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やまない雨選手権
1、やまない雨選手権
「さあ、やってきました!全国帰宅部による、やまない雨選手権!
実況は私、雨戸濡羽(あまどぬれは)が務めさせていただきます!」
全国高校帰宅部の雨の時期の祭典「やまない雨選手権」。
この大会は全国の帰宅部がライブ中継で帰宅を競う大会であり、雨が一日中やまない日が連日続く年のみ開催される特殊な大会である。
参加者は複数人、個人限らずエントリーする事が出来る。
しかし、この「やまない雨選手権」は、普段の帰宅選手権とは違い、家に帰る速さは重視されていない。
重視されるのは「雨の日にいかにして楽しく帰る」かという事である。
それがライブ中継を通して、高校生視聴者全体の投票と審査員の審査によって、
どれが一番楽しそうな雨の日の帰宅なのかを決定するのである。
学校昇降口というスタートラインに立つ城戸(きと)高校2年の帰山戻郎(かえりやまもどろう)は城戸高校唯一の帰宅部員である。
自称進学校の城戸高校は文武両道を掲げ、生徒は全員部活に入る事を義務付けている。
しかし、戻郎は家に帰って時代劇の再放送を見たいが為に、この部活を自分で作ったのだった。
そして、現在でも一刻も早く、家に帰りたいと切に願っている生粋の帰宅者である。
そんな中、彼のスマホに一つの電話がかかってきた。
相手は中学時代、友人であり、そして同じ生粋の帰宅者であった留守飛鳥(とめもりあすか)であった。
戻郎はその電話に出る。
「お?戻郎。お前も今回の選手権に出るんだな。」
「…ああ。」
「1人らしいが…。まあ、がんばれよー。」
そう嘲笑混じりの言葉を残し、飛鳥は電話を切った。
中学時代、彼は戻郎と共に帰宅を愛する純朴な青年であった。
その為、友人ではあったが、学校が終わると互いに素早く帰宅する意思だけは共にする帰宅者であった。
しかし、進む高校が別れて、高校デビューを果たした彼は最早、以前の様な純粋な帰宅者ではなくなっていた。
戻郎が風の噂で聞いた所、彼は帰宅部に所属したが、学校に暫く残ってから家に帰る事が多くなったらしい。
戻郎はかつて、彼と帰宅した翌日にテレビでやっていた再放送時代劇の話をしていた頃の事を頭に思い浮かべていた。
しかし、そんな戻郎の思い出を選手権運営のライブドローンから聞こえる実況者の声が引き裂く。
「さあ、そろそろ時間が差し迫ってきました!参加者の皆様はスタート地点に立ってください!」
司会の濡羽の甲高い声で我に返った戻郎はスタートラインである校門に立つ。
「では…、やまない雨選手権開催まで5秒前からカウントダウンいたします!
5、4、3、2、1…、GO!HOME!皆さん!家に帰ってください!」
2、波乱の雨の日
開始の合図と共に全国の帰宅者が傘を持って校門から出始める。
この選手権の参加者の多くは、複数人で参加する事が多い。
「友人と帰る」。この構図を作るだけで楽しさを演出出来ると考える選手が多いからだ。
今大会も数多くのチームが友人と帰るというシチュエーションを早速作り始めた。
しかし、そんな中でも個人参戦者や少人数の参戦者は何か作戦を練って参加している事が多い。
「おーっと!張戸高校2年、日暮祁利伊(けりい)選手!これはなんだー!?」
濡羽の興奮で高まった実況が視聴者と審査委員の目を1人の帰宅者に惹きつけた。
祁利伊は選手権開始と共に傘を閉じ、雨が降りしきる中を歩き出した。
「トゥットゥルトゥートゥトゥ♪トゥットゥルトゥートゥトゥ…、アーイムシーンギンガレイン♪」
祁利伊はなんとその場で歌を口ずさみながら踊りだしたのであった。
「こ、これはー!雨の日にわざと雨に打たれて家に帰るというミュージカル映画にありそうなシチュエーションだー!」
濡羽の解説と共に、祁利伊は様々なダンスを鮮やかに繰り出した。
それもその筈である。祁利伊は元々ダンス部員であり、自分のダンスの腕前を披露する丁度いい場として今回の選手権に参加したのであった。
