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織部那月1
呼び出された生徒会室に行くと、そこには誰もいなかった。人を呼び出しておいて誰もいないなんてどういうことだ。僕は少し憤慨し、どうしたものか考えたが、結局しばらく待ってみることにした。
窓外では生徒たちが何やら声を出しながら走っている。時間的に恐らく部活動の生徒だろう。季節はこれから夏本番という七月下旬の一学期最終日。そんな暑い日に僕はここ士道館高校に転入してきた。まあ転入してすぐに夏季休暇に入るわけだから、新学期になっても僕のことを覚えているクラスメイトがどれだけいることか。士道館高校は武道で有名だが、それ以外の部活も普通にあるらしい。しかし運動場を走っている部員たちは、殺人的な夏の日差しに今にも滅ぼされそうだ。その掛け声は自身を鼓舞するためか、それとも呪詛の言葉か。そんなことを考えていると、遠くからパタパタと廊下を走る音が聞こえてきた。果たして予想どおり一人の生徒が勢いよく生徒会室のドアを開けた。
「すいません、遅くなりました。えーと、八坂渉さんですよね?」
目の前に現れた女生徒は肩で息をしながら、それでも満面の笑みで僕にそう言った。いやまず息を整えようか。落ち着くのを待とうとしばらく見つめていると、彼女は何か勘違いしたらしい。
「あれ? 違いましたか?」
「あ、いや、合ってる。」
「良かった。私、そそっかしいんで色々よく間違えるんですよね、あはは」
いや、君がそそっかしいのは、この数十秒で完全に理解した。それでも僕が見つめ続けていると、彼女はさらに何か勘違いをしたらしい。
「ん? 私の顔に何か付いてます?」
僕はこれ以上見つめ続けていると、彼女が勘違いのスパイラルに陥りそうな気がしたので、苦笑しながら首を横に振った。
「いや、疾風怒濤って感じ?」
「あはは、よく言われます」
そう言うと彼女は少し落ち着いてきたのか中に入り、ここに現れた趣旨を説明しだした。
「私は生徒会執行委員の遠山莉子です。あ、一年生です。八坂さんは二年生だから先輩ですね」
「そうなるね」
「私がここへ来たのは生徒会長からの指示で、八坂先輩の補佐をするように言われたからです」
「補佐?」
「はい」
「うーん、僕はここに呼び出された理由も聞かされていないのだけれど」
「あ、それはこれから説明しますね」
「うん、お願いするよ」
「でも先輩、一学期最終日に転入だなんて変な時期ですね」
「そうだね。気になる?」
「うーん、気になるけど聞きません。何か理由があるんでしょうから」
ほんとに目まぐるしいな、この娘は。僕がここへ呼び出された理由の説明はどうなった?
「いけない、いけない。また脱線するところだった。えーと、先輩には推薦校章の返却を手伝ってもらいます」
「推薦校章?」
「はい。この学園には学年に一人、生徒会が推薦した模範生徒っていうのがいるんです」
「ふむ」
「で、その模範生徒には記しとして推薦校章が貸与されるんですけど、現在模範生として推薦されてる生徒がちょっと問題のある生徒ばかりなので」
「その推薦を取り消すから記しの推薦校章を返却してもらうと」
「そのとおりです」
彼女は、胸の前に人差し指を立てて得意げに言った。
「でも手伝うって何を?」
「そこが問題なんです」
彼女は再度胸の前に人差し指を立てた。
「何度か返還を要請したんですけど、素直に返還してもらえなくて。あれ? でも何で転入してきたばかりの先輩にこんなこと頼むんだろ? もしかして生徒会の誰かとお知り合いだったりします?」
「まあ、知り合いは確かにいるけれど」
「ああ、だからなのかなぁ。いや、でもしかし……」
彼女がまた何かのスパイラルに突入しそうだったので、僕はその問題があるという模範生について聞いてみた。
「その模範生って、どんな人?」
「え? ああ、模範生の方は皆さんすごい方ばっかりです」
「優秀って意味? でもそれだと問題ないんじゃ」
「うーん、私、バカなんで上手く説明できません」
うん? さっき彼女が補佐するとか言ってなかったか。これだとこれからどうしたらいいのかまるで分からない。
「じゃあ、取りあえずこれからどうすればいい?」
「はい、あ、手伝ってくれるんですね」
「うん、何となくは言われていたから。詳しい話は全然聞いていなかったけれど」
「そうなんですね。じゃあ、最初はこの人にしましょう」
「どの人?」
「じゃーん」
彼女は効果音付きで胸ポケットから一枚の写真を取り出した。そこには髪の毛の裾をピンク色に染めた一人の女生徒が写っていた。
