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土曜日
土曜日の午後にあるレッスンは、花澄のお母さんの送迎は無くて、バスを使う。
電話を入れれば、門限の夜10時までは自由。
勿論、花澄が一緒だという事が条件だけれど。
レッスンの後、リンダに
「土曜日のレッスンの後、3人でお茶しない?」
と、誘った。
「いいわよ。その後、ドライブに行かない?バレエ団の、男の子に声をかけてみるから」
私も、花澄も、びっくりしてしまって、すぐに返事が出来なかった。
二人とも、男の人と付き合った事も無いし、一緒に何処かへ出かけた経験も無いからだ。
「バレエ団の人だから、心配無いわよ。ね。」
リンダにたたみかけられて、私たちは、頷いた。
土曜日、母親が見ても、「念入りにお洒落をしている」とは見えない程度の服装で、花澄の家に出かけた。
母親、会った事も無い男性とドライブに行くなどと知れたら、行かせて貰えないと解っていたから。
だけど、花澄に会ってびっくりしてしまった。
かなり、気合いの入った服装だったからだ。
いつもより、大きいバッグを持っているのも、多分、メイク道具を持ってきているから・・・と気付いた。
花澄の母親は、そのあたりはおおらかで、特に、何も気にしていない様子だった。
教室に着くと、丁度、小学2年生のクラスが終わったところで、小さなお団子ヘアの、可愛いレオタードを来た小さな女の子達が、教室から出てきているところだった。
「遥ちゃん!」
そう言いながら、駆け寄ってきたのは、雅ちゃんだ。
雅ちゃんは、このクラスの中でも目立って上手なだけでなく、とても容姿に恵まれた子で、将来が楽しみな子。
私によく懐いているのも、同じ絵画教室に通っているからだ。
私はしゃがみ込むと、タオルで、雅ちゃんの顔の汗を拭いてあげながら
「どう?楽しかった?」
と、笑顔で話しかける。
雅ちゃんは頷くと、とても綺麗なピルエット(回転技)を見せてくれた。
「上手ね」
と褒めると、雅ちゃんは嬉しそうな顔をして、私に抱きついてくる。
少し話しをして、別れて自分のロッカーに行くと、リンダが、着替えを済ませたところだった。
「あの子、可愛いわね。なんて名前?」
「蘇芳雅ちゃんよ。」
「珍しい名前ね。雅ちゃんね・・・」
リンダが、小さな女の子に興味を示す事に驚いた。
きっと、子供なんて五月蠅くて嫌い!とか言うと思っていたから。
それに、雅ちゃんを目で追うリンダの横顔に、なんだか、胸騒ぎがした。
それが何だったのかは、その時はわからなかったのだけれど・・・・・・
着替えて、リンダを先頭に外に出ると、3人の男性が待っていた。
みんな、カジュアルな服装だったけれど、年齢は25歳前後くらいで、私たちよりずっと大人の男性に見えた。
バレエ教室に、男の子が居たことはあったけれど、大抵はすぐに辞めるか、才能のある子はバレエ団に引き抜かれるから、私たちは本当に男性に対しての免疫力が無かった。
彼らの、バレエダンサーならではの、スタイルの良さや、華やかさに、一瞬、ぼおっとしてしまった。
そして、リンダばかりか、花澄まで、きちんとメイクをしていて「デート」という雰囲気を醸し出していることに気付いて、一人だけ、浮いているような不安にかられたけれど、今更、どうしようもない。
リンダが、双方を紹介してくれて、レンタカー店で借りてきてくれたというワゴン車に乗り込んだ。
男性に対して、どう接していいのかわからない私と花澄とは対照的に、車の中で社交的に振る舞うリンダ。
元々、リンダと同じバレエ団に居た人だから、リンダと親しくて当然なのだけれど・・・
そうしているリンダは、レッスン場とはまた違った雰囲気で、目立っていた。
3人の男性の中でも、ひときわ、美形の男性が居た。
「ジュン」
と、リンダが紹介してくれた人だ。
レッスンの後なので、軽い車内の冷房は、最初は心地良かったけれど、じきに、少し寒気を感じて、無意識に自分の二の腕を掴んでいると、ふわりと自分の上着を私の肩からかけてくれた。
「少し寒そうに見えたから」
「あ・・・・ありがとうございます」
ユニセックスの、センスの良い香りとぬくもりに包まれて、私の心がぐらりと揺れた。
それから、何気ない会話をしたけれど、緊張して、目を見ることが出来ない。
「車の座席の隣同士」という距離が、私には近すぎるように感じて、ドキドキしていた。
私や花澄の、大体のプロフィール紹介の後は、話題は、必然的に、バレエへと流れる。
男性3人は、それぞれ、海外のサマースクールの経験があって、その時受けたレッスンやホームステイ先の話。
あとは、年に一度の発表会の話。
どの話しも、同じくバレエを踊るダンサーとしては、刺激になる話しだった。
海が見下ろせるカフェに入り、とりとめのないおしゃべりをする間は、ジュンは花澄の隣の席に座っていて、とても楽しそうに話している姿に、知らず知らず、視線が流れていたのを、隣の席のリンダが察知して耳打ちしてきた。
「花澄ちゃん、ジュンと楽しそうね」
車中の冷房で、練習直後の火照りはおさまっているはずなのに、リンダの体からは、うっすらと汗とローズのオーデコロンが、混じり合った香りが立ち上っていた。
「そうね・・・」
「いいの?」
「・・何が?」
私は、リンダが何を聞こうとしているか知っていて、素知らぬ顔で答えた。
「ジュンって、バレエ団の女の子の『王子様』の一人よ。今、フリーなの。それで、狙ってる子、多いんだから・・・今日、引っ張り出すのも大変だったのよ。だから、頑張って」
「頑張るって・・・何を・・・」
と言いかけた私を
「男の人と付き合った事、無いんでしょ?」
と、リンダが遮った。
正解だけれど、そう答えるのがなんだか悔しくて、少し唇を噛みしめるだけで反論出来ない。
「オデット姫(バレエ『白鳥の湖』の主役)に最適な、王子様でしょ?ね?」
そう、囁くと、リンダは普通に会話の和に戻っていった。
オデット姫?私の事?
