第十二章:燃える柴

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 優しい風が吹いて、木を中心に渦巻くように舞っていた。  葉や枝がきしみながらも光彩を放っている。  おごそかに。  熱く、眩しく。  炎の柴は燃え広がりもせず、光輪を放ちながら燃えている。  熱にゆらめき、火を何重にもはぜながら。  木はゆらゆらと揺れながら、枝に何百、何千もの小さな火を灯していた。  決して消えることのない永遠の炎──。  私は誰に聞かせるでもなく、古代ヘブライ語でつぶやいた。 「これはモーゼの燃える柴(ハ・スネ・ハ・ヴエン)だ……」  モーゼの燃える柴(ハ・スネ・ハ・ヴェン)とは、出エジプトの書に出てくる、神の炎だ。  いと高きものが地上に現れ、モーゼに呼びかけたと言われる。  誰もいない周囲を見渡して、いぶかしく思う。 (それがどうしてここに? いや、ここは一体どこだ?)  怪訝に思っていると、少し離れた場所に、淡い茶色の髪の青年が影のように揺らめいて見えた。  まだ若く、少年と青年の中間と言ってもいい。  すらりとした細身で、中性的な美しさだった。  ひどく見覚えのある人影を見て、驚いてしまった。  これは私だ。私自身じゃないか!  青年は美貌といっても良かった。しかしどことなく自分の美を磨く事には、無頓着な人間の雰囲気がする。  手入れの行き届いていないふわふわした髪に、地味で簡素な生成りの服をきっちりと着ていて、図書室にいる学生のように見える。  彼はソロモン神殿の方向に向かって、真摯に祈りを捧げていた。  祈りに使っているのは、古代ヘブライ語だ。一番好きで懐かしい祖国の言葉だった。 ──我が神はただ一人の神なり……。 (ここは私の意識の奥なんだ!)  私は自分の心の奥を見せられてるんだ!  周りを見渡すと、水の中の影のように、幻像がやってきた。  エルサレムのソロモン神殿。千年に渡って民族が守り抜いてきた、契約の箱。その中に収められている、十戒を刻んだモーゼの石版……。  祈りを捧げる青年と、子供の自分が重なる。  真面目さと純粋さを持って、真摯に祈祷している。  そこに、小さな子供である自分の声が聞こえてきた。 ──我が神はただ一人の神なり……。  やっとここがどこなのか、はっきりした。  蛇に引きずり込まれて、私の心を覗かれているのだろう。  己の内側の心象風景がこんな風だとは知らなかった。  心の奥でも祈りを捧げているとは。  やや真面目すぎるというか、ヘブライ文化一色だ……。自分ってこうだったのか?!  「自分を活かすことをまるで知らない」と王から言われた事を思い出した。王宮(エカッル)務め向けの衣類を送りつけてきた彼の選択は、正しいように思えた。  磨けば光るものを磨かずに、放ったらかしにしている感じ……。 (いや、もう自己反省はこれくらいにしておこう……)  己を丸ごと見るという奇妙な体験だったが、もう頭を振って考えを追い払った。  我ながら、見せられたり見られていることに、だんだん我慢が出来なくなってきた。  燃える柴(ハ・スネ・ハ・ヴエン)や、水の影のような己の姿から離れて、虚空の闇に向かって叫んだ。 「夢渡り! そこで見てるんでしょう。私をここから出してください!」  返事はない。しかし、絶対にどこかで聞いているという、確信に近い直感があった。
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