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間宮裕貴2
今日も、いつものように部活帰りに三人でだべっている。今日は、この前、寄ることができなかったなじみの喫茶店、ナポレオンにと言いたいところだが、雛川の「たまにはオシャレな店に行きたい」という意見を尊重して、ジョセフィーヌという名前のレストランに来ている。名前からして高級そうだろ。でも、このレストラン、実は、ナポレオンの経営者と同じ人がやっているらしい。いつだったか葉介がそんなことを言っていた。ちなみにナポレオンの妻はジョセフィーヌという名前なんだそうだ。これも葉介情報。世界史を専攻していない葉介がそんなことを知っているわけはないから、どこかで誰かに聞いたんだろうな。でも、もしも店の名前だけを根拠に、そんなことを言ってるんなら、何だか眉唾な情報だ。
「あ、そういえばさ。この前、デモやってたじゃん」
「おお、あの通りいっぱいになってたやつな」
「それそれ。雛川が言ってた犯罪者更生プログラムのニュースを見たんだよ」
「そんなこと言ってたっけ?」
「室井くん、全然人の話聞いてないよね」
「そんなことねえよ」
いや、そんなことあるだろ。
「見てもよく分かんなかったんだけどさ。どうもプログラムの中に、人格の更生が入ってるらしいな」
「だってそりゃ、犯罪者を更生させるんだからそうだろ」
「いや、そういうんじゃなくて、何かもう、別人みたいになっちゃうらしいぜ」
「別人? それってもう、更生っていうか改造?」
「俺もそれ思った」
「人格を変えちゃうなんて何だか怖いよね」
雛川がなぜか心持ち小声で言った。
「でも犯罪者の話だろ。人格に問題があるから犯罪を繰り返したりするんじゃねーの? まあ、どっちにしても俺らには関係ねえな」
「直接的にはな」
「でもさ、人格が変わって戻ってきたらさ、周りの人ってどんな反応なんだろうね」
雛川が、面白い視点に注目した。
「いい人になって戻ってくるんなら、それでいいんじゃねーの」
「それは、そうだけど……」
そのとき店の奥から声がした。
「麻衣」
俺と葉介は、雛川のことを苗字で呼ぶから、麻衣という呼び方にピンときていなかったが、雛川は名前を呼ばれて即座に振り返った。雛川を名前で呼び捨てにしたのは、背の高い金髪の男だった。雛川は、どういうわけだか自分を呼んだその金髪のほうを見て一瞬固まっていた。食べかけのオムライスの皿にスプーンを置くと、ゆっくりと立ち上がってそいつのほうに歩いていく。俺と葉介は、そんな雛川を何も言わずにただ見ているだけだったが、何かおかしい雰囲気を感じ取っていた。
雛川は、二言三言、その金髪と言葉を交わし、また俺たちのテーブルに戻ってきた。
「知り合い?」
「うん、中学のときの同級生」
「へえ、あれって新国際の制服だろ? あいつ、頭いいんだな」
葉介が、金髪が着ていたえんじ色の制服を見てそう言った。
新東京国際高校――比較的最近創設された高校で、国際社会で活躍できる人材の育成が教育方針。確か、英語以外の外国語なんかも選択できるグローバル思考の高校だ。もちろん偏差値は高く、入学するには、それ相応の学力を要する。俺や葉介が、どんなに逆立ちしたって入学することのできないエリート校だ。帰国子女や外交官の二世なんかも多いらしい。
「ああ、亮……雨野くんは、私たちの中学でも断トツで成績が良かったから。いつも試験は一番だったし」
「ふーん。でも新国際って金髪オッケーなんだな」
「いや、あれは校則違反かも」
どう考えたって校則違反だろ。だが俺は、あえて思っていることとは反対のことを言った。
「外人もたくさんいるからオッケーなんじゃねーの」
「そういう問題か?」
「そういう問題なんじゃね、知らんけど」
「知らねえのかよ。あ、美好涼子だ!」
葉介が、レストランの向かいに見える大型ビジョンに映し出された一人の少女に声を上げた。映画界の天才、伊瀬武史が監督としてメガホンを取った作品「夏の境界線」で一気に有名になった若手女優。最近の葉介のお気に入りだ。
「美好涼子ってさあ、うちの生徒だって話があるんだけど、一回も見たことないよな」
葉介が、大型ビジョンの中で笑っている美好涼子から視線を外さずに言う。確かにまことしやかにそんなことがうわさされているのは知っている。だが、葉介が言うように、一度たりとも学校で美好涼子の姿を見たことはないし、見たという生徒にすらお目にかかったことがない。
「それって都市伝説なんじゃねーの?」
「だよな」
「それか、夜間とか通信のほうにいるとか」
「ああ、なるほど」
全然こっちを見ない。どれだけ美好涼子に夢中なんだよ。確かに美人だが、俺に言わせると、性格のきつそうな顔をしてるなって思う。葉介に言うと即座に否定してくるだろうから面倒なので言わない。どちらかというと、俺はもっと優しそうな見た目の子のほうがいい。雛川みたいな。
雛川のほうに視線をやると、スプーンをもったまま、食べかけのオムライスをぼーっと見つめていた。何か考え事をしてるのか?
