1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

「よう、シノ、久しぶりだな」 「ああ、元気にしてたか?」 「それがそうでもなくてよー。聞いてくれよー」  高校の同窓会。少し遅れていくと、すっかり出来上がっているやつらが何人かいた。三年ぶりの集まりだった。参加人数は半分強ってところだな。まあ、こんなもんだろう。都合よくクラスに居酒屋の息子なんてのがいて、会場の確保は比較的簡単だったらしい。よく見ると、懐かしい顔がそろっている。 「あ、シノ」  委員長をやっていた菊池織(きくちしき)が、目ざとく僕を見つけた。 「よう菊池、少し綺麗になったな」 「化粧でごまかしてるからね。女って恐ろしいよー。まあ、上がって座んなよ」 「ああ」 「ビールでいい?」 「とりあえず」  僕は、菊池にそう言うと、隅のほうの席に座った。周りを見渡してみる。本当に懐かしい顔がそろっている。ときどき誰だか分からないやつがいるのはご愛嬌ってところか。菊池がビールを持ってやってきた。 「シノ、とりあえず乾杯!」 「乾杯!」  そこらじゅうのやつらが、便乗して一斉に祝杯を挙げる。 「シノ、ひざ、大丈夫?」 「ああ、何とかね」 「楽にしてよね。何も気兼ねするような集まりじゃないし」 「うん、サンキュ」  僕は、高校時代にバスケをやっていて、試合中にひざを痛めた。一度は手術をしたけど、結局その故障が原因でバスケは諦めざるを得なくなった。それ以来、ひざに負担のかかるような無理な運動はしないようにしている。まあ、座るときまで気にはしていなかったけど。 「ところでさ、シノって今は何やってんの?」 「大学生」 「そんなこと分かってるって。大学で何かやってるのって訊いてるのよ。相変わらず天然だよね」 「おまえのほうこそ相変わらず容赦なしだなあ」 「長所でしょ、私の」 「はいはい」 「それで今は何をやってるって?」 「別にサークルとか入ってるわけじゃないし、……強いて言えば家庭教師かな」 「それってバイトじゃん」 「あ、そうか」 「やっぱ、天然だよね。ま、そこがシノのいいところなんだけどね」  いいところ、ね。 「菊池は何かやってんの?」 「私は、一応大学のオーケストラに所属してる。ピアノしか取りえがないからさぁ。やっぱそっち系になっちゃうんだよね」  菊池のピアノはかなりのものだった。三年連続で、ピアノコンクール高校生の部の全国大会に出場していた。何度か演奏を聴いたけど、クラシック音楽で感銘を受けたのは、生まれてこのかた、菊池と、当時北高だった菊池のライバル、雨宮冬也だけだ。 「いいじゃん。取りえがあって、それを続けられるってことは」 「あ、ごめん」 「そういう意味で言ったんじゃないよ、気にしすぎ。でもオーケストラか。僕的には、昔みたいにソロのほうが魅力的なんだけどな」 「もちろんソロのほうも練習してるんだよ。だけど、今は自分に欠けてたもの、チームワークを覚えてる最中かな」 「ソロのピアノに、そんなの関係あるの?」 「私もそう思ってたんだ。でも、関係あるんだって」 「誰かが言ってたの?」 「うん」 「へー、菊池にピアノのどうこうを言えるほどの人がいたんだ。それって誰?」  僕がそう言うと、菊池は、少し懐かしいような表情をした。 「雨宮くん」 「なるほどね、雨宮かぁ」 「何て言うかさあ。ずるいよね、高校中退してヨーロッパにピアノ留学に行っちゃうなんてかっこよすぎじゃない? 私が全国大会に出場できたのも結局不戦勝みたいなもんだし」 「違うよ、それは実力だろ」 「実力なんてたいしたことないよ。上には上がいるもん。でも、だから絶えず上を目指せるんだよね。