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新月の闇夜の中で、それは待っていた。
「はぁ……今週はずっと残業だったな」
帰路の途中にもらした弱音は、暗闇に溶けて消える。
折原やよい、二十五歳。
大手商社のくせに事務員の補充をなかなかしない、裏ブラック企業に務める会社員である。
(鈴本部長に何度言っても、人手まわしてくれないしさぁ)
脳裏に厳しい上司の顔が浮かぶ。まぁ、イケメンだけどさ。でも今の私にとっては、ヘルプに応えてくれない薄情な鬼上司にしか映らないのだ。
(帰ったらご飯作って、シャワー浴びて……あー、肌がベタベタする……)
頬に手を伸ばせば、連日の寝不足と疲労により悲鳴を上げている肌触りにショックを受けた。これ、ニキビもできてない?
とぼとぼとした足取りで五月の夜を歩く。
一人暮らしをしているマンションまで、もう少し。角を曲がりやや暗い小道に入った時だった。
(ん? 誰かいる……)
新月のため、外灯の灯りしかないそこに女性が一人、背を向けて立っていた。
白いワンピース。
腰にまで届きそうな長い髪。
春風に吹かれてなびく様は、柳が揺れるそれのよう……。
振り返ったその顔を見て、私は息を飲んだ。
あるべきはずのものが、何もなかったのだ。
目も、眉毛も、鼻も、口も。
しかしなぜか声だけははっきりと届き、彼女は言うのだ──。
「私……キレイ?」
と。
………………。
「いや、それって口裂け女だしっ!!」
「あっ、そうだった!!」
ガビーン! という効果音を背負ったかのように、彼女は頭を抱えて焦りだした。
なに、こののっぺらぼう……天然!?
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