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ふさわしい罰を与えてほしい
いつの間にか、外から差し込む陽光が明るさを弱めていた。
ハオランは腕をほどいて身体を起こす。それに続いて、眠そうな様子のシンイーがゆらりと起き上がった。
散らばった服を身にまとっていく。着終わったとき、チラッと彼を窺うが、いたたまれない面持ちでうつむいた。
ハオランは口にすべき言葉が思いつかない。どのみち通じないと気付いて、肩を落とす。
ポツンと置かれた上着を手にし、立ち上がって背を向けた。
サッサといなくなるほうがいい、と結論づけ、後ろ髪を引かれながら家を出た。
彼女への仕打ちをなかったことにしたい。だが、強い想いを抱くかぎり、いつかこうなったのかもしれない。
己をとことんまで殴りたい。
なのに、踵を返してもう一度、抱きしめたいと望む。
そんな自分に吐き気がした。
* * *
翌日の昼食どき、厨房にシンイーの姿はなかった。代わりにべつの娘が手伝っている。
ここに来られないほどショックを受けたのか。それとも、あれが原因で体調を崩したのか。
ハオランは様子を見に行かなければ、と考えて、すぐに打ち消す。
彼女はこちらの顔など見たくないだろう。
現地人たちの態度は変わらない。昨日の出来事を知らないのか、そういうフリをしているのか。
食事の席についたものの、箸は遅々として進まない。
あとから隣に座ったルイが、何気ない口調で言う。
「あの娘、いないな。交代でも頼まれたのか」
ハオランは相槌すら打てない。彼の思いつめた横顔を見て、友人がいぶかしげに尋ねた。
「お前、昨日から様子がおかしいぞ。なにかあったのか?」
「……なにもない」
「だったら、平然と言え」
ハオランは顔を背けた。相手の追求が続く。
「まさか、イーミンが行動に出たのか?」
「違う」
質問が自分を責めているようで、ハオランには耐えがたかった。
「そのほうがマシだったのかもしれない」
ほとんど食事をとっていないが、席を立つ。
友人の戸惑った呼びかけを無視し、トレーをカウンターに返した。受け取った女性も、減っていない中身に不思議そうな目を向ける。
なにもかもが針のむしろで、ハオランは逃げるように食堂をあとにした。
* * *
底なしの罪悪感と、会いたい想いで、ふたつに裂かれる。
いっそ、彼女の手で殺されればいい。
どうすれば、罪にふさわしい罰を受けることができるのだろう?
上官に報告したところで、おそらく軽い処分になる。現地の人間に告白しても、黙殺されるに違いない。
ならば、この手で自らに相応の報いを……。
そのとき、不吉な想像が頭をよぎった。もし、彼女が同じように絶望に囚われたら?
一気に血の気が引く。
いてもたってもいられなくなり、上官に適当な理由を告げて鍛錬場を飛び出した。道着姿で必死に村を駆ける。
彼女の家に着いたところで、日中は留守の可能性が高いと気付いた。
心当たりをひとつずつ捜すしかない。息が整わないまま、戸を開いた。
シンイーは、日の光が当たる場所で縫い物をしていた。ハオランが現れたことに驚き、困惑する。
彼が見るかぎり、変わった様子はない。
恐ろしい想像をしたあとだけに、ハオランは深々と息をついた。兵舎から走ってきた疲労に、どっと見舞われる。
シンイーが、かまどのそばの水桶に歩み寄った。
手拭いを浸してギュッと絞る。それからおずおずと近づいて、湿らせた布を差し出した。
そんな気遣いを受けると思わず、ハオランは面食らった。
だが撥ねつける理由はない。手拭いを受け取って、顔や首の汗を拭いた。
「ありがとう」
手拭いを返すと、この言葉は知っていたらしく、シンイーがコクッとうなずいた。
沈黙が訪れて、お互い視線を逸らす。
彼女は背を向け、ふたたび水桶のほうへ戻った。
シンイーは普通に接してくる。平気なフリをしているだけかもしれない。
そう考えつつ、ハオランは情けなくもホッとした。
自分が彼女の貞操を奪った事実に、変わりはない。
こうして顔を合わせることを許してもらえるなら、償えるだろうか。
ハオランは華奢な背中に呼びかけた。
「シンイー」
彼女が振り返る。
ハオランはその場にひざまずき、地面に手をついて頭を下げた。
相手の立ちすくむ気配がする。次いで駆け寄る足音が聞こえた。彼の肩に手がかかり、身体を引き上げようとする。
一拍おいてハオランが上半身を起こすと、シンイーは泣きそうな顔で、首を左右に何度も振った。
土下座の謝罪は、相手を哀しませてしまうらしい。
ハオランが立ち上がると、彼女はひと安心した様子になる。そちらに向かって彼は言った。
「君の笑顔が見たい。僕にできるだろうか?」
当然ながら通じず、シンイーは首を傾げた。ハオランはかすかに笑う。
「いいんだ、伝わらなくて。きっと困らせる」
もどかしそうな彼女に向けて、うなずいてみせる。最後に「それじゃ」と告げ、家を出た。
すこし遠ざかってから振り返る。戸口に立つシンイーが、もの問いたげな目で見送っていた。
* * *
月曜の昼、食堂に行くと、厨房に彼女の姿があった。いつもと変わらず真面目に働いている。
一緒にカウンターに並ぶルイが言った。
「今日はちゃんといるじゃねぇか。よかったな」
「ああ、まぁ……」
曖昧に答えると、友人は不可解そうな顔をした。
「沈んだり浮上したり、忙しい奴だな。やっぱりなにかあったんだろ」
「……よく分からない。僕はこうしていていいのか」
抽象的なことしか口にしないハオランに、ルイは肩をすくめた。
「なるようになるだけだ」
こちらの声が聞こえたらしく、調理台に向かうシンイーが振り返った。ハオランの姿を認めて、小さく会釈する。
すぐ作業に戻ったため、彼が応じる間もなかった。
ルイは軽い口調でひとりごちる。
「仲たがいしたわけじゃなさそうだ」
トレーが出てきたので、ルイはその場を離れた。自分の料理が用意されるのを待ちながら、ハオランは彼女の背中を見つめた。
どうすれば力になれるだろう?
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