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家庭科準備室を出る前、紙を拾った。
「二年何組だろ」
俺と彩奈のキスを目撃した唯一の生徒が落としたと思われる、一枚の小さな紙。
こう見えても俺は親切だ。
道に迷ってる人がいれば一緒について行ってあげるし、財布が落ちていれば交番へ届ける。重そうな荷物を持った婆ちゃんがいれば持ってあげるし。
だから、たった一枚の紙であろうとも、こうして届けてあげる。別に何か企んでいるわけじゃない。
「ちわー」
二年A組のドアから中を覗き込むと、一気に教室内が静まり返る。
「き、霧山先輩……」
声をかけてきたのは、元後輩の若宮。
「わかちゃん、相変わらず眉毛濃いねー」
「どう、したんすか」
戸惑うように開いたわかちゃんの唇が、微かに震えているように見えた、気がした。
「このクラスにさあ、神崎さんって子いる?」
停滞していた教室内の空気が動き出す。
「かん、ざき……」
復唱しながら首を傾げて思案するわかちゃん。その後ろで、目のくりくりした女の子がハイハイと、元気よく手をあげた。
「はい、君」
「神崎さんならE組ですよ!」
「サンキュー。助かった……てか君、可愛いねー」
「えっ、ありがとうございますっ!」
単純。ポッと赤らむ女の子の顔から、わかちゃんに視線を戻す。
「ごめんな、邪魔して」
わかちゃんの肩をポンと叩いて、ポケットに入れていた紙を取り出す。持ち主の名前を再度確認。
神崎つゆり。
「いや、あの……」
何かを言いたい時の顔って、見てると虫唾が走る。さっさと言えよ、って。
「じゃーね。わかちゃん」
きっと俺も。あの時こんな顔をして、父さんに掴みかかったのかもしれない。さぞかし不愉快だっただろう。
「あのっ、霧山先輩!」
迷いのないわかちゃんの声が背中にぶつかる。
「なに?」
面倒だと思った。
振り返るのも、わかちゃんの声も。
「今度の試合……観に来てくれませんか?」
どいつもこいつも。
人の気も知らないで、勝手に塗りたくってくる。
優しさとか、思い出とか、そんな不確かなものばかりを並べて。
「やだよ、」
この無意味で、透明な俺の人生に、
「お前ら全員、ウザいから」
関わるんじゃねーよ。
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