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一
人間を、食べなければ。
これが僕が生まれてから一番最初に思い浮かべたことだった。人間を食べると言っても、地球に存在する生き物たちのようにムシャムシャと獲物を食する訳ではない。命を頂くという点においては同じ意味だけれど、僕のような死神が必要としているのは人間の命だ。
死神には人間の命の大小を感じ取る能力がある。命の大小は、いわば命を宿す肉体の健康度合いや寿命の長さを指す。命が大きいのは、それを宿す肉体が元気である、あるいは長寿であるだろうと見込まれる種類の人間で、反対に命が小さいと表現されるのは、何らかの病を患っていたり、残りの寿命が短い、生気に欠けた種類の人間である。
僕は生まれてすぐに、生存本能的に人間の命を頂くことを目的として彷徨った。死神は、命の小さい、すなわち死期の近い人間を喰らう。僕もその真理法則に従って対象を求め探した。そして、僕が出会ったのは、病室で死を待つ一人の少女だった。
僕は彼女と契約し、彼女が死ぬまでの二ヶ月間を待った。そして、命をくれると約束した彼女から命をもらわないうちに、彼女は死んだ。契約した人間から命をもらえなかった死神は、七日間で死ぬ。
僕の寿命は、あと数分。彼女がいなくなった病室の窓から、僕は夜空を見上げる。まばらに煌く星々のうちのどれかが彼女なのではないかと目を凝らしてみたけれど、生前の彼女から感じた命を、それらから感じることはできない。
僕も人間のように、死んだら星になることができるのだろうか。僕は輝く彼女の隣で、一緒にこの街を見下ろすことができるのだろうか。今は手の届かない君に、また逢えるのだろうか。
「僕は死神。君の命をもらいに来た」
ある病院の病室で、僕はベッドに座る少女に言った。彼女はキョトンとした様子で首を傾げた。
「えっと……お見舞いに、来てくれた?」
彼女は僕を誰かと勘違いしているのか、見当違いのことを口にした。お見舞いはおろか、僕は彼女から命をもらいに来たのだ。
「僕と契約をしてほしい。君の命を、僕に渡してほしいんだ」
彼女は顔を歪めた。彼女は頭が弱いのか、僕が羅列した言葉の意味が理解できないかのように、さらに首を傾げた。
「あのー……ごめんなさい。私、あなたに見覚えがなくて。私は日高菜穂。あなたは?」
「なほ……」
僕は彼女が発音した言葉を復唱した。人間には既に人間という名前があるのに、さらに個々人に固有の名前が割り振られているらしい。僕は少し面白く思ったけれど、今はとにかく彼女から命をもらわなければならない。
手っ取り早く契約を結ぼうと、僕は彼女の胸元に手を伸ばした。
「きゃっ! やめて!」
彼女は僕の手を振り払おうとしたらしく、自分の手を右から左へ捌いた。けれど、僕は死神だから、彼女が僕に触れることはできない。僕は人間を含めた生き物や無機質な物体に触れることができるけれど。
彼女の手は僕の腕をすり抜けて、彼女はベッドの上で起こしている上半身を捻った。バランスを崩して短く声を上げた。
「……どういう、こと?」
「僕は死神だから、君が僕に触れることはできないよ」
彼女は僕の言葉に固まっていたけれど、やがてゆっくりとこちらに手を伸ばしてきて、僕の身体に触れようと試みた。けれど、僕は死神で彼女は人間だから、もちろん彼女が僕に触れることはできない。
「……本当に、死神さんなの?」
彼女は何故か躊躇いがちに僕の顔を見上げて訊いてきた。
「うん。何度も言っている通り、僕は死神だよ」
「……若い、んだね。最初同級生かと思ったよ」
「人間は死神の容姿について共通認識があるの?」
「えっと……人それぞれだとは思うけれど、私はおじいさんとかおばあさんかと思ってた。死神さんって……」
「ふむ。人間の書物には僕たちが老人であると記されているのだろうか」
僕がしばし思考していると、彼女は混乱した様子で、またも躊躇いがちに僕に訊いた。