「三年生の織部那月先輩です」
確か模範生だと言っていなかったか? 髪の毛を染めているという時点で何か模範生という気がしない。それに写真の彼女はやけにギラギラした目をしていて、いわゆるヤンキーみたいだ。いや、見た目で判断するのはいけないな。などと僕が自問自答しているとドアが少し開いて、一人の生徒が室内を覗き込んできた。
「莉子、いる?」
「あ、蒔絵先輩」
蒔絵先輩と呼ばれたその女生徒は、遠山さんがいることを確認すると分かりやすく破顔した。室内を見回す彼女と僕の視線が自然な形でぶつかった。
「君が転入生? えーと……」
「八坂です」
「ああ、そうだ。八坂くんだ」
彼女はそう言うと僕を品定めするかのように上から下まで視線を這わせた。
「えーと、どなたですか?」
「二年の佐倉蒔絵先輩です。生徒会の副会長をされてます」
答えたのは遠山さんだった。
「あ、そうなんだ。はじめまして。よろしくお願いします」
「ははは、同級生なんだし、敬語とかないでしょ」
「ああ、そうですね」
何か彼女のまとっている雰囲気に気おされて敬語になってしまった。でもそれも仕方がないような気がする。佐倉蒔絵は控えめに言っても美人だったし、僕なんかと違ってどことなく高貴な感じを漂わせていたからだ。ほとんどの人間は高貴な麗人が目の前に現れたら、おのずと敬語になるのではないだろうか。彼女の目はゆるぎない意志を持っているように強く、その目で問いかけられたら何でも正直に答えてしまいそうだった。口元には絶えず微笑を浮かべている。とても同級生だとは思えない。いったいどんな人生を歩んできたらこういう風に成長するのか聞かせてもらいたいものだ。
「いや、別に用事があったわけじゃないんだ。転入生の顔を少し見てみたくなってね」
そう言ってドアを閉め立ち去ろうとする。
「え、もう行っちゃうんですか?」
「邪魔するといけないからね。あ、そうだ。生徒会の依頼、よろしくお願いするよ」
後半は僕に対して言ったものだ。
「はい、僕に何ができるのか分かりませんけれど」
「また敬語になってる」
「あ、すいません。あ、あれ?」
「次に会うときは同級生らしく話せるといいな」
僕はもう話すのを辞めてニコニコ微笑んだ。話すとなぜだか敬語になってしまう。佐倉蒔絵はドアを閉めるその瞬間までほほ笑みを絶やさなかった。何か苦手だな。漠然とそう思った。
「蒔絵先輩は、この学園で絶大な人気を誇ってるんですよ。あの五山の一角、佐倉家の長女にして我が校の花形である薙刀部の主将。生徒会副会長もされてますし、もちろん二年生の模範生として推薦されてます」
「じゃあ彼女も問題児?」
「何を言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか。蒔絵先輩は全校生徒の憧れですよ。畏敬の念を込めて蒔絵御前と呼ばれ、その名は本校どころか他校にも轟くほどなんです。そんな蒔絵先輩を捕まえて問題児だなんて問題発言ですよ。ほんとに素敵な方なんですから」
遠山さんの目が憧憬の念で満たされている。佐倉蒔絵に対しては全校生徒がこんな感じなのだろうか。少し宝塚的なものを思い描いてしまう。
「えっと、ごめん。それでその五山が……」
「ん? ああ、ゴザンていうのは五つの山って書くんですけど、かつてこの地域を平定するのに功績のあった五つの武家の末裔のことで、すごく由緒ある家系のことです」
「ふーん」
僕が聞きたかったのはそれじゃないんだけれど。
「何ですか?」
「あ、いや何でもない。そうだ、話が途中になってしまったけれど、それで僕は誰の推薦校章を取り戻してくればいいんだっけ?」
「あ、そうでした」
遠山さんも我に返る。本来の趣旨を思い出してくれたみたいだ。
「三年生の織部那月先輩です。剣道部所属ですが現在は部には全く顔を出していないみたいです。それどころか学園にも全然来ていないみたいで……。何度か返還を要請したんですけど一切返答はありません。既読スルーってやつですね。どうしますか?」
「え? 早速なの?」
「早めに手を打ったほうがいいかなと思って。夏休みになっちゃいますし」
「それはそうなのだろうけれど。……じゃあ剣道部にでも行ってみようか」
「お供します」
「いや、場所分かんないから案内して」
「あ、そうか。そうですよね。お任せください!」
そう言って、彼女は、右拳で自分の胸をどんと打った。こんなに心配なお任せくださいポーズを見るのは初めてだ。大丈夫だろうか。
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