間宮裕貴3

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間宮裕貴3

 その日、俺と葉介と雛川は、三十分くらい電車に揺られて都心のほうに出てきていた。雛川から俺に連絡があり、一緒に行くことになったんだが、どうも葉介がスポーツ用品店に行きたくて、雛川を誘ったのが発端らしい。誘われた雛川は、どうせならということで、俺に声を掛けたみたいだ。俺は、特に買いたいものもなかったんだが、他に用事があったわけでもないし、何より雛川が葉介と二人だけで出かけることを阻止したかった。葉介が、雛川を誘ったことが何だか引っかかった。このまま行かせちゃいけないような気がした。だから俺は、着替えてすぐに家を出ると、十分後には二人と合流していた。 「こんなふうに三人で出かけるのなんて久し振りだよね」 「だな。三年になってからは、初めてじゃね? なあ、裕貴」 「なかなか三人でってのはな。でも、二人で行く予定だったんじゃなかったのかよ」  少し探りを入れてしまう自分が嫌になる。 「ああ、雛川を誘ったらさぁ、二人だとデートみたいだから裕貴も誘おうって言いだしてな。あれだけ毎日、一緒に帰ってて、今さらデートも何もないと思うけどな。てかデートって」 「いいじゃん。だって、どうせなら三人のほうが楽しいじゃない。久し振りだったし」  雛川が、何が不満なんだって顔でむくれる。でも確かに、あんなに毎日、一緒に帰ってはいたが、こんなふうに出掛けるのは久し振りだった。俺は、雛川の言葉にほっとした気持ちになっていた。少なくとも、二人で出かけるのに待ったをかけたのは雛川だったんだから。 「あと何回こんなふうに出掛けられるんだろうな」  少し安心した俺は、別に出かけたいわけでもないのに、わずかな沈黙をも埋めなきゃいけない強迫観念に囚われてそんなことを言ってしまう。典型的な後ろめたい気持ちがある人間の行動だ。すぐに自分でその不自然さに気付き、さらにまた言葉を重ねる。 「まあ、大会が終われば、また来られるか」 「どうしたよ、急に。何かちょっとセンチメンタル入ってね?」 「いや、そういうんじゃなくて」 「でも、まあ、そうだな。大会が終われば、また来られっかな。卒業するまでには」  卒業――。そうだ。俺たちは、今は大会でレギュラーになるために部活漬けの毎日を送っているが、大会が終われば、受験だの就職だのいろいろ考えなければいけなくなる。いや、本当は、今の時点でも考えておかなきゃいけないんだろう。そりゃそうだ。サッカー部だからといって、将来、プロのサッカー選手になるほどの実力があるわけじゃなし。せいぜいチーム内でレギュラーになれるかどうかって程度なんだから。 「絶対にまた来ようよ、三人で」  それまで黙って俺たちの会話を聞いていた雛川が、急に割り込んできた。雛川は、俺たち二人の間を歩いていたが、背の低い雛川は、割と背の高い俺たち二人に挟まれると、まるで小さな子どものようだった。何を思ったのか勢いよく少し前に飛び出して、俺たちのほうに振り返ると、後ろ向きに歩きながら、わざとらしく右手の人差し指を立ててこう言った。 「だって、制服でいられるのなんて、あと数カ月しかないんだよ」 「ぶっ、何か青春ドラマみたい」  葉介が茶化す。 「決まってた?」 「おお、決まってた決まってた」 「決まってたんなら、なぜ笑ーう!」  雛川は、立てた人差し指を、そのまま葉介のほうに向けて、頬を膨らませている。ほんと、テンプレの青春ドラマみたいだ。でも、案外こういうのも悪くないな。俺は、そんなことを思った自分に心の中で苦笑した。  次の瞬間、雛川が歩いてきた通行人とぶつかった。 「あ、すいません。ごめんなさい」  後ろ向きになんて歩いているからだ。でも、気付かなかった俺や葉介も悪いのか? 後で「ちゃんと言ってよ」とか言われそうな気がする。 「すいません」  俺と葉介も即座に雛川がぶつかったスーツ姿の男性に謝った。 「いや、大丈夫だよ」  その男性は、胸の前で両手のひらを俺たちのほうに向けると、にこやかな顔でそう言った。良かった、いい人みたいだ。もう一度謝ってから、その場を去ろうとする俺たちに、その男性は声を掛けてきた。いや、正確には、俺たちじゃなく、雛川に。 「ちょっといいかな?」 「はい?」  雛川が不思議そうな顔で答えた。 