間宮裕貴8

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間宮裕貴8

 後半の三十分過ぎ、それまで両チームともチャンスらしいチャンスもなく、無得点のまま膠着状態となっていた試合が始めて動いた。俺たちのボールでコーナーキックだ。普段は、中盤の底で守備をメインとしている俺も、このときばかりは前に出る。時間も時間だし、このタイミングで得点が入れば、決勝点になる可能性も高い。もちろん、相手チームも、そうはさせじと守備を固めてくる。高さのある俺にもきついマークが付いている。  セットプレーは何度も練習していたし、こういう場面でマークされることも多かったので慣れてはいるが、俺は、大会初戦という独特の雰囲気の中で、少し動きがぎこちなくなっていたかもしれない。これじゃあいけない。自分でも分かっている。スタンドで応援してくれている葉介たちレギュラーを外れたやつらのためにも、何とかこの試合に勝利しなくては。俺は、一度だけ、大きく深呼吸した。  この大事な試合に雛川の姿はなかった。来ると言っていたが、他のマネージャーたちの話では、どうやら遅れてくるらしい。それが俺から冷静さを奪っている要因の一つでもある。どうしても雨野の顔が浮かぶ。会場に到着したときに見た試合日程表で、やつが通う新東京国際高校の名前を見たから余計に頭から離れない。だが、今はそんなことを考えている場合じゃない。今、考えてもどうしようもないことだ。俺は、両手で頬を二回叩き、冷静さを取り戻そうとした。  コーナーキックは、いつも七番の高山(たかやま)がキッカーを務める。高山は、何度かボールの位置を直し、三歩下がると俺たちのいるフィールドを見て審判の笛を待った。ほんの一瞬、俺は、高山と目が合ったような気がした。  来る。そう思った。  審判の笛が鳴り、高山はボールを蹴り上げた。俺は、予想どおりの場所にボールが飛んできたことに良しと思いながら、マークを振り切ってゴール前に走り込んでいた。ジャンプしてヘディングを合わせる。ジャストショットだ。  だが、ボールは、相手キーパーの手をかすめゴールポストに当たって弾き返された。  外した!  そう思った瞬間、味方が跳ね返ったボールを右足でゴールに押し込んだ。  やった! 先制点だ!  倒れこんでいた俺は、すぐさま立ち上がり、味方と抱き合って喜びを全身で表現した。この時間帯での得点は、相手チームにとって、すごくプレッシャーになるはずだ。もちろん気を緩めたりはしないが、大きなアドバンテージは得ただろう。  事実、その後、相手チームは前掛かりに攻めてきたが、残り時間への焦りからか、プレーが雑になり、決定的なチャンスを作ることはできなかった。そのまま試合終了の笛が鳴り、俺たちは初戦を突破した。スタンドからは大きな歓声。それに応えるように、スタンドに向かって右手を挙げる俺たちイレブン。  会場の通路に出ると、そこでは葉介たち部員全員が歓喜の声を以って出迎えてくれた。そこには雛川もいた。いつの間にか会場に到着していたらしい。 「間宮くんのヘディング、惜しかったね」  何だ、見ていたのか。 「結果的に点が入ったからいい」 「お、格好いいこと言ってるじゃん、間宮。おまえのシュートがあったからこそ、あそこで点が入ったんだ。もっと自慢していいぞ。まあ、一番自慢していいのは実際に得点した俺だけどな」  俺は、急に横から現れたウザい今日のヒーローに苦笑した。 「いや、実際良かったぜ。おまえのヘディング」  葉介が俺をフォローする。俺は、それに静かな微笑みで答えた。  俺たちは、まだ初戦を突破しただけだというのに、狭い会場通路で、まるで優勝したかのように盛り上がっていた。みんな、勝利を喜んでいる。取りあえず、これでまだ俺は、ユニフォームを着ていられる。チームメイトとの時間は、まだ続く。 「祝勝会しようよ、三人で。初戦突破の」  雛川が、うれしそうにそう言った。 「お、いいなぁ、それ」  葉介は同調したが、初戦突破で祝勝会って。じゃあ、もしも優勝したら、あと何回祝勝会をしなくちゃいけないんだ? 「それ、毎回やるつもりか?」 「いいじゃない。うれしいことはみんなで分かち合おうよ」 「まあ、いいけど」 「じゃあ、決まりね。場所、どこにする?」 「そんなの決まってるだろ」  葉介は、何を今さらといった感じだ。ということは……ナポレオンか。俺は、それで異存はないが。 「間宮くんたちは、いつなら大丈夫?」 「俺はいつでも構わないぜ」  葉介は、やる気満々だ。 「俺も」  取りあえず今日じゃないなら、いつでもオーケーだ。今日だけはやめてほしい。さすがにちょっと疲れた。帰ってゆっくり眠りたい。 「じゃあ、明日ってことで」  雛川が楽しそうに段取りを進めていく。考えてみたら、雛川が仕切るっていうのも珍しいな。今までは俺や葉介に付いてくるだけだったのに。 「楽しそうじゃねーか、麻衣。