紘川純9

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紘川純9

 武田さんのラストシーンを撮り直して、僕の、じゃなくて僕たちのコンクール応募用の自主製作映画は完成した。あの日、武田さんが急に現れて、ずっと気になっていたシーンを撮り直しさせてくれたことで、僕は、今まで撮った作品の中で最高の出来になったと思っている。もちろん、それに満足しているわけじゃないけれど、この作品が今の僕にできる精いっぱいだと思う。これも武田さんや国見あり紗の協力があったからだ。本当に二人には、言い表せないくらい感謝している。  編集作業は、ずっと自宅でやっていたけれど、映画が完成したら、国見あり紗のマンションで上映会をしようということになっていた。まあ、上映会といっても、武田さんがいなくなった今、参加者は、国見あり紗と僕の二人だけなんだけれど。ただ思うのは、仮にも彼女は、日本中が知っているほどの有名女優だ。同じ映研の部員とはいえ、僕が彼女のマンションを訪問することに問題はないのか、ということだ。それこそ二人でいるところをパパラッチなんかに撮られたりしたら、面白おかしい見出しを付けられて炎上したりしないだろうか。小心者の僕は、そのへんがすごく心配で仕方がない。けれど、彼女は、全くそういうことを気にしたふうはなかった。ある意味、彼女らしい。  実は、編集作業は、いつもより大変だった。それも全部、僕がどうしても妥協ができなくて、色んな個所に拘り過ぎたからだ。だから、全ての撮影が終了した後も、僕は、受験生であるにもかかわらず、勉強なんてそっちのけで、夜遅くまで編集作業をする毎日が続いた。本当に苦しい日々だった。それを続けられたのも、作品が完成に近づくことが楽しみだったのと、何度も繰り返して見るほど、彼女たちの演技がすごく好きだったからだ。言っておくけれど、これは、お世辞なんかじゃない。プロの女優さん相手にこんなことを言うのも失礼だとは思うけれど、彼女たちは、僕が思っていたよりも、はるかに素晴らしい演技を見せてくれた。彼女たちは、僕が思い描けなかった、僕に欠けていた部分を、僕の想像以上の形にしてくれた。完成した作品を見るのが本当に楽しみだ。そう、僕は、編集作業を終わらせて映画を完成させてはいたけれど、まだ一度も通しでは観ていない。それは、最初の感動を主演女優の国見あり紗と分かち合いたかったからだ。間違いなく彼女が一番の功労者だから。  国見あり紗が入居しているマンションは、この辺りにしては珍しく、大きな建物だった。この場合、大きなというのは、敷地面積が広いという意味ではなく、高さがあるという意味だ。元来、この辺りでは、景観を損ねるからか、あまり高さのある建築物は建てられていない。もしかしたら、条例か何かで禁止されているのかもしれない。そのへんは、あまり詳しくはないんだけれど。僕は、マンションに到着すると、彼女が住んでいるという五階を見上げた。うん、高い。改めてそう思うと、一度、背中のリュックを背負い直した。  一階の入り口にあるインターホンで国見あり紗を呼び出す。マンション内部に入るためには、住人にドアを開けてもらわなければならないからだ。さすがにセキュリティの高いところに住んでいる。僕は、初めて訪れるマンションに感心しながら、エレベーターで彼女が住んでいる五階の部屋を目指した。 「いらっしゃい」  国見あり紗は、ドアを開けると、にこやかに笑って僕を部屋の中に招き入れた。 「お邪魔します」  靴をそろえて、部屋の中に一歩踏み入れた瞬間、花のようないい匂いが僕を迎えてくれた。思わず大きく空気を吸い込む。 「いい匂いでしょ?」 「うん。何の匂い?」 「フローラル系の何か」 「何かって」 「あまり人工的な香りは好きじゃないんだけど、この香りだけは好きだから、ずっと使ってるの」  確かに、この香りは僕も好きかもしれない。