これ雨宮くんの受け売りだけど」 「あいつ、ほんとにすごかったもんなぁ」 「そうなんだよ今鳥ー。ほんとにすごかったんだよー。聞いてくれよ、おれさー」  酔っ払い一号の登場で、僕たちの会話は中断を余儀なくされた。そして続々と現れる二号、三号。こいつら、ある意味ゾンビみたいだ。  楽しい時間は時計の針を速く進ませる。そのまま二、三時間があっという間に経ち、同窓会はお開きになった。三年という年月が、長いのか短いのかは僕には分からない。でも、確かに過ぎ去ってしまったその時間は、僕たちを充分過ぎるほど変えてしまっていた。この年月も、カナふうに言えば、『虚構の構築が続けられていく毎日』なんだろうか。 「シノはどうするの?」 「え?」  店先に出て、考え事をしていた僕を現実に戻したのは、菊池の声だった。 「これからどうするの。もう帰るの?」  何だか菊池の声は、僕を安心させる。あのゾンビどもとは大違いだ。 「いや、ジョバンニに会っていこうと思って」 「ふーん、私も付いていっていいかな?」 「僕はいいけど、ジョバンニは何て言うかな?」 「そんなの決まってるじゃん」 「ニャ~」  僕たちは声をそろえて言った。そして直後に、声をそろえて笑った。夜の街に笑い声が響き渡る。ジョバンニっていうのは、僕たちが高校時代から通っている『BURAI』という店の看板猫だ。マスターのBENさんは、自称国籍不明、年齢不詳。何に憧れてそんなことを言ってるのか知らないけど、どう見ても中年の日本人にしか見えない。そしてあくまでもジョバンニがオーナーで、おれは雇われているだけだと言い張って譲らない変わった人だった。もちろん、悪い人じゃないんだけど。 ※  コンクリートむき出しの壁。その間にある地下への階段を下りていくと、『BURAI』と書かれた扉があった。『A』の文字が消えかけて『BURI』って書いてあるように見える。僕は、魚のブリが頭の中に浮かんできて、少しおかしかった。扉を開くと、薄暗い空間と独特の雰囲気が僕たちを歓迎した。「ニャ~」という鳴き声とともに。 「これは珍しい客が来たぞ、ジョバンニ」  BENさんだ。この人は、あのころとちっとも変わらない。ダークなスーツに無精髯。グラスを磨く手に光る指輪もあのころのままだ。 「(しき)が『鷹』を連れてきたのか?」 「違うよ。今日は、ジョバンニに会いたくて付いて来ちゃったの」 「そうなんです。僕が菊池を連れて来ました。それにBENさん、僕はもう『鷹』じゃありませんよ」 「鷹は、一生鷹なんだがな」  BENさんの言葉をよそに、僕たちはカウンター席に座った。店内を見回す。僕たち以外に客はいないようだ。この不景気な時代に、よくこれでやっていけるものだ。 「誰かに会いに来たのか?」  昔から勘の鋭い人だった。 「ええ、灰原に」  灰原亜郎――。  ジョバンニの名付け親で、雨宮と同じ北高へ通っていた男だ。高校時代に、菊池を通じて知り合いになった。菊池は、雨宮の関係で以前から知っていたみたいだ。高校三年間、総合成績全国一位を一度も明け渡したことのない、いわゆる天才と呼ばれていた男だった。よくいる『お勉強ができるだけで、利口じゃないやつ』でもない。すごく信頼のおける頼りになるやつだった。だから、今回の件、つまりカナの件について、灰原の意見を聞いてみるつもりでここへ来たんだ。 「亜郎は最近ここへは顔を出してないな。だが亜郎に用があるとなると、おまえ、かなりの難題を抱えてるな?」  ご明察。 「何、どういうこと?」 「そういうこと」 「シノ、何か問題抱えてるの?」 「まあ、問題って言うほどのことでもないんだけど、難題であることに変わりはないな」 「何それ、変な日本語。でも水くさいなぁ。言ってくれれば力になるのに」 「本当に力になってくれるの?」 