俺も混ぜてくれよ」  俺たちの楽しい会話は、突然横から入ってきた下卑た声で終わりを告げた。急激に雛川の表情が曇っていく。俺も、その声でいっぺんに気持ちが覚めていった。声のしたほうを見ると、あいつがいた。雨野だ。今日は、えんじ色の制服を着ている。頭髪は、相変わらず金髪だ。  俺は、雛川をかばうように一歩前に出た。そんな俺を見て、雨野も下品な笑みを浮かべながら一歩前に出た。 「麻衣、どこで祝勝会するんだ? なあ、俺も混ぜてくれよ」  雨野は、俺を無視して雛川に話しかけ続けた。まるでおまえなんて眼中にないといったふうに。 「おい、無視すんなよ」 「なあ、麻衣。人数が多いほうが楽しいだろ」 「おいって」 「何だよ、うるせーな。今、麻衣と話してんだよ」  雨野は振り返って俺を睨んだ。そして、すぐに嫌な目つきになった。 「あ、おまえ、この前のやつだよな。確か、麻衣の……お友だちの」  雨野は、お友だちの部分をわざと誇張して言った。人を苛立たせることにかけては天才だな。その頭の良さを他のことに使えって言いたくなる。 「何しに来た」 「何だよ。自分の高校の応援に来ちゃいけないのか?」  そうだった。こいつの通っている新東京国際高校も、今日、ここで試合があるんだった。そもそもその名前を日程表で見てしまったから、そのことがずっと気になっていたのに、試合に勝った喜びで忘れてしまっていた。 「本当に応援に来たのか?」 「何それ? 他の目的で来たほうが良かったか。例えば……」 「雨野くん!」  雨野が何か言いかけたとき、雛川が、大きな声でやつの名前を呼び、それをさえぎった。 「何だよ、大きな声出して。祝勝会の場所、教えてくれるのか?」 「雨野くん、もう、こんなことしても無駄だよ」 「は?」  雨野は、雛川の言葉が予想外のものだったのか、一瞬、表情が固まったが、その後すぐに凶悪な顔つきになって雛川をねめつけた。 「私がもっとはっきりと言っていたら良かったんだよね」 「麻衣、おまえ、何、訳の分かんないこと言ってんの? 俺が笑えない冗談を嫌いなこと知ってんだろ」 「冗談じゃないよ」 「じゃあ、何だよ。言ってみろよ」  雨野は、一層、怖い顔つきになり、さっきまでよりも一段低い声で雛川に続きを促した。 「私は、もう雨野くんと関わるつもりはない。今後ずっと」  雛川は、強い意志をもった目で、真っすぐに雨野を見ていた。その言葉に込められた決意が態度に現れていた。毅然として雨野の睨みにもひるまない。 「おまえ、そんなに新しい男がいいのかよ。こんなやつら、俺がすぐに忘れさせてやるよ。また、昔みたいに楽しくやろうぜ」  そう言って、雛川の肩に手を回そうとする。雛川は、その手を振り払って再度言った。 「言ったでしょ。もうあなたとは関わるつもりがないって。これ以上続けるなら、警察を呼ぶわよ」  雛川の言葉を聞いて、雨野の顔は、みるみる紅潮していった。さすがに警察という言葉は、インパクトが強かったのかもしれない。 「面白えじゃねーか」 「雨野、行くぞ! そんなとこでよその高校の女にちょっかい出してんじゃねーよ」  雨野を呼んだのは、新国際の男子生徒グループの一人だった。そのグループに、さすがに雨野みたいな金髪の生徒は一人もいなかったが、それでも見た目からしてアウトロー集団なのが一発で分かる。それほどそいつらの纏う雰囲気は、周りに関わりたくないと思わせるものだった。偏差値の高い学校にも、こういうやつらはいるんだな。 「何あれ? 雨野、振られてね? マジウケる」 「おい、そんなこと言ってやんなよ。雨野が泣くだろ」 「あいつ、新国際の恥さらしだな」  話しているのを聞く限り、雨野の友人ていう感じでもなかったけれど、共通して言えるのは、こいつらみんな、ものすごく感じが悪いやつらだってことだ。「笑ったらかわいそうだよ」 「ほんとかわいそうだよね。一生懸命勉強して新国際に入学したのに」 「ちょっと、顔が笑ってるって」  女子グループも騒ぎを聞きつけてやって来た。だが、どの生徒もみんな、雨野のことをバカにするだけで、心配するやつは一人もいなかった。雨野の新国際でのポジションは、どうやら俺たちが思うほど良いものではないらしい。  辺りの状況に、雨野は、軽く舌打ちをした。 「麻衣、俺は、おまえを許さないからな。覚悟しとけよ。俺に、こんなにも恥をかかせたんだからな」  雨野は、そう言って俺たちに背を向けると、新国際の生徒たちのほうへ歩き去っていった。そのとき雨野が見せたのは、今までで一番憎しみに満ちた目だった。俺には、そんなふうに見えた。  雛川の毅然とした態度が雨野を追い払ったが、やつの捨て台詞を聞く限り、このまま何事もなく終わるかどうかは不安が残る。やっぱり、明日の祝勝会の後ででもちゃんと雛川に伝えよう。警察に相談するべきだと。背後では、葉介が、今のやつって知り合い? などと、まるで空気の読めていない発言を繰り返していた。
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