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死とは、案外呆気ないものだった。
黒服の葬列に混じって、僕も祭壇へと歩を進めた。
聞こえてくるのは淡々としたお経。すすり泣きと、軋むような革靴の音。耳障りなこの音は、手入れが行き届いていない証拠だ。偉そうに言ってはいるが、これは入れ知恵である。
今は亡き、彼女からの。
彼女はよく笑う奴だった。
はにかむ度に、頬骨近くに出来る小さなえくぼが特徴だった。
家が近い為、度々一緒に通学したり、またある時は自転車の後ろに飛び乗ってきて「このまま学校連れてってよ!」なんて、ふてぶてしい事を言う奴だった。
いつ使うんだそれはというような知識を持っていて、雑学にとんだ面白い奴だったとは思う。それが勉強の方に役立っていたかは、言及しないけど。
あとは、なんだろうか。
学校帰り一緒になったらコンビニで奢りジャンケンをしたっけ。夏はアイスで、冬は肉まん縛り。
なんとなく、感傷に浸ってみたが思っていたよりも色々と思い出が溢れてきた。
不思議だ。
当たり前だと思っていた彼女とのくだらない日々はもうやってこないだなんて。
実感があまりにもわかない。
…彼女の顔を見れば、これが覆らない現実という事を理解する事が出来るのだろうか。
そんな考えを巡らせている内に、僕は先頭に立っていた。よく見知った彼女の両親に、頭を下げる。
人は、あんな顔が出来るものなのだろうか。
朗らかで優しげな雰囲気のご両親の面影は、消え失せていた。人は絶望を味わうと、こうも変化するのか。これ以上は筆舌しがたいものがあった。とても見れたものでは無い。僕直ぐに視線を逸らしてしまった。
鼓動が早まっていく。嫌な高まり方だった。
気づけば、僕の周りの音は消え去っていた。代わりにあるのは、沈黙。それから、嫌な汗。それは手のひらをジワジワと浸食し、握った数珠が滑り落ちそうになる。ギリギリで食い止めるも、それでも汗が止まる事は無かった。
一歩、また一歩と進んだ先で、棺の中の彼女と対面した。
なんて安らかな顔なんだろう。
こんなの眠っているだけじゃないか。
車との交通事故と聞いていたが、外傷などは全く見受けられず、いつもの彼女がそこにいた。
身構えていただけに、思わず呆気にとられる。死体とは、こんなに”普通”なのだろうか。むしろ死に化粧をしているせいか、肌艶もよく感じる。
僕は、この寝顔をよく知っていた。
あいつは、必ず数学で眠るので僕がその都度、起こしていた。そして起こすと毎回言う言葉があった。
「あー、死んだように眠ったわ」
硬直する。
これは壮大なドッキリでは無いか?もしかしたら、飛び起きて「嘘だよ!元気!脈は常にBPM82!そこそこ早め!」と笑うんじゃ無いか。
「眠ってるだけよ、きっと」
そんな浅い思慮を、1人の呟きが停止させた。
その掠れた声の主は彼女の母親だった。
誰に向けたものでもないのだろう。視線は虚空へと向けられている。
涙はとうに枯れ果てたのだろう。真っ赤に腫れた瞼が痛々しい。僕の視線に気づいたのか、いつものように笑おうとして不自然になっている。その肩を、彼女の父が震える手で抱いていた。
そんな傷ついた2人の瞳に映り込んだ僕はなんとも言えない表情をしていた。
涙は相変わらず出なかった。
彼女を見たら、このぐちゃぐちゃになった思いをぶち壊すほどの涙が溢れるのではないかと思っていたのに。
僕は血も涙もない奴だった。
僕は早々と焼香を済ませて、両親に一礼すると足早にその場を去った。
一刻も早く、立ち去りたかった。
思えば別れの言葉も、彼女に対するメッセージさえも、何も告げる事はなかった薄情者だ。
後から別で葬儀に訪れていた両親に叱られた。
そりゃあんな去り方じゃ罵られても仕方ない。
説教は甘んじて受け入れた。
その日の夜は散々だった。説教のダメージ、葬儀での傷心。体は重いのに、頭の働きが緩む事は無いために眠れず、ただひたすらに彼女との日々がフラッシュバックした。
でもそれでも、涙が出る事はなかった。涙が悲しみの一番の証拠だとは思っていない。それでも、泣けない僕を僕自身は心の中で罵倒し、軽蔑し続けた。
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