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プロローグ
「君の寿命は、残り2週間だ」
余命宣告なんて、ドラマとか小説の世界だと思っていた。
でもそれは、案外とても身近なモノらしい。
2月4日の立春とされる、今日の良き日に。
長い長い冬の小休止が訪れたまさに本日。
私は、自分自身の蝋燭の火が燃え尽きるまでの残り時間を、知ったのだった。
あまり悲しくはなかった。悲しくはなかった、というか。
そもそもの感情が死んでしまっているかのような。
どちらかというと、はいそうですか。と言った感じのヤケにこざっぱりとした返答をしてしまい、医師を驚かせてしまうくらいだった。
まぁともかくとして、私はもうじき死ぬのだ。
そのことに変わりはない。曲げようのない事実なのだ。
この10年間で、何度も先生方は代わった。そして全員が全員、これまで私に親身になって尽くしてくれた。でも。それでも治らないものはやっぱり治らないらしい。
これまで出会ってきた先生や看護師さんには非常に感謝している。頭が上がらない思いだ。だから困らせたくなかったが故に、「美人薄命ですかね、はっはっは。」と、全く笑えない冗談をかましてしまった。我ながらあまりにもつまらないし、ブラックジョークにもほどがあると思う。少し反省した。...後悔はしてないけど。
「はてさて。どうしたもんかなぁ、本当に」
病室にていつものように独り言を吐く。文字通り独り言だ。
なぜならここは、この病棟でもっとも病の重い患者が入室する個室だからだ。
この個室から生還したものは、恐らくいない。
だから入室は、ほぼ死を意味する。
病名は聞いてもよくわからなかったし、長ったらしかったから覚えていない。
でもどうやら日に日に、ゆっくりとしたスピードで衰弱していく病らしい。
その証拠に私の行動時間も、行動範囲も以前と比べて随分減った。
疲労が年々溜まっていく気がするのは、何となく自分的に気づいていた。蓄積したそれによって、体が蝕まれて、侵される。今じゃ生活の殆どをベッドの上で過ごしている。
「その割に、もう10年近くここで生きてるって、わたしすごいわ」
...などと軽口を言ってみたり。
実際、先生方も驚いては居た。私には言わなかったし悟られないようにしていたけれど、もう長いこと此処で生活していれば、嫌でも耳に入ってくるものだ。
この病であんなに生存しているのは、あの子くらいのものだろう。とか。
それを聞いた時、あぁ。つまりそういうことか。と何かを諦めたような感覚に陥った。
もう随分昔の話。私が、いつか此処から出られる日が来ると信じていた頃。
心も体も素直で真っ直ぐで幼かった頃の話だ。
今じゃ現実直視の自虐家に成り下がってしまったけれど。
それは仕方ない事だ。
何故なら、成長とは何かを捨てて、何かを得る事なのだから。
さて。そんな感傷に浸っていても仕方がない。
余生をどのように使い切るか、考えなくてはならないのだ。
正直な話、此処から出られないのは承知している為、出来る事、やりたい事はもうほぼコンプリートしている。
例えば霊安室に忍び込むとか。旧病棟に忍び込むとか。小児科に一晩泊まりに行くとか。
殆ど子供のいたずらのような事柄ばかりだけど、私としては十分楽しめるイベントだった。その分怒られた回数は尋常ではなかったが、その時の私は今のように充分捻くれていたので「だって私はここから出られないんだから。」などと、大人が何も言葉を返せなくなるような言い訳を吐き捨てては、1人でゲラゲラと笑っていた。
今思えば害悪そのものだけれど、子供だから許してほしい。
大人になってしまった今は、考えも無しにそんなこと出来ないけれど。
「そういえば父さんや母さんは、どうしているかな、」
思い出したかのように、こんな事を言う自分にほとほと呆れる。
でもしばらく両親にあっていないのだから、しょうがない。などと都合よく解釈してみる。
もともと若くはない年齢ではあったが、それでも、もう既に半年ほど会えていない。
まぁ、私自身もそんなに頻繁に来なくていい、生活が忙しいだろうから。とは告げている。私のそんな言い草に、父は力なく微笑みながら、表情とは裏腹に拳を膝の上に置いていた。母は私を抱きしめながら、明るく前向きな言葉をかけてくれた。そして、声を立てずに病室の外で泣いていた。
お互い貴方に何もしてあげられない、という無力さ故の行動だったのだろう。
でも私にとっては、とても力になる存在で、勿体無いくらいの優しい家族だった。
最期くらい、家族と過ごしてもいいかもしれない。と思ったが、流石に2人をここにずっと閉じ込めるのは些か気がひけるし、迷惑をかけてまで幸せな終わりを迎えたいとは思えなかった。
...なんだか私は、自分の死を非常に他人事のように考えている。
実感がわかないのだろうか。いや、まぁ実際湧いてはいない。
「突然、あんた死にますよーって言われてもなぁ。びびるわ」
言葉が軽すぎて自分でも若干気持ちが悪い。が、それは自分の死がそう遠くはない未来に、必ずやって来るという思いと常に隣り合わせだったからだろう。
人より何倍も何倍も、死が近くにいた。それは光と陰のように。
私は明日死んでもおかしくないような、そんな不安定な人間だったのだ。
腕につながれた透明のチューブは私の生命線。
左手の人差し指に付けているリングは私の心拍を安定させるし。
首に付けられた鉄の首輪は私の呼吸を助けてくれる。
逆になんで生きてんだ、と首をかしげるレベルだ。
「...って考えると、やっぱり私は長生きしたと思うよ、本当に」
細くて折れそうな体躯、虚ろな瞳、いつから切っていないかわからない黒い髪。
亡霊のように不確かな屍のような私でも、しっかりと地面を踏みしめて今を生きているのだ。これはすごい事だ。やるじゃん神様。と言った具合に。
「さーて、あと2週間か。決めらんないなぁ。どうしよっかなー。」
そして振り出しに戻る。
窓の外はいつのまにか青から橙色に変化していた。
走馬灯めいた思い出に浸っていたら、時間を無駄にした気分になった。
命の蝋燭に明確な期限が付くとなると、人はケチになるらしい。
物思いにふける事さえも、何だかもったいなく感じた。
...思えば、以前もこんな事を話した記憶がある。いつだったか。
余命を宣告される前だったから、...いや、わからん。いつだ。
あれは確か、「とりあえず月にでも行こっかな」なんて独り言を言っていた時だった気がする。
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