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大学の講義が早く終わり、浮間舟渡駅に降り立つ。時刻は既に夕方だった。明日は土曜日で予定もない。意外にも夏休み明けの講義は呆気なかった。 ロータリーの脇を抜けて黒瀬は住宅街に入った。一度しか行ったことのない場所までの道のりを、何故こうもしっかりと覚えているのだろう。 角を曲がってあの自動販売機が見えた。道の真ん中で一度立ち止まり、深呼吸をした。この時間帯から行ったら橘は驚くだろうか。あれから1週間経っても彼女を思い出して自慰行為に耽っているのだから、そう簡単に忘れられるはずがなかった。 意を決してあの石の板を踏みしめようと、一軒家の狭間に顔を覗かせた。 砂利も、石畳もない泥の道が真っ直ぐ続いている。その真ん中に立った札には売り物件と書かれていた。 みそ萩の暖簾、行燈、明かりすら消えている。黒瀬はその場に立ち尽くして身動きが取れなかった。もう厨房に飾られた酒瓶も、管理者名がかけられたプレートも、明るいカウンターも、橘涼子もいない。その事実が空き家となった一軒家から矢のように放たれて全身を突き刺していく。突如背後から声がかかるまで、黒瀬は力を失っていた。 「兄ちゃん。久しぶりだな。」 黒瀬の後ろに立っていたのは、あの夜而今を自分にプレゼントしてくれたふくよかな男性だった。禿げ上がった頭皮を撫でてぼてっとした腹をさすっている。黒瀬の後方に目をやって、鞄から缶ビールを2本取り出した。 「飲むか。」
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