私の中で、自分の中に芽生えた気持ちと、リンダの言葉が、大きな嵐の中でもつれ合うようにして揺れていた。
ジュンさんが、モテるのもわかる。
バレエをしている男女比で言っても、男性の方が、圧倒的に少ない。
日々の練習に追われていても、一緒にいる時間が長いほど、いつしか恋愛感情を抱いてしまう事も想像しやすい。
ジュンさんさえ、その気になれば、いくらでもお相手はいるはず。
さっきの、優しさは、『特別』じゃなくて、ジュンさんの『優しい気配り』。
そう自分に言い聞かせ、気持ちを落ち着かせたのに・・・・
お茶とおしゃべりを楽しんだ後は、小高い山の上の展望台で海を見て、使い捨てカメラの『写ルンです』で、何枚も写真を撮った。
男性3人は、こういう事に慣れているようだったし、社交的なリンダが居る事で、私や花澄も、その場の雰囲気を躊躇いがちではあったけれど楽しむ事が出来た。
帰りの車の席で、花澄が、ジュンさんの隣に座りたそうな表情を見せたけれど、私の隣に、すっとジュンさんが座ってくれたのが嬉しかった。
そして、自分の電話番号を書いたメモを渡してくれて、「一人暮らしだから、気軽にかけてきて」と耳打ちされたときには、完全に気持ちが舞い上がってしまっていた。
花澄には、悪いと思ったけれど・・・・・・・・
自宅からは少し離れた場所まで、車で送って貰った。
もうすっかり、辺りは暗くなって、住宅街は静まりかえっていたけれど、一応、門限時間内。
それに、万が一の場合でも、花澄と一緒だったと言えば、母も何も言わない。
花澄が、先に降りて、私の家の近くで降ろして貰った時に、
「ちょっと待って」
と、リンダが言いながら、車を降りてきた。
「ね、明日は何をしているの?」
「午後から、絵画教室に行って・・・あとは、のんびり過ごすつもり。」
「絵画教室が終わるのは何時?」
「3時半よ。」
「じゃ、その後、お家に遊びに行ってもいいかしら?」
いきなりの申し出に驚いたのは、こうして遊びに誘ってくれはしたけれど、リンダが、私のに対して、それほど好意を抱いているとは思っていなかったからだ。
「うちに?両親も居るわよ。」
「平気よ。ね、いいでしょ?私、貴女と仲良くなりたいの。」
街灯の下で、私の手を握りしめながら、少し甘えたような声でそう言うリンダの黒い瞳が、謎めいていて、そしてどこかしら艶めかしくて・・・戸惑った。
それまでの、高圧的で、何かしら攻撃的なものを含んだ言動とはまるで違うリンダの姿に、私は戸惑いながらも、悪い気はしなかった。
それに、花澄には出来ない、ジュンの事を、相談したかった。
「いいわ。」
「じゃ、4時くらいにお邪魔するわね。」
リンダは、私に笑顔さえ見せて、手を振りながら車に乗り込んでいった。
車が走り去ると、どっと疲れが押し寄せてきた。
それまで平穏だった私の日々に、嵐のようなものが迫っているような、そんな気がしていた。
帰宅して、バレエ団の友達が、遊びに来ると言うと、母親は
「突然の来客は面倒なのよ。どんな人なの?どこに住んでいるの、ご両親はどこにお勤めなの?」
と、いつもの通り、小言と、来訪者の『背景』を尋ねる。
リンダの両親が、どんな人なのかは知らない・・・
「バレエ教室でなくて、バレエ団の人。すごく、バレエが上手で、何度も発表会で主役をしてる。ローザンヌで入賞して、パリのロイヤルバレエ団に留学していたんだけど、怪我で帰国してるの」
「そんなに、才能のある子と、どうして貴女が仲良くなったの?」
明らかに、母は、リンダの経歴に興味を抱いたようだった。
だけど、それだけでは、母の小言を封じ込める事は出来ない。
知らない人を、いきなり家に連れてくる事の文句をひとしきり言われて、やっと自分の部屋に戻った。
部屋の片付けについては、子供の頃から厳しく躾られているので、それほど散らかっては居ないけれど、見られて困るものはないかと、一応部屋を点検する。
「あの」リンダが、うちに遊びに来るなんて・・・
バレエ団でリンダが頭角を現し始めてから、ずっと、手の届かない「輝く星」のような存在だった。
バレエ教室で会ったときの印象は、あまり良いものではなかったし、今日の「お出かけ」でも、私に対して好意を抱いている感じは伝わってこなかった。
なのに、「遊びに行ってもいい?」って・・・事は、私に好意を持ってくれているという事?
そう、思っていいのかしら・・・
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