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間宮裕貴6
あのレギュラー発表があった日以来、俺は、二人とは微妙な距離を置いていた。自分では不自然じゃない距離感を保っていたつもりだが、それは二人の目からは、不自然なものに映っていたかもしれない。距離を置くと言ってしまえば聞こえはいいが、実質のところ二人から逃げていたと言ったほうが正しい。二人と顔を合わせて今までと同じように話せる自信もなかったし、会うことで自分のみじめさを痛感するのも嫌だった。本当は、どうなのか聞きたい。でも聞くのが怖い。それで痛みを再確認したほうがあきらめがつくだろうか。好きな人が幸せだったらそれでいいんじゃないかって無理やり納得しようともした。でも、その考えが既に逃げてるんじゃないのかとも思った。考えないでいようとすればするほど余計に考えてしまう。俺の頭の中は、永遠に同じところを回り続けるメリーゴーランドのようになっていた。ほんと、どうするのが正解なんだろう。
「あのときはほんと、どこにもいないから心配したんだぜ。連絡しても返事も返ってこないし」
「悪い。ちょっと親に頼まれた用事を思い出してさ」
「だって制服も部室に置きっぱだったろ」
「急いでたからな」
「ふーん」
葉介は、納得したようなしていないような、どちらとも取れない曖昧な返事をした。そりゃそうだろうな。普通、こんなので納得するはずがない。当然のことだが、葉介は、自分がレギュラーに選ばれなくても、今までと同じように部活に顔を出していた。俺への接し方が変わったなんてこともない。むしろ今まで以上に色々と気遣ってサポートをしてくれている。俺は、中学からの付き合いだから、他の部員よりも葉介の性格はよく分かっているつもりだ。レギュラーどころか控えにも選ばれなかったのは、相当悔しいはずだ。それが証拠に、あの日、葉介は部室で泣いていた。その光景を思い出すと、どうしても心に痛みが走る。それは葉介を思いやっての痛みではなく、自分自身の痛み。この痛みは、時間が経てば薄らいでいくだろうか。
「そういえばさぁ、雛川って今日も休みみたいなんだけど何か聞いてる?」
「いや」
「あいつ、最近休み多くね? 何かあったのかな?」
「さあ」
「明日、出てきたら聞いてみるか」
「そうだな」
「あのさあ……」
「ん?」
「おまえ、最近、なんかおかしくね?」
「何が?」
「何がって。何か俺とか雛川を避けてね?」
「別に」
「ほら、それだよ。何か素っ気ないっていうか。俺、おまえに何かしたっけ?」
「いや、何も」
葉介は、俺の顔をまじまじと覗き込んだ。俺は、その真っすぐな視線に耐えきれずに顔をそむけた。
「ほんと何もねーよ。考えすぎだ。俺もちょっと疲れてるのかもな」
「ふーん。だったらいいんだけどさ」
葉介は、また納得しているのかしていないのか分からない曖昧な返事をした。
このとおり葉介は、以前と何ら変わりがない。だが雛川は、あの日を境に学校を休みがちになった。その原因が、俺が、あの部室での光景を見たことにあるとは思えない。そんなことは知らないはずだし。だが明らかに以前とは様子が違っていた。何ていうか、いつも何かを考えているふうで授業も上の空だった。数学の授業中に国語の教科書を開いていることもあった。そんなことは今までなかったのに。一体どうしたんだろう。
「今日、どうする?」
「あ、悪い。今日も寄らなきゃいけないところがあるんだ」
「どこだよ?」
「ちょっとな」
「親に頼まれた用事とかか?」
「まあ、そんなとこだ」
もちろん用事なんて何もなかった。ただ葉介と一緒にいるのを避けているだけだ。三人で帰るのも避けたいが、今日みたいに雛川がいないときに二人きりで帰るというのも、それはそれで息苦しい。
「俺、おまえに話があんだよな」
「今度ちゃんと聞くよ」
「絶対だぞ」
「ああ」
そう答えたものの、本当は、そんな話は少しも聞きたくない。葉介は、恐らく雛川とのことを話すつもりなんだろう。そんなの容易に想像がつく。そんな話を聞かされて、俺は一体どういう顔をすればいいんだ? まだうまく笑える自信はない。いつかちゃんと聞くから、今は許してくれ。