「雛川」
雛川は答えない。もう一度呼ぶ。
「雛川」
「え?」
「何だよ、どうかした?」
「え? 何が?」
「いや、ぼーっとしてるからさ」
「あれ、そうだった? 全然何も考えてなかった」
「あんな顔してた」
俺は、いまだに大型ビジョンの美好涼子に夢中になって呆けている葉介を指してそう言ってやった。
「うわっ」
雛川が声に出して引く。同類と思われるのは嫌だったらしい。自分が話題の中心になっている雰囲気を察したのか、葉介は、急に俺たちのほうに向き直って言った。
「そろそろ帰るか」
「まだ雛川のオムライスが残ってる」
「あ、いいよいいよ。私、何だかお腹いっぱいになっちゃったから」
「本当にいいのかよ?」
「うん、いい」
雛川は、リュックのファスナーを空けて財布を取り出した。財布の中から千円札を一枚取り出す。
「今日はどっちに渡せばいい?」
「今日は、俺」
「はい。じゃあ、よろしく」
俺は、雛川から千円札を受け取ると、リュックを背負いながら会計に向かった。毎日、部活が終わった後でやっている賭けで負けたから、今日は葉介の分を俺が出す。雛川の分も払ってやりたいが、雛川は、理由のないおごりを嫌う。俺なんかは、そんなのおごってもらっとけばいいんじゃないかと思うんだけどな。じゃあ、賭けに混じればいいって? それは駄目だ。雛川が入ると、毎日、雛川が払うことになってしまう。賭けにならない。雛川の勝負弱さを甘く見てはいけない。
「行くぞ、葉介」
俺は、自分から「帰るか」と言い出したのに、一向に席を立つ気配のない葉介を急かした。のらりくらりと立ち上がった葉介は、そのままレジに向かうと、会計を待たずに「じゃあ、また明日な」と後ろ手に手を振って去っていった。
「じゃあ雛川も、また明日」
俺がそう言ったとき、雛川は、俺を見てしばらく何も言わなかった。
何だ?
そして次の瞬間、雛川は、俺が予想もしていなかったことを言いだした。
「もう少し、このまま一緒にいてもいいかな?」
雛川の言葉に俺の鼓動は少し早くなった。
「別にいいけど、どうかした?」
「うーん……」
斜め下を見つめて黙り込む。明らかに様子がおかしい。
「何かあるんなら相談に乗るけど」
「実はさぁ、私……ストーカーされてるんだ」
雛川がボリュームを落として言った言葉は衝撃的だった。それは、俺が雛川のことを好きだったからなのか、それとも純粋にストーカーという言葉に驚いたのか、自分でもよくは分からなかった。今まで身近にストーカー被害に遭っている人間がいなかったからだろうか。いや、もしかしたら、俺が知らないだけで、実は今までにも、そういう人はいたんだろうか。
「それって雛川の知ってるやつ?」
「うん」
「もしかして、さっきの金髪?」
雛川は、一瞬、驚いたふうに目を大きく見開いたが、すぐに元のように平静を装った表情に戻った。それが答えということだろう。
「まあ……そうなんだけどね」
「やっぱり」
「何で分かったの?」
「だって雛川、あいつに名前呼ばれたとき、一瞬、ものすごく怖い顔をしたから」
「そうなんだ。私、そんな顔してた?」
「してた」
「そっか」
雛川は、一つ大きなため息をついた。
「一回ちゃんと話したんだけどさあ、分かってくれなくて」
「いつから?」
「もう一年くらいになる」
「それって、警察とかに相談したほうがいいんじゃね?」
「うん、でも大ごとにしたくないし」
「まあ、その気持ちは分からなくもないけどさ」
「うん……ありがと」
「よし、分かった。そういうことなら家まで送ってやるよ」
「いや、それはいい。反対方向だし、悪いから」
「いいって。そのほうが雛川も安心だろ」
「それはそうなんだけど……本当にいいの?」
「良くなかったら言わねーよ」
「じゃあ、甘えてもいい?」
「いい」
「……ありがと」
「何を今さら」
俺は、さっき少しだけ見た金髪の顔を思い出そうとしたが、どうしても思い出すことができなかった。思い出せるのは、金色の髪とえんじ色の制服だけ。しかし、一年も前からそんなことが起こっていたなんて。俺は、毎日、雛川と会っていたのに何も気付かなかった。自分のそういうところに腹が立つ。雛川は、誰に相談することもなく、一年間もずっと嫌な思いをしてきたんだろうか。でも、話してくれたということは、俺は信頼されているってことだと思う。だから、これからは俺が雛川を守ってやらなければ。こういうのに恋愛感情は関係ない。いや、まったく関係ないわけでもないな。だが、雛川が嫌な思いをするのはどうにか防ぎたい。だから俺が。雛川を家に送りながら、俺は、一人、胸のうちに決意を固めていた。
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