変にいやらしさがない。後で何の香りなのかパッケージを見てみよう。玄関に、それらしきものは見当たらなかったけれど、たぶん芳香剤だと思うから。  部屋は、きれいに整理整頓されていた。年中散らかりっぱなしで座るところもない僕の部屋とは大違いだ。逆に落ち着かないから、多少散らかってくれていたほうがありがたかったかも。 「何をきょろきょろしてるの? 掃除してないから、あまりじろじろ見ないでくれる」 「え? 全然きれいじゃん」 「そう? ありがと」 「でも、ここって家賃高そうだよね」 「ええ? そっち? 女子の部屋に入ったから落ち着きがないのかと思ってた」  何で少しがっかりしたふうなんだろう。 「いや、だって君は、ずっとこっちにいるわけじゃないじゃん。東京とこっちを行ったり来たりだから。だから、家賃が高いともったいないなぁって思って。何だかここ高そうだから」 「何の心配をしてくれてんのよ。ここの家賃は、事務所が半分出してくれてるの。私は、もっと安いところでも全然構わなかったんだけど、ある程度のセキュリティが確保できないと、こっちに住むのを事務所が認めてくれなかったからね」  そりゃそうだろう。自分のところの将来有望な女優さんが、手の届かないところで何かの事件や事故に巻き込まれたりしたら困る。当然、事務所としては、そういう安全面を第一に考えるだろう。それにしたって、今さらながらだけれど、事務所もよく、彼女がこっちに移り住むことを認めたなって思う。仕事の大半は東京だろうから、不便になるというデメリットしかないように思えるし。それとも国見あり紗には、そこまでしてでも、こっちに移り住まなきゃいけない理由があったのかな。確か、本人は、東京に少し疲れたって言っていたけれど。 「適当に座って。ウーロン茶でいい?」  国見あり紗は、まだきょろきょろしている僕に、冷蔵庫から取り出したペットボトルを持って揺らしてみせた。 「うん、ありがとう」 「テレビは好きに点けてね」 「オッケー」  僕は、取りあえず背中のリュックを降ろして、フローリングの上に敷かれたホワイトベージュカラーのカーペットに座ると、リモコンのボタンを押してテレビを点けた。静かだった部屋が少し賑やかになる。テレビでは、ワイドショーの芸能ニュースが流れていた。興味深そうな話題から、本当にどうでもいい下世話なうわさ話まで、面白おかしく一方的に伝えているあれだ。毎日やっていて、よくネタが尽きないなと思う。まあ、ネタがなくなったら、適当に捏造したりするなんて話もあるけれど。 『では、次の話題です』  よく見る顔のキャスターが、司会進行をしている。 『伊瀬武史監督の新作映画、遂に情報解禁!』  おお! これは、興味深そうなほうの話題だ。そういえば、あれ以来、伊瀬監督は現れなかったけれど、結局、あのとき国見あり紗と話していた映画はどうなったんだろう。主演女優は決まったのかな。国見あり紗は、出演を断っているようだし。 「はい。ああ、例の映画、情報解禁になったんだ」  そう言いながら、国見あり紗がペットボトルを差し出したので受け取った。彼女は、ペットボトルにストローを挿して飲んでいた。何だか、それだけで女優さんぽく見えるから不思議だ。実際、女優さんなんだけれど。 『新作映画のタイトルは「空色写真」!』  男性キャスターが「空色写真!」と言ったところで、国見あり紗も同じように「空色写真!」と声に出して言った。テロップのびっくりマークとは違って、全く感情はこもっていなかったけれど。  一瞬、どうして彼女が知っているんだろうと疑問に思ったけれど、考えてみたら、出演オファーを受けていた彼女がタイトルを知らないはずがない。内容だって知らされていたらしいし。別に驚くようなことじゃない。驚く前にそのことに気付いてよかった。もしも驚いて、彼女に尋ねてたりしたら、何を言われていたか分からないからな。 「映画の出演、断ったの知ってるでしょ」  なんてことを言われていたかもしれない。