「いやー、素晴らしいダンスの腕ですね…。これは見惚れ…。うわー!!!あれはなんだー!!」
濡羽は次の信じられない帰宅者に注目した。
その帰宅者の女子は急に制服を脱ぎだしたかと思ったら、その下にはV字の競泳用水着を着ていた。
そして、雨の中を歩き出したのである。
雨に打たれる彼女は目を度々閉じて、雨を肌に感じている様子を見せた。
「なんという事だー!叡智高校1年、多目見惚(おおめみとれ)選手、まるでシャワーシーンの状態を演出したド直球エロで来たー!楽しいと思わせるのではなく、男性視聴者を別な意味で楽しませようする魂胆かー!」
その他にも、シャンプーとボディソープと雨で体を洗いながら帰宅する者、水たまりに落ちたら死んだ認定するゲームをしながら帰るチームなど、様々な選手の帰宅模様が映し出された。
しかし、空中に大きく映し出されたディスプレイに映るそれらの選手に対し、飛鳥は冷めた目線を注いでいた。
彼らは、余りにも派手だったり活力に溢れた帰宅のデメリットを知っていたのだ。
3、帰宅者に必要な事
「おーっと!これはー!」
濡羽の大きな声が再び響く。
ディスプレイに映し出されたのは、飛鳥と女子の姿であった。
2人はまだ帰宅に入っていなく、その間には若干の距離があり、そして、ただ沈黙していた。
飛鳥が女子の方を少し向いた後に、正面を向き、意を決したように口を開く。
「あ、あのさ…。傘無いんなら、一緒に入って行くか…?」
「え…。」
女子は迷ったそぶりを見せるが、しばらくしてコクンと頷いた。
「模照(もてる)高校2年!飛鳥選手!青春の一ページを演出しに来たー!!
もどかしい男女の仲が私達を楽しませてくれます!」
飛鳥は女子と2人で同じ傘に入ると雨が降る中を歩き出した。
2人が入る赤い傘は大きさがあるが、なるべく密着しない様に適度な距離を飛鳥は取ろうとする。
しかし、そうすると、女子が濡れてしまう為に、飛鳥は自分の肩が濡れるのを犠牲にして、彼女の方に傘をなるべく被せるようにした。
「なんとー!男の優しさを見せてきた飛鳥選手!流石、美男美女でモテる人が多いと言われる模照高校!まるで漫画みたいな状況を演出してきたー!
さあ!これで選手全員がスタートした事になりまし…おや?城戸高校2年、帰山戻郎選手?これはどうした事だ?」
映し出された空中ディスプレイには、ただイヤホンを耳にして、1人だけで普通に帰宅する戻郎の姿が映し出された。
「帰山選手!強豪が多すぎて、もう諦めムード濃厚か!?」
濡羽のその言葉に多くの視聴者は戻郎に嘲笑を浴びせ、他選手は1人脱落者が出たと考え、安堵した。
しかし、その中で飛鳥だけは戻郎に対して警戒の念を解かなかった。
選手権の状況が変わってきたのは、開始から15分程度が過ぎた時であった。
それまで、ダンスや水着などで手っ取り早く目を惹こうとした選手達の勢いが後退したのである。
ダンスで注目を集めた祁利伊はダンス部で体力はあったが、15分間フルスロットルで踊り続けた故に、顔に疲弊の顔が見て取れるようになり、ダンスの精彩さを欠く事になった。
水着で男性の視線を集めた見惚は雨に打たれ過ぎた為に、体から体温が奪われ、顔の色が青くなり、何より、男性視聴者も彼女の水着姿に見飽きてしまい、女性視聴者は元から彼女に冷めた視線を送っていた。
彼らだけでなく、他の選手やチームも開始直後からすると、勢いはなくなっていた。
チームメイトとの帰り道も徐々に話題が無くなり、会話が途切れるチームが続出し、水たまりを回避するゲームをしながら帰宅をしていたチームも徐々に息切れを起こしていた。
そして、それらの選手やチーム達の笑顔は崩れ、視聴者からしても明らかに「楽しい」とは程遠い様子が見て取れるようになった。
そんな中、最初から様子が変わらなかったのは、飛鳥と戻郎だけであった。
そして、飛鳥は強豪選手が倒れていく中、次々と練っていた策を展開していった。
そんな飛鳥の策に司会の濡羽は興奮気味に実況をした。
「おーっと!飛鳥選手、ついに会話が続いたー!」
