僕が八月に帰る場所

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「なんですって?あなた、本気なの?」 「まぁまぁ、母さん」父さんはツヤのいいマグロの刺身を一切れ頬張りながら、母さんをなだめた。「公平も自分でわかってるのさ。どうにかしなきゃいけない、って。そのきっかけになるかもしれないんだから、気持ちよく送り出してやろう」  窓の外で、バイクのエンジン音がけたたましく通り過ぎる。しばしの静寂の後、母さんがため息をひとつついた。 「……まぁ、公平がそれでいいのなら。私だって、無闇に反対してるわけじゃないのよ。ただ、心配なだけ」 「わかってるさ」  父さんが笑う。僕は二人の会話を聞きながら、もうすでに心を押さえつけていた重しが、少しだけ軽くなったような気すらしていた。近頃感じていなかった、ワクワクした気持ちが湧き上がってきているのだ。 「田舎はいいぞ。父さんも、お前について行きたいくらいだよ」  そう言いながら、残ったビールを勢いよく飲み干す父さんを見て、僕は思った。  ああ。自分も早く大人になりたい、と。  揺れる電車の窓から差し込む西日を浴びながら、期待に胸を膨らませて身を乗り出す。窓の外一面に広がる新緑を、僕は目を細めながら眺めていた。  母さんが僕を送っていくと言って聞かなかったが、父さんが「一人で電車の長旅するのも良いものさ」、なんて言ってそれを制止してくれた。僕は、父さんの意見に賛成だった。心細さを感じるよりも、日常から飛び出したような開放感の方が、はるかに勝っていたのだ。  二両しかない電車のスピードがゆっくりになる。ひざを乗せていた座席から降りると、僕は運転席まで駆けて行って進行方向に目をやった。両側に天高く伸びた林を切り裂くように、電車が進んでいく。しばらくその様子を眺めていると、駅のホームらしきものが見えてきた。そこには屋根すらなく、都会じゃ考えられないほど簡素で、とてつもなく小さな駅だった。  プシュー、と音を立てて電車が止まる。到着だ。いよいよ、僕の夏休みの大冒険が始まる。 「公平が最後に来たのはまだ三歳の頃だからなぁ。覚えてないだろう?」  白い歯を見せながら、じいちゃんが機嫌良さ気にハンドルを切る。 「うん。でも、なんとなく初めてじゃないような感じはする」  全開になった車の窓からは、清々しい草木の匂いが流れ込む。目一杯空気を吸い込みながら見上げると、木々の間から木漏れ日がキラキラと輝いていた。 「それにしても、随分荷物が多いな」  後部座席をアゴで指しながらじいちゃんが言う。 「着替えに、宿題に、釣竿に、画材道具。僕、こんなに大荷物で家を出たの初めてだよ」
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