『なのに、どうしてそんなことが分からないの』という部分を敢えて言葉にせずに。  けれど、次にテレビ画面に表示されたテロップは、僕を驚かせるのに十分過ぎる破壊力を持っていた。この映画の主演女優。それは、何を書いているのかも分からないほどの衝撃だった。 『主演は、本作がデビュー作となる新人女優、武田茉優!』  先ほどの男性キャスターが同じように見出しを読み上げる。そして、テレビ画面いっぱいに武田さんの写真が映された。僕は、驚きのあまり、しばらくテレビ画面から目が離せなかった。  男性キャスターは、武田さんの年齢や出身地、映画に出演するようになった経緯といった情報を、順番にお茶の間に伝えている。山口県出身の十六歳とか、伊瀬監督がほれ込んだ才能とか、フルヌードも辞さない大胆な演技とか。著名な映画評論家なんかが出てきて、今年の新人賞は、恐らく彼女で決まりでしょうなんて、かなり気の早いことを言っている。  振り返って国見あり紗を見ると、彼女は、それほど驚いた様子でもなかった。さっきまでと同じように、ペットボトルのウーロン茶をストローで飲みながらテレビ画面に目をやっている。そして、僕の視線に気付いてストローから口を離した。 「何?」 「いや、あんまり驚いてない感じだから」 「何となく分かってたからね」 「そうなの?」  どこにそんなヒントがあったんだろう。僕は、国見あり紗よりも多くの時間を武田さんと一緒にいたはずだけれど、そんな僕が全く気付かなかったというのに。今から思えば、武田さんが学校に来なくなったのは、この映画の撮影をしていたからなのかなって思うけれど、そんなのは、それこそ本当に今だから言えることだ。 「空港で会ったって言ったでしょ」 「ああ、羽田?」 「そう。そのとき茉優ちゃんと一緒にいた人に見覚えがあってね。間違いなく業界の人なんだけど。たぶん事務所の人だったんだと思う」 「それだけで?」 「他にもあるよ。茉優ちゃんは、伊瀬監督が好きそうなタイプだし。どこかで茉優ちゃんの演技を見たのかも」 「あ!」  僕は、一番初めに伊瀬監督が僕たちの前に現れたときのことを思い出していた。あのとき、伊瀬監督は、急に現れて「カメラから目を離すな!」と僕に怒鳴った。カメラの向こうでは、武田さんが演技をしていたんだった。 「心当たりがあるんだ」 「うん。君を捜しに一番初めに僕たちのところにやって来たとき。でも見たのは、たぶん、そのときの一回だけだよ」 「一回見れば十分だよ」  確かに、天才と言われる伊瀬監督なら、一度見ただけでその人の才能を見抜いてしまうのかもしれない。あのとき、既に、伊瀬監督は、武田さんの才能を見抜いていたっていうことなのか。国見あり紗が出演を断ったから、武田さんに白羽の矢が立ったということか。 「何か驚き過ぎて言葉が出てこない」 「気持ちは分かるけどね」  国見あり紗が言っていた羽田空港での話とか、武田さんが学校に来なくなったこととか、伊瀬監督が武田さんの演技を見たこととか、再び武田さんが現れたときに、映画を撮っていると言っていたこととか、そういうのを全部つなぎ合わせたら、そういうことなのかもしれないけれど。でも、それでも……。 「まさか……」 「まさかが起きるのが人生なんだよ」 「僕もそう思うよ」  不意に国見あり紗の背後に現れたカムパネルラが、彼女に同意した。僕は、彼の出現に、少なからず驚いた。幸いなことに、国見あり紗は、僕のその驚きを、武田さんの映画主演のことでまだ驚いているのだと思ってくれたらしい。しかし、彼にしては珍しい。いつもは、こんな場面で出てきたりはしないのに。 「君は、本当にあの映画に出なくてよかったの?」  僕は、驚きをごまかすためと自分の心を落ち着けるため、取りあえず何かを言わなきゃという気になって、そんなことを言った。そんなことを国見あり紗に聞いても答えは分かり切っているというのに。