まずは、緊張から会話がろくに出来ない中、互いの接点を模索する様子を見せる事である。
その際、「あの!」という言葉が互いにダブってしまい、先を譲ろうとする展開を挟み込みながら、なんとか会話の糸口を掴むという演出を飛鳥は披露して見せた。
「これは…。2人の距離が近づいたー!」
次に、飛鳥は会話で打ち解けた事によって緊張が解け、傘の中で2人の体がくっついても気にしなくなるという演出を見せた。
飛鳥は中学時代、孤独な帰宅者であったが為に、帰宅に一番重要な事を知っていた。
それは、無理な帰宅はしないという事であった。
帰宅は毎日しなければならない事である。
それが故に、注目を集める為にダンスを踊りながら帰ったり、奇抜な服装で帰るなんてもってのほかである。
そして、無理じゃない範囲で注目を集める帰宅とは何かを考えた時に、彼は相合傘を取り入れる事にした。
相合傘は傘を差して家に帰るという普段と変わらない帰宅の中に、段々と近づいていく男女という恋愛ドラマの要素を差し込む事で注目を集められると飛鳥は考えついたのだ。
実際、飛鳥の作戦通りに、その初々しさや甘酸っぱさ、そしてもどかしさに審査員や視聴者の目は釘付けになっていた。
しかし、ここで孤高の帰宅者である戻郎の真価が発揮される事になる。
4、孤高の帰宅者
「おーっと!戻郎選手!ここで動きを見せたー!」
その実況の声に飛鳥は思わず反応せずにはいられなかった。
空のディスプレイには戻郎が大きく映し出されていた。
そして、彼がいたのは、ある寺の入り口であった。
そこは、戻郎の帰路とは外れたと所にある寺であったが、何かに吸い寄せられるかのように戻郎はその中に入って行った。
「これは…!アジサイだー!!」
戻郎が入った寺の中には梅雨時に満開になる色とりどりのアジサイが咲いていた。
彼はその花に近づき、スマホを出して、雨に濡れたアジサイを写真に収めた。
そして、寺の中に咲くアジサイをじっくり鑑賞し始める。
寺の中には池のある中庭があり、そこら一体にもアジサイは咲き乱れ、池の中に伝わる波紋と共に風流さを生み出していた。
「戻郎選手!帰宅の最中にちょっとした非日常を楽しんでいる!まるで帰宅途中の小旅行とでも言わんばかりだー!」
「しまった…!」
飛鳥は心の中でそう呟く。
梅雨の季節になると、公園や寺の中にはアジサイを一般の人に見せる催しが開かれる。
戻郎はそんなアジサイが見られる施設に寄り道をしたのだ。
そして、彼の猛攻は止まらない。
「ここで戻郎選手、またも帰路を離れたー!そして、ここは…、屋根のあるベンチがある公園…。そこに座り、鞄から…、ペットボトルのお茶を取り出した―!!そして、スマホで…、見始めたのは…。時代劇だー!!」
戻郎は誰もいない公園のベンチを私物化して、そこでお茶と時代劇を楽しみ始めた。
普段なら、そこには子供連れの母親達がいる可能性が高い。
しかし、雨が降りしきる中だと、そういった人々の姿は消え、公園は彼の独占できる場所と化していた。
そして、戻郎は背負っていたバックパックを枕にしてベンチに寝そべり、雨音が響く中、悠々自適に時代劇を堪能した。
これには、審査員と視聴者共に驚いたが、同時にその自由さに、ある種の憧れを見出し始めた。
一方で、飛鳥は唇を噛み締めた。
戻郎のその自由な行動は、事前に綿密な打ち合わせをしていた飛鳥の様なペアでは出来ないものであり、そして、戻郎が計画的にアジサイ寺や公園に行ったのではないと飛鳥は中学校からの付き合いで知っていたのだ。
そして、そこにチームやペア参加者にとっての欠点が訪れる。
「じゃあ、私、ここらへんで…。」
相方の女子の家についた為に、飛鳥は彼女とお別れをしなければならなくなったのだ。
それは、飛鳥だけでではなく、他の複数人で参加した選手達も同様であった。
この欠点は事前に織り込み済みであり、飛鳥は彼女と相合傘を出来た事で別れた後に舞い上がる演技をする予定であったが、戻郎の帰宅の様子を見たが故に、彼の演技はぎこちないものとなってしまった。
4、決着
数十分後、全ての参加者が家に着き、審査員による審査と視聴者による投票が始まった。