「え、えぇっと……あの、ごめんなさい。私、まだ頭の整理ができてなくて……その、あなたは本当に死神さんなの? どうして私はあなたに触れることができないの?」
「うん。僕は死神で、君は僕に触れることはできない。何故人間が死神に触れることができないのかは、僕も知らない」
「そ、そっか……」
彼女は納得したのか、俯いて静かになった。
ところで、僕は先程から彼女にしているお願いを早く受け入れてほしかった。僕は彼女に改めて契約について確認することにした。
「ねぇ、僕は君の命がほしいんだけれど、契約してくれない?」
「契約……?」
彼女はまた、首を傾げた。先程までの僕に対する彼女の反応から判断するに、死神とは一度も会ったことがないらしい。どうやら、少しばかり詳しい説明が必要らしい。とは言うものの、非常にシンプルなものだ。
「死神は君のように死期の近い人間から命を頂いて生きるものなんだ。僕も例外ではなく、君から命をもらって生きようと思っている。君と僕が契約を交わした時点で、僕は君からいつでも命を頂くことができる」
逆に、僕は契約を交わした時点で彼女以外の人間から命を頂くことはできない。彼女以外の人間から命を頂くには、彼女から命を頂いてからでなければいけない。それが、死神に課せられた決まりだ。
「……やっぱり、もうすぐ死んじゃうんだなぁ、私。余命宣告されてはいるけれど、どこかで信じていなかったな。ううん、信じたくなかったんだね」
「うん。おそらくもうすぐ死ぬよ。君の命、すごく弱々しいから」
「…………死神さんが言うんだから、間違いないんだね」
彼女は視線を落として何か思案するように身を寄せた。けれど、彼女のその動作が何を意味しているのか汲み取る必要はないと判断した僕は、とにかく話を進めることにした。
「君は、僕と契約してくれる?」
「……わかった。けれど、条件があります」
「条件?」
「そう、条件。この条件をのんでくれないなら、私はあなたに命を渡さない」
彼女は僕を見つめながら、先程までとはまた違った表情で言った。彼女が僕と契約してくれなければ、僕はまた違う人間と交渉する必要が出てくる。僕は生まれてからまだ一度も命を頂いていないから、一刻もはやく人間の命を吸収したかった。だから、彼女にノーと言われればそれなりに困る。
「それは、困るなぁ」
「それさえ受け入れてくれれば、私の命をあなたにあげます。ただし、私が死ぬ間際になってからにしてほしいの。死ぬ間際の弱々しい命じゃ、あなたの腹の足しにはならないかな?」
「ううん。別に、命さえもらえれば命の強弱を考慮する必要はないよ」
「なら、決まり! あと、もう一つ条件が……」
彼女は少し顔を赤くしながら尻切れとんぼの声で吃った。
「何?」
「私が死ぬまで、私の話し相手になってほしい、です……」
「……君の、話し相手に?」
「うん。私、病気になってから家族以外とはほとんど誰とも話してないから、友達がほしいの」
「友達……僕の知らない言葉だ」
「死神さんは色々知らないことがあるみたいだね。私も死神さんに聞きたいことがたくさんあるから、これからが楽しみだよ」
「楽しみ? 普通、人間は死が近づくことを恐れるものじゃないの?」
「そうだけれど、誰とも関わらなくて心が枯れちゃうのも怖いよ。時々、生にしがみつくことを、忘れてしまうときがある」
「……よくわからないね。まぁ、とりあえず、契約しようか」
僕は彼女の胸元を目掛けて手を伸ばした。
「きゃぁっ。まだ、命は取らないでよ?」
「分かってるよ。君の胸に触れるだけ」
「そ、それにちょっと抵抗があるっていうか……」
何故か顔を赤くする彼女の胸元には、死神だけに見える光がある。僕はそれに触れて、彼女の命の所有権が僕に移ったことを確認した。これで、僕はいつでも彼女から命を頂くことができる。本当は今すぐにでも彼女から命を頂くことができるけれど、どうやら彼女は僕に色々教えてくれるらしい。知的好奇心を刺激された僕は、ひとまず彼女との約束を守ることにした。
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