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4
感傷に浸ってる間に夜が明けた。
雲ひとつない青空が窓の外に広がっていた。
私はと言うと、暗雲に脅かされている。
昨夜恐ろしく体調を崩し、結局寝たきりを余儀なくされた。
なるほど。余命を宣告されたのだから、やはりこの体は相当悪かったのだろう。
ここに来て、この状態になるとは思いもしなかった。
意外と呆気ないもんだ。
いよいよ、死期が迫っている。と実感した。その証拠に、チューブの本数は倍に増やされ、常に呼吸器をつけなくてはならなくなった。
そしてようやくというか、なんというか重篤患者らしい姿へと成り下がった次第だ。
タイムリミットまであと2日だというのに、ずいぶん前のこととは言え、あれから先生とは一対一で話していない。
...違うな、この言い方は語弊がある。私が先生との話を一方的に拒んでいるだけだ。
何度も病室に入ろうとした。今回はノックの音がちゃんと聞こえていた。勿論無視した。
でも先生は入ろうとしなかった。いつもなら不躾に入室しては、くだらないやりとりをすると言うのに。
あの人の事だ。余命が宣告される以前の事とは言え、気にしているのだろう。
変に希望を抱かせてしまった、などと責任を感じているに違いない。
あれはあれで良かったのだ。希望を抱く事への刺激と、好奇心を抱けたし。
無駄な願望は、もう二度としないという教訓にもなった上に、少なくとも、先生の言動と行動は私の願望の2つを満たしてくれた。
私のこの態度は、追い出してしまった事への罪悪感と、先生へのちょっとした意地悪なのだ。あと、少しの怒り。
「貴方...いい加減仲直りしたら?本当に先生が居なかったらどうなって居たことか...」
看護師さんが言うには、痺れを切らして入室した先生が、私が個室の床で倒れているのを発見した。らしい。丁度見回りが終わり、ナースコールを鳴らさない限り誰も訪れないようなタイミングだったようで、本当に危なかったとの事。
「遅かれ早かれ、もうそろ私死ぬし。それが早まるかその通りになるかの違いっしょ。長引く事は絶対にないし。」
「またそうやって...皮肉屋にも程があるわよ。夢を抱きなさい少しくらい」
「夢を抱かせてくれないのは病院でしょ。」
「身もふたもない事言わないの。いいじゃない、夢を見るのは自由だし、少しぐらい縋ってみなさい。楽しいわよ。」
こなれた手つきで点滴を変えつつ、看護師さんは私の軽口に付き合ってくれた。
大人の女性特有の余裕のある口調と言い方に、少しだけ八つ当たりが入ってしまう。
「私の気持ちなんてわからないのに、無責任だなぁ。」
「わからないわ、でもね。少なくともそんな死にたがり發言してる人に、ネガティブなこと言わないわよ。大人なんだから」
「大人の女性ねぇ、だから老けこむの?」
「そうよ、どんどん歳を重ねて味わってが出て、綺麗になるの。...そんだけ悪態つけるなら、まだまだ大丈夫ね」
ふふっと微笑んで、看護師さんは私の頭を撫でた。
暖かくて優しい手つきに、毒気を失う。そして、八つ当たってしまった申し訳なさで言葉が出てこなくなってしまった。
同じ土俵には乗ってくれないどころか、軽くいなされ、頭を撫でられている。
子供をあやす的確と言わざるを得ない行動に、言葉を返せない。完敗だ。
「...仲直りしたいとは思ってるよ、私も。でも、先生最近ここに来ないから。」
「...そう。お忙しいのよ、先生。仕事できるから」
「仕事あっても毎回来てくれたよ。あの人は」
「あら、あなた仕事に妬いてるの?可愛いとこあるのね」
「うっさいな。習慣付いてたことが突然なくなると不安になるでしょ。習慣連載の漫画が休載になったら少なからずモヤモヤするのと同じ」
「私漫画読まないのよね」
一刀両断された気分だった。
先生だったらもっと含みのある言い方で返答してくれる。あの人はいつだって、同じ土俵際で言葉を交わしてくれた。
あの日だって先生は、一度だって諦めなさいとは言わなかった。
