戸惑い

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戸惑い

花澄も、私と同じく、大学をサボってデートしていた。 花澄のお相手は、リンダの知り合いのバレエダンサーの友達の、秀一君。 お互い、両親には秘密の恋。 夜、電話で、デートの結果を話したくて、うずうずした。 明日、花澄と話が出来ると思うと、楽しみで仕方なかった。 眠ろうとすると、ジュンの仕草とか、優しい言葉とか、会話が脳内をリフレインする度に、胸がときめいて、胃のあたりがきゅっとなる。 そして、リンダとした軽いキスが、私の心の片隅でころころと転がり、転がる度に、聞いたことのない音を立てた。 リンダの居た、留学先では、挨拶代わりだったのだろうけれど・・・・・・・ 女子校育ちの私には、ジュンとのデートも、リンダのキスも、充分すぎるほどの刺激だった。 女子校だから、同級生は女性ばかり。 カトリック系の学校なので、教師もシスターも女性ばかり。 男性は、用務員の男性か、神父様くらいだ。 通学の途中で、他の学校の男子生徒から声をかけられて、「お付き合い」に発展した子もいるけれど、うちの学校の女子は「プライドが高い」というのが定説らしく、数はそれほど多くないし、私に至っては、一度もそういう経験が無い。 女子校だから、ちょっとボーイッシュな先輩に憧れている同級生も居たし、実際に付き合っているという噂のカップルもいた。 私と一番中の良い花澄に対して、そういう感情を抱いたことは一度も無い。 他の女生徒に対しても。 ただ、綺麗な顔立ちの同級生を、「綺麗だな・・・」と思うことはあった。 あれは、淡い恋?ううん・・・単なる憧れ。 だって、女性だって、好きな女優さんとか、みんないるもの。 「綺麗」と思う事に、男女差はそれほどあるとは思えない。 それに、押さえがたい「性への興味」は、この年代の女性とならば、誰しも抱いているにちがいない。 性教育の授業もあって、知識も得て、淡々と授業を終えたシスターは「何か懺悔をしたい事があれば、いつでもいらっしゃい。もちろん、秘密は守ります」と言った。 私も花澄も、懺悔室に行くことはなかったけれど、行った女子生徒もいたらしい。 授業でも習った・・・・・・・今、私たちは、「そういう時期」にあるのだ。 だから、こんな親には言えないような欲望を持て余すのは、普通の事なのよ・・・・そう自分に言い聞かせる。 そのとき、不意に脳裏によみがえったのは、リンダがレオタードに着替えた時の姿だった。 私の胸の中が、ざわめく。 どうしてだろう・・・・・・・ あのとき、とっさに私は、目をそらしてしまった。 女子の着替えなど、体育の時間では普通だし、バレエ教室のロッカールームでは、下着だけになって着替える女の子も珍しくない。 リンダのレオタード姿も、目を引く事は確かだ。 バレエの上手い子は、レオタード姿だけでもわかる。 時折、「はっ」とするほど美しいムーブメントに、見とれてしまう。 そして、その事が、悪い事をしてしまったような気まずさを覚えるのは、どうしてだろう。 本当に、リンダの動きは美しい。 バーレッスンをしていても、腰の位置がいつもきっちりとポジションを取っていて、ぶれることがない。 ただ立っている姿だけでも、「美しい」という言葉だけでは足りないくらいだと思った。 美人・・・・・・・・という訳ではないけれど、今までの人生で私が出会ったことの無いタイプの女性だ。 言葉が時々、きつかったり、皮肉めいていたり。 性格が良いとは思えないのだけれど、何かしら、人を惹きつけるものがある。 レオタードに包まれたその体が動くとき、華やかなオーラが足下から大きな炎のように湧き上がり、リンダの体を包み込んでいるように見える。 それは、自分に無い技術や芸術を持つ「人」に対する憧れみたいなもの で・・・・・私は、同性愛者なんかじゃない。 花澄と、腕を組んだり、手をつないだり、ジュースの回しのみをしたりするけれど、それで心が揺れた事など無いもの・・・・・・・・。 リンダの存在が、私にとって、とても刺激的なものである事は間違いない。 その感情が、どういうものなのかもわからない。 ジュンに心を奪われて恋していながらも、その陰には、リンダが居る。 それを完全に消し去れないのは、どうして? 「恋愛」というものは、こんなに複雑なものなのかしら・・・・・・・ そんな事を考えながら、私は眠りへと落ちていった。 翌日、1時限目の教室に行くと、花澄はすでに来ていて、私を見つけると、満面の笑みで手を振った。 「きのう、どうだった?」という言葉を、互いに飲み込んだのは、すでに周囲に人が集まってきていたから。 中高校生の頃のように、二人は、レポート用紙を使って互いの「デートの報告レポート」を、素晴らしい早さで書き綴り合った。 私は、一度、リンダに話をしている。 そのせいだろうか、花澄の方が、テンションが高いような気がした。 文面は控えめだけれど、花澄にとって初めてのデートが、どれほど彼女の心をドキドキさせたかが伝わってきた。 結局、午前中の講義の間、二人は、レポート用紙にデートの事や恋についての話をひたすら書き綴り合った。 今日、ジュンとランチを一緒に食べる事は伝えたので、終了の鐘の音の音と共に、手早く荷物をまとめると、小さな声で花澄に「頑張ってね~」と言われて、赤面しながらも足早に教室を後にした。 