること、くらいである。  ヨーイ...ドン!  空気鉄砲は使わず、合図は先生の口頭と旗振りで行われた。  退屈な時間だと考えていた土屋定でも、一応真剣にハードル走をプレイする。タイムなんてどうだっていいけれど、なんとなくハードルはひとつも倒したくないと、待ち時間を過ごすうちに、可笑しなプライドが土屋定に芽生えていた。  カシャンッという音を聞いて、止まった。引っ掛かった感覚はなかったけれど、倒してしまったんだな、とがっかりした。『グランドーナツ』が走り、過ぎ行く。タイムで女子に負けることなんて、そんなことは別にどうだっていい。引っ掛かったのが嫌だった。  土屋定は、自分でもびっくりしたが、このとき泣きたくなった。泣くのを堪えて、振り向いてみる。倒れたハードルさえ拝むことができれば、俯瞰的になることができて、流れそうになる涙も引っ込むはず。
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