アパレル店員一日目

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 頭に浮かび上がったキャラクターとマークを全て描き出したとたん、視界が渦巻いた。ガツンと鈍い音が脳に響く。鼻が痛い。額がしびれる。頬に滑らかな紙の感触。 「大丈夫か」  首を掴まれ持ち上げられた。ひんやりした手が気持ち良い。  腰が真っ直ぐになる。クラクラしつつも両目を開ける。すぐ目に入ったのは壁に沿って積まれたダンボール箱。奥行きのない横長のテーブルに散らばったケント紙。鉛筆、色鉛筆、サインペン、定規。それらをかき集め、空席の右側に寄せた。すると真人の手元に、コンビニの幕の内弁当が割り箸と共にポンと置かれる。 顔を左に向けると、日上と至近距離で目が合った。 「近い」  日上が迷惑そうに顔をしかめて、椅子を左側にずらす。顔同士の距離が三十センチ以上保たれてホッとする。 「ありがとうございます、お弁当、いただきます」  弁当の蓋を取り、割り箸を割って、すぐにホカホカの白飯をかきこんだ。手前から真ん中のカリカリ梅干しまで一気に食し、小休憩に紙コップに入ったお茶(いつの間にか目の前にあった)を一口飲んでから残りの白飯を平らげた。そこで漸く一息ついた。 「お前、見た目と違う食べ方するな。ブルドーザーみたい」  隣から呆れたような声が聞こえてくる。 「すみません……お腹空いてたみたいで」  そういえば朝ごはんはバナナ一本だけだった。家事と智の世話でバタバタしていて、ゆっくり箸を使って食べる時間がなかったのだ。 「ちゃんと栄養あるもの食べてんの?」  痩せてるよな、と呟いてから、日上が真人の顔をジッと見て、その後は首、鎖骨、肩、腕に不躾な視線を向けてくる。真人は思わず、正面に向き直り首に手を当てていた。彼に見られた場所がジワリと熱くなった気がして焦る。 「――日上さんだって痩せてる方じゃないですか」  ちらっと日上の横顔を見る。頬には丸みがないし、顎から首のラインも直線的だ。頷いても二重顎にはならないだろう。体格も全体的にスラッとしているし、箸を持つ手の甲も骨ばっている。 「俺は着痩せするんだよ。脱いだら凄いよ?」  掠れた声で笑いながら、彼が見せつけるようにシャツのボタンを一つ外した。 「ちょっ……本当に脱がないでください」  真人は慌てて、日上の手を掴んで襟元から遠ざけた。すると彼が顔を震わせ、プッと吹き出した。真人の手を緩く振り払う。 「本気にするなよ。しないだろ、普通は」  ――日上さんなら本当にしそうだよ。  真人は黙々と弁当の残りを食べた。焼き鮭、ほうれん草の胡麻和え、唐揚げ、卵焼き、里芋と人参と蒟蒻の煮物――それなりに栄養が摂れそうな惣菜だ。 「ごちそうさまでした。美味しかったです」  米粒一つ残さずに食べ終えて、また礼を言う。と、横からニョキッと手のひらが伸びてくる。 「弁当代、五百円な」 「え?」  奢りだと思っていたが違ったのか。財布はどこにやったっけ、と逡巡していると、日上がまた笑った。 「本気にするなって」 「え、ちょ」  さすがにムッとして何か言い返したくなったが、日上が素早く席を立ったので、タイミングを逃した。  彼もすでに弁当を食べ終えていた。真人の分も一緒にゴミ箱に捨てに行ってくれる。彼のスラリとした後ろ姿を眺めながら、真人はため息を吐いた。  ――やっぱり分からない。冷たいのか、優しいのか。  子供好きで面倒見が良くて、動きに無駄がないのは分かった。良いところはある。  ――でも何か、調子が狂うんだ。一緒にいると。  取り留めもなく考えているうちに、日上がスタッフルームに戻ってきた。 「あ、日上さん、まだ時間があるなら、智の様子を見に行きたいんですが」  昼休憩に入ってからまだ十五分しか経っていない。承諾してもらえるかと思ったが、日上の答えはノーだった。 「下手に会いに行くと、離れがたくなるぞ。お前も智も」  それよりも、と日上が片手に持っているファイルをテーブルにバサッと落とした。四五冊はある。 「ベビー服のサンプル作るから、その打ち合わせをする。お前のデザインもだいぶ揃ったし」 「え? 今?」  返事もせずに、日上がベビー服ブランドの構想を話しだした。ターゲット層、価格帯、子供服を作りたい理由をめちゃくちゃ早口で。  ――食後で頭が働かないよ。  眠気に逆らうために、手元にあったコーヒー(いつの間にか置いてあった)に口をつける。程よい苦味と酸味が舌に広がり、急に意識がはっきりしてきた。コーヒーって凄い、と感心しながら、不意に耳に入ってきた日上の「着やすい服がまず第一――」に引っかかりを覚えた。  「着やすいじゃなくて、着させやすい服……」  呟くと、日上の声がピタッと止まった。 「ああそうだな。で、脱がせやすい服」  日上が器用そうな指でペンを回しながら、思いついたことを羅列していく。ぼんやりそれを聞いていると、いきなり「他にない? 子育て現役だろ」と、意見を求められる。  真人は姿勢を正し、慌てて考える。 「洗濯してすぐに乾くとか」 「それ言った」  ちゃんと聞いてるのか、と言いたげに睨まれて、冷や汗が出る。 「えっと……名前が書きやすいタグをつけるとか。防水だと字が滲むのが嫌ですね」  昨日の夜、智の服や靴下に名前を書いたが、けっこう大変だった。書きにくくて。 「なるほど。俺の頃と変わってないな」  日上が企画書の下地用紙に、スラスラと書き込んでいく。連なる文字は案外整っている。 「習字でもやってました?」 「小学校のときに少し――なんで?」 「字が綺麗だから」  ああ、とつまらなそうに相槌を打ちながら、日上がペンをテーブルに置いた。 「これからお前のデザインをチェックするから、お前は売り場で勉強してきて」  素っ気なく言われ、なんとなく物足りなさを感じた。 「わかりました」  打ち合わせ中は、一切私語が入らなかったな、と思いながら、真人はスタッフルームを後にした。
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