第十一章:貴重な眠り

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 バビロンは神政(神権)政治だ。権力の裏付けが神の威光なのだから、宗教行事を王が欠かす事は出来ない。  特に三、四(ニサンヌ)月の新年祭は、国を挙げて行う大掛かりなものだ。  バビロンと巡礼路が繋がる聖地ボルシッパからは、水路(ビトク)を使い船でナブー神像が運ばれてくる。周辺都市からも着飾った数々の神像が、人々によって運ばれる。  各神殿でも重要な儀式が続き、庶民も浮かれて大騒ぎをする十二日間の祭りだ。国中の人々が家族で集まって祈ったり、ご馳走を食べたり、酒を飲む。  特にこの祭礼の頂点で一番の見所は、都中央の大通りをゆく壮麗な大行進だろう。  沢山の飾られた神像が、盛大な音楽や踊り子と共に、大観衆の中の行列通りを練り歩く。  この大行列をマルドゥク神像と共に先導するのが、王の務めだ。  音楽隊と踊り子に加え、祭司、官僚、各都市の名士などが行列に連なる。  即位したばかりの新王にとって、何が何でもこの祭りは絶対に成功させねばならなかったはず。  自分を民に周知させるためと、周辺列国への国の威信がかかっている。  私はだんだん、王の過去の果てしない忙しさが想像出来てきた。  おそるおそる、大神官に聞いてみる。 「あの……。ずいぶん多忙だったはずですが、陛下はいつ休んだんですか」  大神官の返事はあっさりしていた。 「休んでおらぬよ」  うわあ。新王って激務。  そんな風に一人で頑張っても、精神力と体力にいつか限界が来るだろう。  昼間に私がかけた術で、やっと安眠出来るようになったはず。  その状態で酒や食事を取ったら、話し合いの途中で睡魔に耐えられないのも当たり前だ。    こちらに背を向けて、疲れ切ったように寝ている王をちらっと見た。  彼が側近も護衛も連れず、ここにいることに、ずっと疑問に思ってた。  自分の弱点を秘密裏にしたかったんだ。  ずっと周囲に悟られないように、政務をこなしていたのか。  政敵もいる王宮で、弱みを見せる訳にいかないから……。  でも、もう余裕はないだろう。  精神の不安定さ。  あのヘンテコな処刑命令。  あっさり私の暗示にかかってしまうのも。  こんな風に、倒れるように眠ってしまうのも。  全部が限界の印なんじゃないか。  それに気がついて、冷や汗が流れる。  取り憑いた蛇を跳ね返せるかどうかは、宿主の体力と気力にかかってる。  王が抵抗できなくなって、倒れたら終わりだ。  深い眠りに入って、泥のように眠っている彼をみやる。  もしかして、自分たちは、思っているよりもずっと蛇に対抗出来るギリギリの地点にいるのかもしれない。  もう彼を起こす気にはなれなかった。  眠れるうちに、少しでも長く寝て欲しいと思ったから。
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