メリーさんの電話

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メリーさんの電話

 東京都練馬区、某小学校。  俵田光昭はテストの採点で残業をしていた。教師の労働環境の問題はずっと議論されているが、なかなか改善されない。自分も結構な年齢で、そろそろ残業がキツい。  おまけに、今日はスマートフォンを持ち込んだ生徒を巡って妙な騒ぎもあった。おかげで確認したいことがあったのに、相手の教師がその対応で不在となり仕事が進まなかったのである。 「教えたのにな……」  点取り問題のつもりで作った問題の正答率が思ったより低くて、彼は苦笑した。何がわかりにくかっただろうか。  目が乾いてきて、目薬を差す。ティッシュで目元を拭っていると、突然電話が鳴った。外線だ。びくり、と肩を震わせる。時計を見ると八時だ。こんな時間に一体誰が?  出るべきだろうか? 俵田はためらう。こんな時間に学校に電話を掛けてくるなんて、真っ当な相手とは思えない。でも、もし生徒からのSOSだったら?  俵田は教師である。子どものことは好きだ。子どもには幸せになってほしい。辛いなら手を差し伸べたい。しばらく迷ったが、彼は受話器を取った。 「はい、××小学校職員室ですが」 『私メリーさん。今駅にいるの』  幼い声だ。メリー、という名前の生徒か。俵田は、パソコンの生徒名簿を立ち上げる。 「何年何組の誰かな?」  俵田は尋ねた。しかし、電話はすぐに切れる。ため息を吐いて受話器を戻すと、検索ボックスに「メリー」と打ち込んでエンターを押した。該当者なし。 「んん?」  首を傾げながら、「メリィ」、「メリイ」、「Merry」、「Mary」……ありとあらゆる「メリー」の表記で試してみるが、該当者は誰一人としていなかった。  電話が鳴った。 「もしもし?」 『私メリーさん。今図書館にいるの』 「何か困った事でもあるのかな?」  相手は答えないまま通話を切った。 「何なんだ、一体。メリーさんって、羊の飼い主か?」  俵田が独りごちていると、またしても電話が鳴った。 「……メリーさんかな?」 『私メリーさん。今校門にいるの』 「え?」  何故校門に?俵田は立ち上がった。 「何をしに来た?帰りなさい」  電話が切れた。彼はすぐにパソコンをシャットダウンすると、帰り支度を始めた。メリーさんとやらに、出くわしたらまずいことになる気がしたのだ。 電気を消して、職員室を出ようとしたその時、電話が鳴った。俵田は一瞬だけ立ち止まったが、すぐに廊下に出た。もう知らん。鍵を閉めて、玄関に行こうと振り返ったその時……。 「私メリーさん」 廊下から声がした。この学校にはもう、自分しかいない筈だ。五時の見回りで、生徒は全員帰した。  声のする方を見る。どっちにしろ、そこを通らねば彼は外に出られないのだから。そして彼は息が止まるような心地になった。実際に止めていたかもしれない。  緑色の非常口ランプに照らされて、西洋人形が言う。 「今廊下にいるの」  俵田は悲鳴を上げて逃げ出した。人形を突き飛ばして、学校を飛び出す。そして、校門前の坂道から転がり落ちた。
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