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間宮裕貴1
その日も練習はハードだった。学年が一つ上がって最終学年になった俺たちは、インターハイ予選に向けて毎日遅くまでグラウンドで練習をしていた。今の時点では、まだ正式なレギュラーは発表されていない。部員全員が、レギュラーの座を奪おうと必死にあがいている。特に今回が最後の大会となる俺たち三年生にとっては、レギュラーになるのと控えでいるのとでは天と地ほどの差がある。今まで頑張ってきた苦しい毎日が報われないなんて考えたくもない。目標は国立の舞台。だが、まずはレギュラーポジションを確保しなくては。層の厚い我が校サッカー部において、最大にして最初の敵はチーム内にいるんだ。
「今日も疲れたぜよー」
葉介が、わざとらしく大きめの声で愚痴をこぼす。何で土佐弁なのかは知らない。結構長い付き合いだが、坂本龍馬のファンだなんて話は聞いたことがない。もちろん高知出身でもない。突っ込むと面倒なので、ここは敢えて突っ込まない。
葉介とは中学の頃からの付き合いだ。当時から、同じサッカー部で苦楽を共にしてきた親友と呼べる存在。中学時代の大会では、俺たち二人の力で、かなり上位にまで勝ち進んだ。もちろん、他のチームメイトの力もあってこそだってことは百も承知だが。だから高校に入学しても、そこそこやれるんじゃないかって思っていた。だが、俺は、その考えが甘かったってことを入学してすぐに知ることになった。俺たちの高校は、有名な強豪校ってわけじゃないが、毎年、インターハイで好成績を残していた高校だった。だから、結構あちこちの中学から、それなりにレベルの高い選手が集まってくる。上級生はもちろんのこと、同級生ともレベルの差を感じずにはいられなかった。正直、その頃は、練習に付いていくのがやっとだった。何度も、もう部活なんてやめてしまおうと考えた。だが、その度に俺を引き留めたのは、同級生のマネージャー、雛川麻衣の存在だった。
雛川は、俺や葉介と同じように、入学してすぐにサッカー部のマネージャーになった。可愛い新入生を見て、上級生たちは明らかに色めき立っていたが、当の本人は、全くそんなことを意に介したふうもなく、三年生になる今まで浮いた話の一つも聞かなかった。逆に誰かが告白して玉砕したという話はたくさん聞いたが。
俺が必死になってレギュラーを奪取しようとしているのは、もちろん今までの努力を無駄にしたくないという思いもあるが、それとは別にもう一つの理由があった。
レギュラーになったら、雛川に告白する。
それが俺が自分に課した誓約だった。それでその後、上手くいくとかそういうことはあまり考えていない。むしろ何も考えていない。だが、思いは言葉にしないと伝わらない。黙っていて分かってもらおうなんていうのは、虫が良すぎる話だ。とはいうものの、それは、俺にとってひどく勇気のいることだった。だから自分に誓約を課した。土壇場で自分が逃げ出してしまわないように。
「室井くん、お疲れさんだよ。でも何で土佐弁?」
俺がスルーしたっていうのに、雛川がご丁寧に拾ってしまう。
「それは、今の俺が、龍馬のような心境だからぜよ」
ほら、面倒なことになってきた。
「龍馬って坂本龍馬?」
「他に誰がいるぜよ」
「そんなん知らんぜよ」
「知らないのかよぜよ」
何言ってんだ、こいつら。
「雛川、龍馬を知らないってよ。裕貴、おまえも何か言ってやれぜよ」
ああもう、ぜよぜようるさいぜよ。
「違うよ。坂本龍馬は知ってるよ」
「あ、語尾にぜよって付けるのを忘れてるぜよ」
「いや、もういいから」
雛川の冷たい一言で、唐突にぜよ祭りは終わりを告げた。よかった。
「裕貴、雛川が冷たいぜよ」
いや、終わったんじゃなかったのかよ。
「葉介が訳分かんないこと言うからだろ」
「おまえまで、冷たいぜよ」
「あのなあ」
「はいはい、終了終了。それで、今日はどこ行く?」
雛川が強引に話題を変えた。ナイス雛川。
俺たちは、部活が終わると三人で一緒に帰るのが習慣になっていた。帰る途中でどこかに寄って、ひたすらだべる。その日あったことや、誰と誰が付き合っているとか別れたとか、いや、たまにはまじめに勉強の話もした。
ん? したっけ?
