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リンダの部屋で
翌日、午前中の授業が終わった昼休み、花澄とランチを食べているときに、花澄が、小さな声で
「ね、ジュン君って、かっこいいと思わなかった?」
と、少し私を探るような目で尋ねてきたときに、胸がドキッとした。
「かっこよかったね。王子様が似合う感じだよね」
「あ~あ、本当に、幼稚舎の頃から女子校でしょ?で、バレエ教室には男子はほとんどいないし、みんな途中でやめちゃうか、バレエ団へ移籍するしで、私たち、本当に男性に縁が無い人生なのね。」
ため息をつきながら、花澄がパスタをくるくるとフォークに巻き付ける。
「その代わり、良いお見合い話が来るわよ・・って、ママが言ってたわよ」
「ジュン君みたいな美形がいるかしら」
「あら、花澄って、面食いだった?」
「だって・・ねぇ・・・・」
そう言いながら、私と同じく初心な花澄の頬がうっすらと赤みを帯びる。
そんな花澄に、少し後ろめたい思いをしながら、3時限までの授業を受けて、一人でリンダの下宿へ向かった。
バスに乗る前に電話を入れておいたので、最寄りのバス停で、上手くリンダと合流することが出来た。
昨日の、「きちんと感」のある服装ではなく、胸元や肩を露出させた、体のラインをぴったりと出した、カットソーとパンツというスタイルだった。
体脂肪をギリギリまで落としているので、胸の膨らみが無い分、過剰な色気はないけれど、明らかに人目を引くような原色の組み合わせだ。
白いブラウスに、チェックのフレアースカートという服装の私と並んでいると、時折、振り返ってみる人もいる。
私は、そんな人目が気になったけれど、リンダの方は、そういう人目は一切、気にしていない風だった。
「食べ物の好みとかわからなかったけれど、バレエ団の人は、レッスンの後や舞台の前に、結構食べてるって聞いたから」
と、手土産の高級チョコレートの詰め合わせを手渡した。
「ありがとう。でも、うちに来るときは、気を遣わないでいいから」
と、素っ気ない返事が返ってきた。
いいの・・・それも、『想定内』だったから。
リンダに手土産なんて、何を持って行けばいいのかなんて、それくらいしか考えつかなかったのだもの。
コンクリートの打ちっぱなしのマンションの部屋は、私のふわふわとした部屋とは正反対だった。
私が行くような店では見たことも無い、個性的な家具や照明器具に、目を奪われる。
これが、海外留学生のセンスなのだろうか・・・・・・・一種の衝撃を受けながら、私は思わず部屋を見渡してしまった。
リンダの匂いがする・・
それは、決して不快なものではなく、何かしら心をかき立てられる香りだった。
今までの私の人生で、こんなにも強烈な個性を持った女性に、出会ったことは無いから?
「ミネラルウォーターしか無いけど、いる?」
リンダが、冷蔵庫を開けながら尋ねた。
「ありがとう」
ミネラルウォーターが、空中を飛んで来たときは驚いたけれど、上手くキャッチする事が出来た。
「気楽にしてて。あ、ジュン・・・遙から、電話するのは勇気居るでしょ?最初は、私が、あいつにかけようか?その後は、外に居るから」
『遙』
と、呼びつけにされた事と、思いがけない心遣いに、私の頭は軽い混乱状態に陥っていた。
「大丈夫?固まった?」
リンダが、ミネラルウォーターを飲みながら、私の顔をのぞき込んで聞いた。
「ちょっと・・・緊張してきちゃったみたい。何を話したらいいのか・・・」
「は~いって、感じで、軽い感じでいいんじゃない?後は、あっちがリードしてくれるよ。」
そう言いながら、リンダは電話機の置いてあるチェストのそばに、椅子を寄せると、私を手招いた。
緊張の大波が押し寄せ、引きずり倒されそうな気がした。
リンダは、手帳を片手にプッシュボタンを押して、不意に私の手をつかんだ。
電話の呼び出し音は、私の耳には聞こえなかったけれど、自分の心臓が脈打つ音だけを聞いていた。
どうしよう・・・・
ここまで来て、『もう帰りたい』と、言いだしたい気持ちになったその時、
「ジュン?リンダよ。今、良い?遙が、横に居るの」
と、いう声が聞こえた。
胸の鼓動が、まるでマラソンをしているかのようにドキドキしていた。
「はい」
受話器を手渡され、スタスタと部屋を出て行くリンダを見送りながら、私はやっと、