人が何かをごまかすときに饒舌になるというのは本当みたいだ。 「今ごろまだそんなこと聞くの?」 「だよね。ごめん。でも、さっきコメンテーターの人が、今年の新人賞は決まりみたいなことを言ってたから」  適当に言ったことに対してさらに適当な言い訳をする。こうやって、どこかで積み重ねられなくなるんだな。 「知ってる? 新人賞って一回しかもらえないんだよ」 「知ってるよ、それくらい」 「私は、一回もらったからもういいの。ていうか、もうもらえないし。それに私は、こうして君とたいして面白くもない映画を撮ってるほうが楽しいから」 「たいして面白くもないとはずいぶんな言いようじゃないか。今回のは、自信作なのに」 「それって私の演技力のおかげだったりして」 「う……。そ、そうかもしれないけど」  痛いところを突いてくるなぁ。 「ふふっ、冗談だよ。ごめんごめん」 「君が言うと冗談に聞こえないよ」 「これでも実力派若手女優って呼ばれてるからね」  そう言って、国見あり紗は、得意げな表情をした。そして、ストローに口を付けて、またウーロン茶をちゅーっと飲みだす。僕もペットボトルのキャップをひねると、彼女に倣って、ごくごくとウーロン茶を飲んだ。驚きで乾いていた喉に潤いが戻っていく。  ウーロン茶を飲んだら少し心が落ち着いた。もちろん、ウーロン茶に人の心を落ち着かせるような、そんな成分は入っていないと思うけれど。でも、落ち着いたらトイレに行きたくなってきた。 「ちょっとトイレ借りていい?」 「いいよ。その奥」  僕は、国見あり紗が指差したほうに目をやり、トイレの場所を確認すると立ち上がった。  トイレを終えて国見あり紗のところに戻ろうとした僕は、奥の部屋に誰かがいる気配を感じた。国見あり紗は一人暮らしのはずだ。マネージャーの桐野さん? いや、桐野さんなら面識があるし、国見あり紗もいるならいると言うだろう。じゃあ誰だ?  少し開いたドアの隙間から恐る恐る覗くと、それは、さっき不意に現れたカムパネルラだった。他人の家で、いったい何をやっているんだ。注意しようと思ったとき、カムパネルラは、まるで僕に注意される前にというように、さささっと国見あり紗がいる部屋のほうに戻っていった。急に走ったりしたから、机の上にあった何かを引っ掛けて床に落とした。カムパネルラは、そのことに気付かずに行ってしまった。それは薄い紙きれのようなもので、落ちたときに音もしなかったから、国見あり紗も気付いた様子はなかった。まったく、人の部屋で何をしているんだか。僕は、カムパネルラが落としたものを元に戻しておこうと、勝手に入ってはいけないとは思いつつ、その部屋に足を踏み入れた。  そして、僕は、カムパネルラが落とした紙きれのようなものを床から拾い上げた。それは、一片が切り取られた写真だった。本当に机の上に戻そうと思っただけで、見るつもりはなかった。けれど、その写真に写っていたものが僕の視線を奪った。  見たこともない制服に身を包んでいる二人の男女。女の子は満面の笑みで笑っている。男のほうは渋々写っている感じだ。もしかしたら、切り取られたところにも、もう一人誰かが写っていたのかもしれない。それは、不思議な写真だった。僕は、一体これは何なのかと考えた。合成写真なんだろうか。でも、だとしたら、こんなものを国見あり紗が持っている理由が分からない。むしろ少し怖ろしい。 「何してんの?」  急に掛けられた声に驚いて振り向くと、国見あり紗がドアのところに立ち、真っすぐな瞳で僕を見ていた。  僕は、彼女のその瞳を見た瞬間、この不思議な写真について尋ねていた。そうせずにはいられなかった。勝手にこの部屋に入ってしまったことの後ろめたさすら吹き飛ばしてしまうかのような、この不思議な写真について。 「ねえ、どうして君と僕が一緒に写っている写真があるの?」
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