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JOY1
「お、来てるな、悪ガキども」
姉貴は、帰ってきた途端に、おれの部屋を覗き、ドアから顔を出してそう言った。
「お邪魔してます」
「こんにちは」
「奈緒子さん、久しぶり」
姉貴の言うところの悪ガキどもが、あいさつをする。来てるのはいつものメンバーだった。冬也、亜郎、そしてナツだ。
「なんか用かよ」
「男前を見にきただけよ。それが何か?」
「用がないなら、来んなよ」
「いいじゃん、別に減るもんじゃなし。冬也くん、手のほうは、どう?」
「はい、大丈夫です」
「ならよかったわ。私、冬也くんのピアノ大好きなのよ」
「ありがとうございます」
冬也の指は、まだ包帯を巻いていたが、ほぼ完治している。医師も、前のように動くと言ってたそうだ。
「ねえ奈緒子さん、いつものあれやってよ」
ナツだ。ナツは妙に姉貴の『あれ』が気に入ってるみたいだ。
「いつものあれ?」
「そう、あれ」
「あれってあれ?」
「そう、そのあれ」
何を言ってるんだ、二人とも。『いつものあれ』っていうのは、姉貴の手品だった。こいつらが来てるときに、姉貴がいると、いつも手品を見せる。ナツが催促するからだ。姉貴も、まんざらでもないらしい。
「よく見飽きないなあ、おまえら。ただの手品だろ」
「こら、譲。手品じゃなくて奇術だって、何度言えば分かるのよ」
姉貴は、手品って言うと、必ず奇術だと言いなおした。こだわりがあるらしい。おれにとっちゃあ、どっちでもいい話なんだけどな。
「しょうがないなあ」
そう言って、姉貴は、おれの部屋に入ってきた。渋々を装いながら、ニコニコした笑顔で。
「特別大サービスだからね」
といってる間に、両手から花をたくさん出す。
「すげー、いつ見てもすげー」
ナツは、一人ではしゃいでいる。あとの二人は、ときどき驚いてるけど、ナツほど分かりやすい反応じゃない。姉貴は、最後にどこから出したのか特大の花を出した。
「うおー、ほんとにすげー。奈緒子さんは手品師みたいだ」
いや、みたいじゃなくて、そのものなんだけど。
「ナツくんの前だと、すごくやりがいがあるわ。それだけ驚いてくれると、こっちも頑張らなきゃって思うもんね。それからナツくん、手品じゃなくて奇術ね」
「あ、はい」
「返事だけは、いつもいいんだから」
「しかし、ほんとにすごいですよ。お世辞じゃなくて」
「ありがとう」
悪ガキどもが、一斉に拍手する。
「じゃあ、またね。ゆっくりしてってね」
そして姉貴は、部屋を出ていった。この花は誰が掃除するんだ? おれに決まってる。実は、おれは、姉貴には頭が上がらない。大きな借りがあるんだ。
『男なら、どんなことがあっても涙を見せるな』
おやじが、おれに言った言葉だ。おれは、いつの日もその言葉を忠実に守っていた。どんなときも。それが、おれとおやじを繋ぐ唯一の約束事だったから。おやじは、一ヶ月に一度くらい、家に帰ってくればいいほうだった。おれは、まだ小さかったから、よく分からなかったが、そういう仕事に就いていたらしい。おふくろが何も言おうとしないので、おれも何も訊かないことにしていた。
たまにしか帰ってこないぶん、家に帰ってきたときのおやじは、とても優しかった。日に焼けた浅黒い肌、分厚い胸板、笑うと見え隠れする真っ白な歯。おれが覚えているおやじの記憶だ。顔は覚えていない。それからおやじは、帰ってくるたびに、必ず何かお土産を買ってきた。そのお土産が一風変わっていた。必ず地方の地酒。小学生のおれに地酒? 自分のじゃないのか? おふくろは呆れていた。「あなたらしいわ」と。そんなおやじが急に死んだのが、数年前だ。もうすぐ十年が経とうとしている。おやじの葬式でおふくろは言った。
「譲、もう父ちゃんは帰って来ないのよ」
その言葉が今でも耳から離れない。そのときおれは、おふくろの顔を見ることができなかった。しかし、おやじとの約束は守った。おれとおやじを繋ぐ唯一の言葉。
『男なら、どんなことがあっても涙を見せるな』
おれは、泣かなかった。涙一つこぼしたりしなかった。そのことで親戚連中は、気丈だとか、おかしな子供だとかいろいろ言っていた。だがおやじとの約束だ。決して泣いたりはしなかった。いずれその哀しみを、行き場のない怒りに転化することはあっても。
おやじが死んだ数年後、ちょうどおれが中学に上がる年に、おふくろは子連れの男と再婚した。気に食わない男だった。いつもおふくろに金を無心しては殴っていた。おれが行くと、すぐに捨てゼリフを吐いて逃げ出すような小心者のくせに、金の無心は一向に止まらなかった。このころからおれは、学校へ行かなくなった。おふくろのそばに付いていてやるために。
その気に食わない再婚相手は、それまでは、自分の娘に大道芸をさせて金を工面していたらしい。当然のようにその金は、大半が男の博打資金と消え、娘には服一つ買ってやらなかった。おれの家に来たとき、姉貴は、あちこちがほころびた花柄のワンピースを着ていた。そしてある日、男は新しい女をつくって家を出ていった。実の娘を捨てて。おれは、街中を走り回って男を捜した。片っ端から男の行きそうな場所に顔を出した。何軒目かに飛び込んだスナックでようやく男を見つけた。そのあとのことは、よく覚えていない。気が付くと鉄格子の中にいた。しばらくしておふくろと姉貴が、おれを引き取りにやってきた。
おふくろは何のために再婚した?