「もしもし。」
と、言った。
「遙ちゃん?電話も、かわいい声だね」
電話越しのジュンの声に、私は、言葉が詰まってしまって、すぐに返事さえ出来ずに居た。
それから先は、ただ夢中で・・・・・・・・・・・
電話を終えて、リンダの姿を探す。
窓を開けると、向かいの公園にある街頭の側のベンチに座っているのが見えた。
「リンダ!」
それほど、大声では無いけれど、普通の声よりも少し大きめの声で名前を呼ぶと、リンダが顔を上げるのが見えた。
他人の部屋の窓から声を出すのも恥ずかしかったけれど、部屋に戻ってきたリンダに顔をのぞき込まれた時の方が、ずっと恥ずかしかった。
ふふ~ん・・・と、鼻を鳴らすような音を立てた後、
「ね?どんな話をしたの?」
と、私の手を引き、ソファーに並んで座らせた。
その近い距離感に、さっきまでとはまた違うドキドキ感に陥りながら、私はジュンに、声を褒められた事とか、バレエ団の話とか、最近のニュースとか、言ってしまえばとても「たわいもない話題」を、少し興奮気味に話した。
だって、男の人と・・・あんなに、素敵な大人の男性と、電話で話をするのは始めてだったから。
リンダは、私の目をのぞき込み
「すごく、幸せ?嬉しい?」
と、尋ねながら、私の手をぎゅっと握った。
私は、頷きながらも、顔が赤くなるのが自分でもわかった。
「遙は、可愛い・・・」
そう言いながら、リンダが、私の頬に軽くキスをした。
あ。
と思った、一瞬だった。
「チュッ」
と、小さな音が、耳に残った・・・・・・・・・
けれど、その行為が、あまりに自然だったし、リンダは海外留学をしていた事を思い出して、私は自分の動揺を押し殺した。
「で、次に、逢う約束はしたの?」
「木曜日の午後なら、ジュンさんは時間があるって。」
「遙は?」
「私は・・・・・・・・・・・・・・」
そこで、言葉を句切ってしまったのは、ちょっと罪悪感があったから。
「大学の授業があるんだけど、サボろうかと思って・・」
「いいよ、いいよ。さぼっちゃえ。ジュンに逢いたいでしょ?」
「ただ、サボった事を、花澄経由で両親の耳に入らないか、不安なの」
「なんだ、そんなこと?」
呆れたように、リンダが言った。
「だって・・叱られる」
リンダのため息に、自分でも子供じみてると思ったけれど、やっぱり両親という『壁』は大きい。
「わかった。じゃ、花澄にも秘密を持つように仕向ければいいのよ。そうすれば、持ちつもたれつでしょ?」
翌日、大学へ行く道すがら、リンダに言われた通りに、花澄をバレエ団の男子と一緒に、水族館に行く話を持ちかけた。
花澄の目には、明らかな『期待』が浮かんでいたし、素直な性格そのままに、「行くわ!」
と、同意した。
そして、リンダの思惑通り・・・・・・・花澄にも、「お付き合い」をする男性が出来た。
私も、花澄も、親に対して共通の『秘め事』を共有出来るようになったのだ。
ジュンとの事も、なんとなく『察して』もらう事が出来た。
これで、すべては順調にいくと思っていた。
ただ、私と花澄の、『恋のスピード』には走り出した時から、差がついていた。
最初は、二人で互いの惚気話をしていて、脳内をドーパミンで満たして満足していたけれど、そのうち、花澄に相談出来ないような「エリア」に私は踏み込みそうになっていった。
花澄には、言うのをためらうような相談。
ジュンと会えない時に、花澄と過ごす時間より、リンダと過ごす時間の方が長くなっていた。
恋愛については、リンダは・・・・一言で言えば、私たち二人よりもはるかに、「大人」だったから。
私の中で、リンダに対して、最初に「苦手」だと思っていた感情が、「好ましい」ものに変わるまでそれほど時間はかからなかった。
自分の中では、リンダに対する好意を、ひよこが、最初に見た物を親だと思うみたいなもの・・・・・・・・・・そう、思っていた。
リンダの、切れ味の良い端的な言葉遣いとか、自己主張の強さとか、そういう自分には無かったもの、花澄にはないものが、とても好ましく思えるようになっていたのだ。
リンダには、不思議な魅力があった。
リンダは、魔法使いかもしれない・・・・・ふっと、そんな気さえしていた。
あの頃は。
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