最終章:懐かしきバビロン

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最終章:懐かしきバビロン

 それから数ヶ月後。  私は灰色の斑の入った白い馬に乗って、バビロンの街の外を走っていた。  どこまでも抜ける青空の下、爽やかな風が丘陵を越えてゆく。  丘の下に広がる農地には緑に輝く(シェウ)の畑があり、いずれ黄金色に色づいて収穫を迎える。  バビロンの豊かな穀倉地帯を支えるのは、ユーフラテス河の(ムー)と、その灌漑設備だ。  馬に乗ったまま丘の上に立ち、馬をなだめながら、人影を探した。  吹き抜ける風のように、今の自分も気が楽だった。  楽に息を吸えるような気がするのは、心が自由になったからだろうか。 「ダニエル!」  どこからか陛下の声が聞こえて、馬のいななきがした。  じきに丘の下から立派な黒馬に乗った王がやってきた。  後ろに馬に乗った複数の警備兵を連れている。  彼らに向かって手を振って微笑んだ。 「お疲れさまです、陛下」 「これで西側の耕地(メーレシュ)の灌漑設備の視察は終わりだ。あとはどこだ?」 「東の大門の工事現場の視察です。責任者がもっと人員と設備を必要としているという話です」 「そうか。まず責任者の話を聞こう。後で話をまとめて、見積もりと報告書を頼む」 「はい」  あれから私は王宮の文官になり、王の補佐になった。  日々は忙しいけど、充実している。  王からは時々、視察に付いてこいと言われては、バビロンのあちこちに出かけていた。  おかげで、この国の経済や産業のことについて詳しくなってきた。  王はナツメヤシの木陰に黒馬で立ち、黒髪を風になびかせながら、丘の下の景色を眺めている。 「ダニエル、俺はこの国をもっと大きくするぞ。世の人が驚くような壮麗な都にする。それが俺の夢なんだ」  そう言って彼は誇らしげに、大地に広がる(シェウ)の畑の景色に目をやった。  私はその側に、白い馬に乗っていた。 「陛下は変わられましたね」  私が微笑むと、彼は少し目を細め、思いを過去にはせるように遠くを見た。 「七年間獅子(ネーシュ)であったときのことを、たまに思い出す。忘れることはない」  王の乗っていた黒馬がいななき、私の方に顔を向ける。  彼を乗せたまま、黒馬がこっちに数歩歩いて寄ってきた。 「おっと」  馬に方向を変えられた王が、革のたずなを握りしめる。  困ったように苦笑した。 「俺の馬のはずだが、ダニエルの事が気に入ってるようだな」 「はい。この馬には、前に厩舎で会いました。ずっと陛下を待っていた、強くて優しい馬ですよ」  褒めながら黒馬の首筋を撫でてやると、馬も嬉しそうにした。
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