最初からわざと雨に打たれていた選手はくしゃみをする人が多く、チームでわいわい帰るという戦法を取った選手達も今や、家のドアの前で結果を一人で待っていた。
そして、数分後、司会の濡羽は選手権の進行を再開した。
「では、今回のやまない雨選手権の全体的な評価を審査員代表の尾張貞治(おわりていじ)帰宅部連盟会長からお願いいたします!」
その言葉を聞くと、審査員席中央にいた60代ほどの白髪の男性はスッと立ち上がった。
「皆さん、今日は帰宅お疲れ様でした。今回は数年ぶりのやまない雨選手権開催を楽しみにしており、様々な帰宅方法を楽しませていただきました。全体の評価としては、帰宅の本質を見失った帰宅が見受けられました。」
この言葉を聞いた飛鳥は下を向いた。
貞治会長は続ける。
「他の人に自分の事を見せつけて帰るのが悪いという事ではありません。むしろそれで自分が楽しいと思ったならそれが楽しい帰宅となります。大人になるとその帰宅方法は社会的に死にますが…。」
貞治会長の言葉に審査員達が苦笑をして見せる。
そして、会長は深く息を吸い込むと穏やかに話し始めた。
「なので、他の人を注目させる事ばかりを考えて、心から楽しんでいるのかな?と思える帰宅は、残念ながら今回は審査員としても厳しい評価を下さる得ないと考えています。帰宅とは学務や労働などのストレスから解放される瞬間です。帰宅の最中まで色々考えたくないと私は思ってしまいます…。私の長くて退屈な話はここで終わりにして、結果発表に映って頂ければ幸いです。皆さん。今日は、本当に帰宅お疲れ様でした。」
そう言って深く頭を下げると、貞治会長は静かに椅子に腰を掛けた。
そして、濡羽が対照的に大きな声で実況を再開する。
「では、やまない雨選手権結果発表に移って行きます!結果は投票形式で行われます!審査員5名の票が一票で、視聴者の投票でトップを取った選手に更に一票が入る仕組みとなっております!では、まず、審査員の方々の票を見て行きましょう!」
そう言うと、空中のモニタに審査員が指名した各々の選手の名前が映し出された。
以外にも審査員5人の投票はバラバラであった。その中には、戻郎だけではなく、終盤息切れしていた祁利伊の名前があったが、飛鳥の名前は見当たらなかった。
そして、濡羽が進行を再開する。
「それでは、最後の視聴者投票の結果を発表していきます!」
モニタにはまず、4978という票数が画面に表示された。
「視聴者投票で一位を取ったのは…この選手です!」
濡羽の声の後に、モニタには大きな文字で帰山戻郎の文字が映し出された。
「おめでとうございます!やまない雨選手権優勝は、城戸高校帰宅部、帰山戻郎選手です!」
結果発表後に、日本各地からは優勝者を称賛する拍手が各家庭のドアの前や部屋の中からから起った。
拍手自体は個々で聞くと寂しいものではあったが、その拍手を一カ所に集めれば武道館ライブの拍手に負けない程の物であった。
「それでは、優勝者インタビューに移っていきたいと思います!」
濡羽がそう言うと、戻郎を追跡していたドローンが彼の下に近づき、そして、空中のモニタに戻郎が大きく映し出されると、濡羽が戻郎に質問をした。
「戻郎選手!お疲れ様でした!優勝した今のお気持ちなどをお聞かせください!」
その質問に戻郎はだるそうに返す。
「すみません。そろそろ家の中に入りたいんですが、入って良いですか?」
その言葉に濡羽は驚き、思ってもいない返答をついしてしまった。
「え、あ、はい…。」
その言葉を聞いた戻郎はぺこりと頭を下げ、家のドアを開き、中に入って行った。
濡羽や審査員、全国の視聴者がぽかんと口を開いてる中、飛鳥だけが大声で笑っていた。
「はっはっは!!完敗だよ!戻郎!」
飛鳥は自身に一つも票が入らなかった事も忘れ、中学時代から全く変わりない友人の姿に安堵した。
飛鳥の家の前には、降りしきる雨の音と彼の笑う声だけが響いていた。
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