ジュンと待ち合わせた、商業施設の女子用お手洗いで、最終チェックをしてから、待ち合わせの木の下に行くと、ジュンの姿は無い。 時計を見ると、待ち合わせの時間、ちょうど。 立っていると、胸が苦しくなるのは、緊張のせい・・・・・・・・・・ 髪型、大丈夫。洋服も、問題無い。メイクも薄化粧で、化粧のノリも良い。 あとは、姿勢良く・・・・・・・・・・ 何の歌だったかしら、「会えない時間が、愛を育てるのさ」というフレーズが頭をよぎる。 「ごめん、待たせた?」 10分遅れで、ジュンがやってきた。 きのうと同じ、カジュアルな服装だ。 「ううん。それほど。大丈夫」 私は、やっとの思いで、そう答えた。 胸がいっぱいで・・・・・・・・・・・・・ でも、入ったお店のランチは、しっかり残さず食べてしまった。 こんな時は、「小食の女の子」の方が印象良いのかもしれないけれど、日頃からバレエで体を動かしている私は、運動をしていない女子と比べるとやっぱり食事の量は多いし、おなかもすく。 ハンバーグランチを、完食してしまった。 ジュンは、カットステーキとサラダのセットを頼んだけれど、ライスは抜き。 バレエダンサーの基本。糖質は、やはり気にしているらしい。 「これから、どうする?どこか、行きたいところはある?」 ジュンは、窓から差し込む柔らかい春の光の中で、微笑みながら言った。 私は、とっさには返事が出来ない。 少し、考えあぐねたあげく 「ジュン君が、行きたいところはある?」 と尋ねてしまった。 ジュンは、すっと腰を浮かすと、私の耳元でささやいた。 「じゃ、うちに来る?」 初めて入った男の人の部屋は、やっぱり「男の人」の匂いがした。 男兄弟は居ないし、これまで男の人と付き合った事の無い私は、私が今まで見てきた女友達の部屋とはまるで違う空間に、一瞬、足が止まった。 「うちは、共働きだから、今は両親居ないけど、弟が帰ってくるかもしれないから、鍵を閉めるね」 と、ジュンが、ドアの鍵をカチッと閉めた音に、体の内側が冷たくなるような感覚が走り、次の瞬間、顔が火照るような気がして、思わず顔に手を当てた。 「何か、聴く?流行の曲もあるけど、遙ちゃんは、やっぱりクラシックがいいかな?チャイコフスキーとか、あるよ」 「・・・・・・・『眠れる森の美女』とかある?」 「あるよ。」 ジュンは、軽い仕草でCDを、システムコンポに入れた。 聞き慣れた曲に、少しだけ気持ちが落ち着く・・・・はずだったけれど、頭の中では、今まで見聞きしてきた知識が、ぐるぐると頭の中を巡っていた。 漫画や映画で見たキスシーンや、本で読んだ『接吻』についての一文など。 頭の中でそういう妄想を描いている事を知られるのも恥ずかしいから、平静を装ったけれど、隣にジュンが座って、私の肩を抱いた時に、心臓が口から飛び出すかと思った。 次の瞬間、ぬるりとした感触に続いて、他人の舌が自分の口の中に入る感触に、我に返っていた。 私が想像していた・・・・・・・・「甘いキス」とか「甘酸っぱいときめき」とか、「ドキドキする」とか、「ふわふわした幸せ感覚」というものが、すっ飛んでいた。 思わず、うつむくようにして唇を離すと、少しだけ、ジュンの肩に手を置いてそれ以上、続けようとするのを止めていた。 「ごめん。怒った?」 ジュンに尋ねられたとき、 「ううん・・・びっくりしただけ」 と、小さい声で答えるのがやっとだった。 ショックだった。 ずっと心に抱いていた好きな男性とのキスが、こんなにも生々しく美しくなかった事、そして、リンダのあの軽い羽のようにくすぐるようなキスの方が、何十倍も私にときめきを与えていたという事実に。 「純情なんだね・・・・・・」 そう言いながら、ぎゅっと抱きしめられた。 自分よりも大きな体、肩の広さ、平らな胸、つけている香水の香り・・・それを感じていると、また、心臓の鼓動が早くなるのがわかる。 もう一度、してみる? ううん・・・・なんだか違う・・・何が? 混乱の中、私は、ジュンの腕から体を離すと、 「ごめんなさい、今日は、もう帰りたいの・・・・・・・」 と思い切って言ってしまった。 そう言うと、ジュンに嫌われるかもしれないと思うと、怖かったけれど、いたたまれない気まずさに、私は、ただ逃げ出したかった。 「本当に、怒ってない?」 ジュンが、私の髪の毛を、耳にかけながら顔をのぞき込んで尋ねてきた。 怒っている様子は無くて、ほっとする。 「うん・・・・・・・・・ちょっと、びっくりしたの。ごめんなさい。やっぱり私・・」 逃げるようにしてジュンの家を出て、時計を見ると、バレエのレッスンの用意で家に戻らなくては行けない時間になっていた。 自分でも、混乱した気持ちを抑えるのに精一杯で、この気持ちを誰かに相談したくてたまらなかった。 花澄・・・・・・・ううん、花澄には言いづらい。 本当に、幼い頃から知っているだけに、まるで親兄弟に話すような気持ちになって、生々しすぎる。 リンダ・・・そう、リンダに相談したい。 レッスンの後、リンダに会おう。 私は、目についた公衆電話ボックスに入ると、リンダの部屋の電話番号をダイヤルしていた。 リンダが電話に出るまで、とても長い時間が経ったような気がした。 「もしもし?」 リンダの声に、はっと、リンダの言葉を思い出した。 「でもね、もし、そうでなかったら・・・・・・・・ジュンとのキスが、そうではなかったら、私のところへ来て。約束よ。」
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