ちなみに、サッカーのほうはどうかというと、雛川の件での影響は全くなかった。皮肉なもので、何も考えずに機械的に一番いいと思う選択肢を選んでプレーしていたら、動きが良くなったと監督からほめられた。自分が今まで積み重ねてきたサッカー経験を恨めしく思った。だが、何とかチームに迷惑はかけずに済みそうだ。
部活練習が終わると、俺は、一人で家路についた。葉介に用事があると言った手前、真っすぐには帰れない。一旦、家とは別方向に向かい、どこかで適当に時間をつぶすつもりだ。まあ、まっすぐ家に帰っても、どうせろくなことを考えないだろうから、どこかでボーっとするほうがましかもしれない。
俺は、葉介に「じゃあな」と告げてから、駅とは反対方向の目抜き通りのほうへ向かった。今日は、例のデモはやっていないみたいだな。見上げると、この前、美好涼子がでかでかと映っていた大型ビジョンで伊瀬監督の新作映画のことを言っていた。
『いまだ主演女優は発表されず。トラブル発生か? 封切りに間に合うか?』
俺にとっては、まるで興味をそそらない話題だった。コメンテーターが、本当は美好涼子で決まっているのに、話題作りのために、わざと発表を遅らせているのではないか、というコメントをしている。一瞬、美好涼子の顔が頭の中に浮かぶ。別に美好涼子の人気なら、そんな話題作りなんかしなくても、充分話題になるのにな。癪だけれど。
ふとそのとき、人込みの中に気になる人影を見つけた。人の流れに逆らうでもなく、かといって任せるでもなく、そいつは同じ場所にとどまり周りをきょろきょろと見ていた。誰かを捜している? 黒いパーカーのフードをかぶり顔にはマスク。俺は、しばらくそいつを目で追っていた。そいつは、目的の人物を見つけたのか、ある方向に向かって歩き出した。一瞬、強いビル風が吹き、かぶっていたフードがめくれる。すぐにまたかぶり直したが、そいつは間違いなく金髪だった。
雨野!
俺は、自然と雨野を追っていた。駅のほうに向かっている。あいつ、まだ雛川のことを付け回しているのか。だとしたら、雨野が向かう先に雛川がいる。いい加減あきらめろよな。俺は、雛川の身が心配でやつを追った。いつかのスポーツ店で、雛川を知っているらしい女子高生たちが、雨野とヨリを戻したとか何とか言っていたが、今の雛川は、葉介と付き合っているはずだ。それに雛川自身も雨野からストーカー被害を受けていると言っていた。雨野を排除する、とまでは言わなくても、俺にだって雛川を守るくらいは許されるんじゃないか。もちろん、これは俺が勝手にやってることだ。雛川も、そういうつもりで俺に言ったんじゃないかもしれない。でも、そうすることで、雛川にとっての俺という存在に、俺自身、意義が見いだせるんじゃないか。
しばらく尾行すると、雨野は路地裏に入っていった。そこは、あまり人通りのない都会の死角みたいな場所だった。雛川の姿は確認できなかったが、わざわざそんな場所に入っていくこと自体が怪しい。俺は、角まで行くと、さりげなく通り過ぎるふりをして路地裏のほうを見た。
そこには雨野ともう一人。バケットハットをかぶった女がいた。その女も顔を隠すようにマスクをしていた。二人は、何か話しているふうだった。雨野の目的は、雛川じゃなかったみたいだ。その事実に少しほっとしたが、俺は、雨野が話している相手が誰なのかが気になって、一旦、その角を通り過ぎてから、もう一度逆戻りした。さっきと同じように路地裏のほうに視線をやる。しかし、そのときには既にそこに雨野の姿はなく、バケットハットの女がこちらに向かって歩いてきているところだった。
まずい。
不自然じゃないようにやり過ごさなきゃ。大丈夫、たまたまこっちに向かってるだけだ。ばれてるわけじゃない。
俺は、一瞬だけチラ見した路地裏から視線を駅前広場のほうへ移した。あえてその場で立ち止まり、何かを探しているふうを装う。俺の横を通り過ぎるかと思った女は、俺の隣で立ち止まった。ビルを見上げて誰にともなく言う。
「主演女優ねえ……。早く発表すればいいのにね」
女が見ていたのは、俺がさっき見ていた大型ビジョンだった。そこでは、まだ伊瀬監督の新作について話していた。いつまで話してんだ。他に話題はないのかよ。女も早く通り過ぎてくれればいいのに。だが、その女は、ビジョンをずっと見続けたまま、一向に立ち去る気配がなかった。それどころか、また誰に言っているのか分からない口調で言葉を発した。
「どう思う?」
え?