「もちろん。仲間を信じなさい」  菊池が自信満々に言う。信じてないわけじゃないけど、この問題を菊池が解決できるとは思えなかった。人には向き不向きがあるもんだ。僕は、しばらく考えてから訊ねてみた。 「じゃあ訊くけど『さよなら』ってどうやって教えるんだ?」  菊池とBENさんとジョバンニが、一斉にキョトンという顔をした。面白いくらいユニゾンのキョトンだった。ジョバンニまでが一緒なのが面白い。僕は、かいつまんで二人に経緯を話した。しばらくの沈黙。 「なるほど、それで亜郎か」  BENさんが納得した顔でうなずき、グラスを磨いていた手を再び動かし始めた。菊池は腕を組んで考え込み、ジョバンニは大きなあくびをした後、寝る体勢に入った。うん、とりあえずこの場にいる人間には解決できないということだけが判明した。まあ予想通りだな。 「おまえらも、あのころと違って堂々と飲めるんだから、何か注文しろよ。一応ここはバーなんだからな」  BENさんが話題にブレスを入れる。高校時代からそうだった。話しが停滞したり、行きづまったりすると、必ずBENさんは絶妙のタイミングでブレスを入れた。僕は、BENさんのこういうところが大人だなと、いつも思っていた。 「じゃあ、カウボーイ」 「私は、モスコミュール」 「了解」  実は、この店には、BENさんが僕のために創ってくれた『ホークアイ』というオリジナルカクテルがある。だが、バスケを辞めてからは一度も口にしていない。飛べない『鷹』は『鷹』じゃないんだ。 「ほらよ」  カウンターにカクテルが並ぶ。僕たちは、本日何度目かの祝杯を挙げた。一口飲んだ後で、ふいに菊池が僕に訊ねた。 「ねえ、シノ。もし間違ってたら許してほしいんだけど、その()、ひょっとして水口さんに似てるんじゃないの?」  分かってはいた。しかし、どうしても認めたくない自分がそこにいた。カナは水口ハルカに似ている。憂いを含んだ横顔は、まさしく三年前の水口そのものだった。  水口ハルカ――。  僕たちの高校の同級生。成績優秀。寡黙。美人。友人はたぶん僕一人。そして彼女は三年前から歳をとらなくなった。 「実はね、私、見たことがあるんだ。水口さんがタバコ吸ってるところ」 「水口が?」  僕は、持っていたカクテルグラスを落としそうになった。あいつは、僕の前でタバコなんて一度も吸わなかった。唯一の友人であるはずの僕の前で。 「うん、高校の更衣室でなんだけどね。私、その日、四時限目が体育だったんだ。で、授業が終わってお昼休みになったんだけど、更衣室に忘れ物しちゃったのね。その忘れ物を取りに行ったときに、水口さんが一人でいて、窓際でタバコを吸ってたの」 「水口、そのときなんか言ってた?」 「目が合ったけど、別に何も言わなかったよ。入っていったときはびっくりしたんだけど、水口さんて、すごく綺麗な人だったでしょ、大人の女性っていうか。だからすごくかっこよかったなぁ」  水口がタバコ? 「ねえ、シノが吸ってるこの黒いケースのタバコ。他にもこんな黒いのってあるの?」  そう言って菊池は、僕のタバコを指差した。 「うーん、たぶんないと思う」 「じゃあ、あのとき水口さんが吸ってたのもこれと同じだよ」  僕は、何だか頭が混乱してきた。水口が、高校時代にタバコを吸ってた? しかも僕と同じ銘柄のタバコを。つまり、カナとも同じ銘柄のタバコを吸ってたってことだ。世の中に偶然はない、偶然を装った必然があるだけ。やっぱりカナは水口に似ている。僕は、頭の中に沸き起こった混乱ごと、カクテルを一気に飲み干した。ジョバンニが、もう飲まないほうがいいと言ってる気がした。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!