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浮間舟渡駅前の小さなロータリーを抜けると、大きな浮間公園に辿り着く。野球場やテニスコート、さらには簡易的なプールまで所有しており、公園の面積約40%を占める浮間ヶ池の畔には北欧を思わせる風車が風に吹かれていた。
夜7時過ぎともなると家路を急ぐサラリーマンがちらほら見受けられる。携帯を抜くことなく、黒瀬は歩き始めた。
周辺のファストフード店は制覇済み、そう再認識すると浮間に根を張る居酒屋が浮いて見えた。通常よりもぐんとスピードを落として歩きながら眺める。労働を終えた男性たちの喧騒が薄い扉の向こうからよく聞こえた。
アルコールは人の本性を現す、なんてことをよく言うものだが、黒瀬は違った見方をしていた。あくまでも酒というものは人を傷つけるもので、それを了承するから人は簡単に溺れていく。アルコールを処理する肝臓が一時的に衰え、血液に忍び込んだアルコールたちは大脳に駆け抜ける。そこで大脳を麻痺させてしまうために酔う。ごくごくと喉という道を駆け抜けて肝臓という関所を掻い潜り、脳という都に辿り着くのだ。
ならば関所がしっかりと働けるだけのアルコールたちを流してやればいい。銀行の窓口が100人を捌けないのなら人数を規制する警備員が現れる。簡単な理屈だった。
住宅街の隙間で光る長細い箱に小銭を入れ、タバコを買う。ピースは通常タール数が高いと思われがちだが、様々な種類がある。手にとってポケットにしまい、ふと視線を上げた時だった。
(なんだ、あれ…。)
一軒家に挟まれた薄暗い路地の先で、赤い行燈が光っている。足元には砂利がはみ出てコンクリートに粒を並べていた。小さな石の板が点々と奥まで続いている。なんだか狐につままれたようだった。
首を左右へ振るように奥を睨みながら歩を進めていく。もしかしたら妖怪が住んでいるかもしれない。そう思わせるほど向こうの闇は遠く、短い道のりが高速道路ほどの長さに思えた。
「みそ萩…?」
明るい障子の上にかかった暖簾に書いてある文字を読み、黒瀬は眉をひそめた。中からは微かに笑い声が聞こえる。数歩引いてみそ萩を見上げた。一軒家の1階を改装しているのだろう。度々テレビで紹介される小料理屋に住宅街の真ん中に位置すると説明しているが、ここは文字通り真ん中だった。周囲を一軒家で固められ、まるで身動きが取れないように見えてしまう。黒瀬は小学生の夏休みを思い出していた。背の低い山に出掛けては無造作に置かれた木々の集まりを秘密基地と称し、レジャーシートやお菓子、ゲームなどを持ち寄っては時間を共有していたあの空間。ここはとても似ている。タバコ、金、暇を持ち寄って酒や料理を摘みながら時間を共有していくのだ。自然と口元が緩んでしまう。障子に手をかけるまで、黒瀬は脳内に架空の店主を思い浮かべていた。頑固で寡黙なら黙々と飲むことができるし、気さくに話しかけてくれるなら途切れることなく話して酒に酔える。どんな初老の男性が迎えてくれるのだろうか。期待を胸に膨らませてゆっくりと扉を開いた。
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