私の口から溢れ出るキラキラと輝く思考に対し、深くうなづき続けてくれた。
...私は本当に甘やかされて居たのだろう、と思うと胸が痛んだ。
希望、夢を抱く事は自由。本当にその通りだ。
看護師さん、先生。あなた方の言う通りです。
でも、叶わない思いをずっと抱き続けるのは私にとっては苦しい。
その苦しくて蓋をした感情を、先生はこじ開けた。
実際、夢を口にした瞬間は筆舌しがたいくらいの思いで胸がいっぱいになった。叶う気がした。叶えられる気がしたから。
この入院生活の中で、唯一誰かを傷つけずに抱けた爽快感がそこにはあったのだ。
いやまぁ、結果的に自分を傷つける事にはなってるから唯一ではないんだけども、
いかん。また自虐向いた事を考えた。
動けなくなってから、益々重い事ばかり考えてしまう。
暗く冷たい波が押し寄せて、そのまま飲み込まれるような感覚に意識が混濁しそうになるのだ。
なんとも思わなかった死が、足元をゆっくりゆっくりと這ってきている気がする。
隣り合わせだったはずなのに、ずいぶん急な間の詰め方だ。だから嫌われるんだよ、死は。そんな風に思っていないと益々闇に持っていかれそうな自分が、少し怖い。
「怖い、か」
そんな事。思ったこともなかった。
この1週間で、随分と感傷的な少女になったらしい。
嫌な汗が垂れた。ほんの少し、心拍が駆け足になる。
自分の口調が、少しずつ途切れ途切れになっているのを感じる。
「ねえ、...死んだらどうなるかな」
「それは、私にもわからないわ」
「だよね。」
素っ気なくも、逃げも隠れもしない直球なその返答が何故か一番優しく感じて思わず笑ってしまった。そりゃ生きてる人にはわからない。私だって今は生きているのだから。
だが、想像するだけ無駄な事でも人は考える事をやめられないのだと思う。
「持論なんだけど、死んだら無くなると思うんだ。溶けて、水みたいに透明になる。思考も出来ないし、感情を抱く事もなくなって、ただそこにあるだけの存在になる。永遠の時間の中を漂って_____」
と、いつのまにか言葉が飛び出した。止まらない。ペラペラと口を注いで出る。
すると、彼女はパンッと手を叩いた。
室内に響く乾いた音と、驚いた私の息を呑む音。
目を丸くする私にグイッと顔を近づけて彼女は大声で言った。
「あのねぇ、思考は自由だけど、私。看護師なのよね。命を助けるのが仕事なのよ。だからそんな辛気臭い事言ってないでもっと楽しい話しましょうよ。そんなこと言うなんて、意外だけど、少なくとも貴方が生に執着してるのはよくわかったわ。前みたいに諦めのいい子供みたいな気取った感じが無くてさっぱりした感じする。でもね。だからと言って、そんなお先真っ暗な事ばかり考えてても仕方ないのよ。死んだらどうなるかなんて誰も知らないわ。死人に口なしなんだから。生きてる間は生きる事に集中してなさいよ。もったいないわよ。2日もあるんだから。」
今度は横暴な手つきでぐしゃぐしゃと私の頭を撫でると、彼女は部屋から出て言った。
何だか凄い早口で、凄いポジティブな押し売りをされたけどそれもそうだろう。
あの人も、私の事を看病してくれてそこそこ長い付き合いだ。最期の最期は元気でいてほしいのだろう。...気を遣わせてしまっている。
でもあれ看護師としてはどうなんだ、と思うと思わず笑みが溢れた。
死んだらどうなるのか。そんなの死んだ人にしかわからない。
「こんな事考えるなんて、私、すごく、怖がってるじゃん」
約2週間前の私はどこに行ってしまったんだろうか。
こざっぱりとしたあの頃の私は、いつの間にかどこかへ旅立ってしまったようだ。
「_____あーあ」
怖いなぁ。
ポツリと零れ落ちた言葉は、宙に浮かんでどこへともなく消えていく。
このまま何も出来ず、ただ時を待つのみの自分の無力さを呪い、そして唯一の願望を果たす事が不可能な自らの運命を嘆き、初めて死への恐怖に泣いたのだった。
そして皮肉にも。
そんな思いを抱く原因となった先生と話したくなってしまった自分がいた。
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