60人が本棚に入れています
本棚に追加
今後、ユダ国に反バビロンの動きが起きれば、自分が鎮圧に向かわされるかもしれない。同じ国民同士で戦わせるためだ。
自分はユダ国支配のための、バビロンの手駒だ。
確かに高い教育は受けさせてもらえた。
衣食住も保証してもらえた。
人質としての待遇は良かったと思う。
しかしユダ国から離れてからずっと、どことなく心が麻痺している。
心の底から嬉しいとか、楽しいとかを、感じなくなった。
何かを欲しいとか、将来こうなりたいとか考えなくなった。
憤りや悲しみがないわけじゃない。
もう感じたくないだけで、それは心のどこかに沈んでいて、冷たく凍っている。
属国ユダからの、バビロニア帝国への貢納の負担は重い。
だが逆らえば、国は滅ぼされるだろう。
この華やかな都の繁栄と、敗戦国への残酷さは表裏一体だ。
石段に座ったまま、水路を眺めていると、ふいに近くで犬の鳴き声が聞こえた。
気がつくと、茶色い野良犬がすぐ隣に来ていた。
小さな犬で、私を見て鼻を鳴らし尾を嬉しげに振っている。
街の野良犬は危険だ。道のごみをあさるし、夜間に人を襲うことがある。
だが目の前の犬からは敵意が見えなかった。
いたずらっぽい黒の無垢な瞳をこちらに向けている。
「よしよし。慰めてくれるんだね」
私は手を伸ばし、ふわふわの毛をもつ犬の背を優しく撫ぜた。
犬も嬉しそうにこちらの手を舐める。
餌もないのに動物が近寄ってきて、なつくのはいつものことだった。
私には不思議な能力があって、自然に鳥や動物が寄ってくる。
特に落ち込むときは、必ずと言ってもいいほど、動物を強く引き寄せてしまう。
動物のほうが純粋な分、人間よりも分かり合えるような気がした。
「私は宮仕えより、羊飼いの方が向いてるのではないかな」
苦笑して、そんなことをつぶやいた。
今日は命拾いしたが、もし私の行った仕掛けが王にばれたら、今後どうなるか……。
玉座にいた、黒衣の王を思い出す。
黒髪に威圧感のあるたたずまいの、大きな豹のような男。
あの横暴な彼のことだ。
毒杯や首切りの処刑ならまだ良い方で、もっと残虐な刑が、自分に処されるだろう。
(あー、こわっ)
助かったものの、背筋がぞくぞくする思いで、内心私は震え上がった。
出来れば二度と会いたくない。
あの男の下で働くのは考えられない。
最初のコメントを投稿しよう!