姉貴は何のために大道芸をしている?
二人の顔を見た途端、涙が溢れそうになった。
『男なら、どんなことがあっても涙を見せるな』
おやじとの約束が、おれを踏みとどまらせる。
数日後、姉貴が大道芸のメイクを教えてやると言いだした。大道芸なんて、おれには関係ないからいいって言ったんだが、珍しく姉貴は譲らなかった。実の父親のせいで、肩身の狭い思いをしてきた姉貴が。今まで、ほとんどのことは遠慮していた姉貴が。
大道芸――。
舞台、つっても大半が道路だが、観客がいる以上そこで泣くわけにはいかない。たとえ何があったとしても。そんなときに、決まって必ずするメイクがあるのだと。
「ピエロ」
そう言って、姉貴は自分の顔にどんどんメイクしていった。しばらくして振り向いたとき、そこには、ほおに涙のメイクをした姉貴がいた。
「ありがとう、譲」
少しの沈黙の後、姉貴はおれにそう言った。
あの男がいなくなってからも、姉貴は大道芸をやめなかった。うちは貧乏だったけど、姉気が大道芸をしなくちゃならないほどではなかった。だからおれは姉貴に訊いてみた。
「あいつがいなくなったのに、どうして姉貴が大道芸を続けなきゃなんないんだ?」
すると姉貴は、真剣な眼差しで答えた。
「私を待ってくれているお客さんがいる限り、私はやめない」
確かに最初はやらされていたのかもしれない。でも、大道芸は、今の姉貴にとって大切な居場所なんだと、そのとき初めて知った。
「譲、自分の居場所は見つけるんじゃないの。自分で創りださなきゃいけないのよ」
自分の居場所……。おれは、あのとき姉貴が言っていたように、自分の居場所を創り出せているか?
「いやー、いつ見ても奈緒子さんの手品は、すげえなぁ」
ナツが、これだけ喜んでくれるんなら、姉貴も本望だな。
「ナツ、手品じゃなくて奇術だぜ」
「おまえだって同じこと言って、しかられてたじゃん」
「うるせえ」
おれが、こいつらと、つるむようになってから約半年。不思議と、こいつらとはやっていけそうな気がしていた。あの一件以来、もう誰も信じないって決めてたのに。あの夜空に叫んだ夜から。
おれが、当時入っていたチームの連中に呼び出されたのは、午後八時半。いつもたむろってた港の倉庫だ。幹部連中がおれのことを嫌ってるのは知ってた。おれが、だれかれ構わずけんかをふっかけるからだ。おれは、自分の行き場のない怒りをコントロールできずにいたんだ。呼び出された目的が何なのかもわかっていた。仲間が欲しくて入ったチームなのに。ようやく創りだした自分の居場所だと思ってたのに。所詮仲間なんて、本気で助けたり庇ったりするんじゃなく、ごまかしあうだけの関係なんだ。おれは、一人なんだ。強くそう感じた。おやじが死んでから、何度もすぐ隣で嘲笑っていたもう一人のおれ。
孤独――。
倉庫内では幹部連中をはじめ、チームの大半のやつらが横たわっている。おれは倉庫を出て、テトラポットが並んでる、波止場の突堤にもたれて、タバコを吸った。本当にまずいタバコだった。これでまた一人に逆戻りだ。
「やっぱそれがお似合いだよ、お前には!」
ピエロのメイクをしたおれは、夜空にそう叫んでいた。
不思議なもんだ。ナツと出会ってからは、毎日が楽しくてしょうがない。ピアノの天才、冬也と眼帯野郎の亜郎には、ナツを通じて知り合った。二人は北高、有名な進学校だ。おれは、入学しても卒業するやつが半分もいない、くずどもが集まっている東仙高校。ナツに出会ってなきゃ、この二人とも、つるむことはなかっただろう。
「とりあえず、次回のために、花を片付けておこう」
亜郎が言った。
「そうだな」
冬也が答える。
「ところでJOY、前から思ってたんだが、この柱の傷は何だ?」
そう訊ねてきたのは、ナツだった。おれの部屋には、一本だけ、深く何かが突き刺さっていたような、傷のついた柱がある。
「ナイフの跡だ」
「何でナイフなんかで柱を刺すんだ?」
「刺すんじゃない、投げるんだ」
「投げる?」
「ああ」
「でも、一回や二回でつく跡じゃないな」
冷静に亜郎がそう言った。
「見せてやろうか?」
「おお、見たい、見たい」
ナツは、こういう大道芸が大好きだった。おれは引き出しからナイフを取り出して、柱めがけて投げた。
トスッ。
傷跡と同じ場所にナイフは刺さった。
「何だ、お前もすげーじゃん」
柱から抜いたナイフを、もう一度投げる。
トスッ。
また同じ場所に刺さる。
「おれにもやらせてくれ」
「だめだ、ナツにやらすとろくなことがねえ。家を壊しかねない」
「言えてるな」
冬也と亜郎が同時に言った。そしておれたちは笑った。憮然とした表情のナツ以外は、みんな笑っていた。
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