しないのは俺たち自身の恋の話くらいだ。不思議なくらい、その話題については誰も触れなかった。敢えて避けているという感じでもなかったが、微妙な緊張感が走るのを嫌っていたのかもしれない。いつも三人で帰る俺たちを見て口さがないチームメイトたちは、その関係を怪しんでいたが、何もないものは何もない。少なくとも今の俺たちには。
「ナポレオンに行こうぜ。俺、ハンバーガー食べたくなった」
ようやく、ぜよ祭が終わったらしい葉介が言った。
「えー、また?」
「だって食べたいし」
ナポレオンというのは、帰る途中にある喫茶店のことだ。意外とメニューもボリュームも豊富で学生には人気の店だが、正直、オシャレ感なんてものは全くない。何でわざわざオシャレ感なんてことを言うのかというと、この前、雛川が、店内にも拘らず結構な声量で「たまにはオシャレな店にも行きたいなぁ」と言っていたのを思い出したからだ。そういうのは店を出てから言えよな。ていうか、三人でオシャレな店に行っても仕方ないだろ。でも、ナポレオンか。きっと今ごろの時間なら、客も少ないだろう。
「間宮くんは?」
「ん? 俺もそれでいい」
「そっか、じゃあ、そうしよっか」
「あー、対応の差を感じるぞ」
「そりゃ、差を付けてるからね」
「正直に言うなよ。傷つくだろ」
「傷つく人には言わないよ。私、優しいから」
「どう思う、裕貴」
「ん? ああ、いいんじゃね」
俺は、面倒になって適当に返した。
「裕貴、そういうのはよくないぞ。きっと後で痛い目を見るぞ」
「早く行こうぜ。ナポレオン行くんだろ」
「お、ああ、そうだな」
俺たちは、だいたいいつもこんな調子だ。くだらない話を適当に続けて、飽きたらまた別のくだらない話をしだす。それにも飽きたら、適当なところで話を終わらせて解散する。俺は、こんな毎日が気に入っていた。いつまでも続くことがないと分かっていても、それでもこんな毎日がずっと続けばいい、そう思っていた。それをわざわざ口に出してまでは言わないがな。恥ずかしいとかそういうんじゃなくて、そんなことは、みんな、ちゃんと心の底で分かっているからだ。
「ねえ、二人ともレギュラー取れそう?」
「雛川、デリケートな時期にデリケートなこと聞くんじゃねえよ」
これは葉介の言うとおりだな。
「だって気になるんだもん。マネージャーとして」
「マネージャーとしてね」
「え?」
あ、やべ。声に出てた。
「いや、毎日こうして俺たちと一緒に帰る雛川個人としては、どう思ってるのかなと思って」
まずったな。変な空気になってないか?
「それはもちろん私個人としても気になるよ。一年生のときからの付き合いだからね。二人ともレギュラーになれるといいなって思ってるよ」
雛川は、俺の心配をよそに、そんなことは気にしたふうもなく答えた。内心ほっとする。
「任せとけって。俺がレギュラーになって、雛川のためにゴールを決めてやるよ」
また葉介は、恥ずかしげもなくそんなことを。葉介みたいなキャラは、こういうとき得だな。得意げに右拳を高々と挙げてる。
「うん、ありがと」
「軽くね?」
「そんなことないって」
「裕貴、おまえは?」
「え?」
「え? じゃねーよ。おまえも雛川のためにゴールを決めるのかって話」
「ああ、俺も雛川のために決勝ゴールを決めるよ」
「ほんと? うれしい。ありがとう」
「だから対応が違い過ぎじゃね? 何気に決勝ゴールとか言っちゃってるし。て、おわっ! 何だ、これ?」
葉介が驚いたのは、小路から目抜き通りに出た俺たちの前に、通りを埋めるほどの大勢の人がいたからだ。何でこんな大勢の人が?
「ああ、デモだよ、これ」
雛川が冷静に葉介の疑問に答えた。
「デモ?」
確かに、その群衆の中には、プラカードを持っている人が多く混じっていた。
「デモって何の?」
「えー、知らないの? 少しはニュースとかも見たほうがいいよ。最近、めっちゃテレビで言ってるじゃん。犯罪者更生プログラムの話」
「何のプログラムだって?」
「犯罪者更生プログラム」
「何それ?」
「犯罪者の再犯を防ぐためのプログラムだって話だけど。倫理的にどうなのかって問題になってる」
「それって覚せい剤をやってた人が立ち直るためにやるやつみたいな感じ?」
「んー、私も詳しくは知らないけど、そんな感じなんじゃないのかなぁ」
「でも、それのどこが倫理的に問題なんだ?」
葉介が首を傾げる。
「だから私も詳しくは知らないって」
確かに朝のワイドショーでそんなことを言っていたような気もするが、気にしていないから、そう言われてもあまりピンとこない。それに犯罪者の再犯を防ぐためのプログラムって、正直、今の俺たちには、あまり関係がある話とも思えない。こんなことを言ってしまうと、いつ犯罪に巻き込まれるかも分からないのに、少し自覚が足りないんじゃないかって言われそうだが。でも、本当に今の俺たちには、そんなことよりも大事なことがたくさんあるから。
「てかさぁ、これ、向こう側に行けなくね?」
「だよねえ」
「どうする? 裕貴」
目的地のナポレオンは、通りを渡った向こう側にある。俺は、目の前の通りにあふれかえっている人の波をぼんやりと眺めながら答えた。
「今日は、やめとくか」
「だな。たまには早く帰るのもいいだろ。おふくろ、びっくりするかもな」
「残念だけど仕方ないよね」
そして俺たちは、今、歩いてきた小路に戻り、それぞれ帰路についた。途中で一度振り返って通りのほうを見てみたが、そこでは、やはり大勢の人がプラカードを掲げて何やら叫んでいた。彼らは、何であんなに一生懸命になって叫んでいるんだろう。雛川の言うとおり、たまにはニュースでも見てみるか。俺は、ぼんやりとそんなことを考えていた。
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