これって俺に話しかけているのか? 少なくとも俺は、この女のことを知らない。なのに何で話しかけてくるんだ? 年配の方たちの中には、たまにこういう人がいるが、この女は、そんな雰囲気でもない。だとしたら、こんな街中で見ず知らずの人間に話しかけるなんて、少しやばいやつなのかもしれない。もともと格好も怪しいし。それに、何といっても、あの雨野の知り合いだ。関わり合いにならないに越したことはない。俺は、気付かなかった振りをして、その場からさりげなく立ち去ろうとした。しかし、俺の肩は、女の手にガシッと掴まれ、俺は、いやが応にもこの女と関わらざるを得なくなった。
「聞いてるんだけど」
「ああ、どうでしょうねえ」
「何それ」
女は、俺の肩に手を掛けたまま、もう片方の手で一瞬だけマスクをずらして顔を見せた。
美好涼子!
「あんた、いい加減に私の顔、覚えなさいよ。これでも私、一応、有名人なんだから」
「何でおまえが」と大声をあげかけた俺は、美好涼子に口をふさがれ「何で」までしか言えなかった。そのまま、無理やり歩道の先にある雑貨店の前まで連れていかれた。
「ちょっと、気を付けてよね。言ったでしょ。私、有名人だって」
小声だったが棘のあるきつい言い方だった。でも確かに、こいつの言うとおりだ。こんなところで美好涼子が大勢の一般人に見つかったら、何かと面倒なことになる。それは俺も避けたい。一緒にいる俺まで、巻き込まれたらかなわない。
「悪い」
その件に関して、俺は素直に謝った。
「分かればいいのよ。それで、あんた、私に何か用?」
すっかりマスクを元に戻して顔を隠している美好涼子は、俺の謝罪に納得すると、改めて尋ねてきた。
「は? 別に用なんてねーよ」
「じゃあ、何で私のほうをずっと見てたのよ」
「何のことだよ」
「とぼけても無駄よ。あんたが思っているよりも、百倍くらい、あんたの行動は怪しかったから」
ちっ、ばれてたのか。意外と目ざとい女だ。でも、そんなに俺の行動は怪しかったのか? まあ、ばれてるんなら、それはそれで仕方がない。でも、何て答えたもんか。
「用なんてねーよ。それより何でおまえが雨野と一緒にいるんだよ」
俺は、さらっと本当のことを言って、そのまま話題を変えるために逆に美好涼子に質問した。
「……ああ、なるほど」
美好涼子は、少し考えてから、納得したように俺を見て笑った。その言い方からは、嫌な予感しかしなかった。事実、その直後、美好涼子は、俺に向かって嫌なことを言った。
「雛川麻衣の昔の男が気になるんだ」
ほらな。
「あんたさあ、そういうの、ほんとキモいからやめな」
「そんなんじゃねーよ。それより、おまえ、あいつといったい何を話してたんだよ」
「そんなの、あんたに関係ないし」
そう言われて俺は押し黙った。確かに、雨野とこいつの会話は全く俺に関係ない。そもそも、俺が二人の会話の内容を知りたがるってのも不自然なことだ。どうしてそんなことを聞くのか。それを知ってどうするのか。そう思うのが自然だな。話の内容は、全然雛川のことじゃないかもしれないし。ていうか、こいつと雨野はどういう関係なんだ?
「おまえと雨野の」
「それもあんたに関係ない」
美好涼子は、俺がそう言うと予想していたのか、その質問を最後まで言わせなかった。
「あんた、振られたんでしょ?」
「別に振られてねーよ」
「だって、あの夜、泣いてたじゃん」
ほんと嫌なことを思い出させる女だ。
「あれは……」
「あ、分かった。振られるとこまでもいってないんだ。告る前に誰かとくっついたとか」
こいつ、ほんとに嫌な女だな。
「ふん、図星ね。ということは、もう一人のほうか」
「おまえに関係ねーだろ」
「関係なくもないんだけど……まあいいわ。もう私、行くから。あんたの相手してるほど暇じゃないのよね」
「そっちから声掛けてきたんじゃねーか」
そうだ。俺は、雨野と話していた女がこいつだってことも知らなかったし、何も言わずにあのまま通り過ぎてくれてれば、こんな嫌な思いもしなくてすんだってのに。
「ほんと、どいつもこいつも、あんな女のどこがいいんだか」
美好涼子は、ぶつぶつと文句を言いながら、最初にいた路地裏のほうへ去っていった。そして、俺はまた、いつもどおりの雑多な駅前の風景の中に放り出された。雨野がきょろきょろしていたのは、美好涼子を捜していたんだな。ストーカーっていっても、四六時中付け回すなんてできないだろうし、少し過敏になりすぎてたか。それにしても、美好涼子のやつ、つくづく嫌な女だな。ファンが本性を知ったら、がっかりするどころの話じゃないぞ。俺は、ここにいる人みんなに聞こえるように、大声であいつの本性を叫んでやりたい、そんなことを思いながら駅に向かった。
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