「君、すごくかわいいんだけど、どっかの事務所に入ってたりする?」 「いえ」 「じゃあ、芸能界とかに興味ある?」 「いえ、ないです」 「そっか、残念。でも、この名刺渡しておくから、気が変わったら連絡してよ。ぶつかったのも何かの縁かもしれないし」 「はあ……」  こういうの本当にあるんだ。俺は、初めて見るスカウトらしき光景に驚いていた。雛川の向こう側で、葉介が大きく口を開けたまま、二人のやり取りを凝視していた。いや、それは驚き過ぎだろ。  スーツの男は、雛川の返事に落胆するでもなく、かといって食い下がるでもなく、簡単に引き下がると俺たちの前から去っていった。俺や葉介よりも背が高い人だったので、人込みの中でも頭一つ出ていて、去っていく姿もずっと見え続けていた。 「あからさまに怪しくね?」  男性が完全に立ち去ったのを確認してから、葉介が雛川に言った。 「だよね」  男性が雛川に渡した名刺には、男性の名前と芸能事務所らしき会社名、電話番号が書いてあった。だが、名刺を見ても、芸能関係に疎い俺や葉介は、その会社が実在するのかどうかも分からなかった。 「もしかしたらAVとかだったりして」 「やめてよ、怖い」  確かに、こういう手口で被害を受けた女性が大勢いるという話を聞いたことがある。雛川に限って心配はないとは思うが、それでもわずかな不安を消し去るために一応忠告しておこう。 「怪しいのには、近寄らないことだな」 「うん、分かってる」  本当に、どこにどんな危険が潜んでいるか分からない。東京では特に。でも、これは自分が気を付けていればある程度は防げる危険だ。この前、雛川が言っていたような危険とは、ちょっと種類が違う。  俺たちは、最寄り駅で下車すると、少し歩き、品ぞろえの豊富な大型スポーツ店に入った。 「雛川、シューズ選ぶの一緒に見てくれよ」  葉介は、さも当たり前のように雛川に言った。 「えー、私、シューズのことなんて分かんないよ」 「一応、マネージャーだろ」 「そうだけど、実際にはやったことないからね」 「まあ、そう言わずに俺に似合いそうなのを見てくれよ。俺は、おまえのセンスを信じてる」 「うーん、分かった。間宮くんも……」 「俺、ちょっと見たいのあるから。あとで合流するわ」  俺は、雛川の言葉をさえぎってそう言うと、店内の奥に向かって一人で歩き出した。もちろん見ておきたい商品なんてなかった。二人のやり取りを見ていたら、なぜだかその場にいたくなくなったんだ。今まで、こんな気持ちになったことはなかったのに。俺は、いったいどうしてしまったんだろう。これじゃあまるで、すねているみたいだ。レギュラーになったら雛川に告白するんじゃなかったのかよ。もしかして、今さら焦っているのか? 俺が告白するまでの間に、他の誰かに取られるんじゃないかって。でも、もしそうだとしたら、どうすればいいんだろう。俺は、全く関係のないバスケットボールコーナーで、ただぼんやりとバスケットボールを見ていた。  どのくらいの時間が経ったんだろう。さすがにそろそろ合流しないと不自然かなと思ったそのとき、すぐ近くにいた女子高生の会話が聞こえてきた。 「さっきさぁ、麻衣に似た人見たんだけど、あれって麻衣なのかなぁ」 「え、どこどこ?」 「ほら、あのサッカーコーナーのところ」 「あ、ほんとだ。麻衣だ」 「行ってみる?」 「でも、男と一緒にいるじゃん」 「あれ? 麻衣って雨野とヨリ戻ったとか言ってなかったっけ?」 「あー、そんなこと言ってたよね」 「じゃあ、あれって誰?」 「さあ」  俺は、途中から、その会話に聞き耳を立てていた。雨野って、確か、この前ジョセフィーヌで会った雛川と同じ中学だった男。新国際に通っている金髪。そして雛川のストーカー。雨野を知っているってことは、彼女たちは雛川の中学時代の同級生か何かだろう。ヨリが戻ったってどういうことだ? 雛川は昔、あいつと付き合ってたのか? いや、雛川は、あいつのことを避けていたはずだ。葉介と雛川のやり取りを近くで見ていたくなくて逃げてきたのに、どうしてその逃げてきた先でこんな話を聞いてしまうんだろう。 「間宮くん!」  そのとき、雛川が俺を呼んだ。雛川のほうを見ると「間宮くんも一緒に見てよ」と言って俺に手招きをしている。俺は、内心では、名前を呼ばれてうれしかったのに、仕方ないなという雰囲気を醸し出しながら雛川のもとに向かった。 「あれ? 葉介は?」 「トイレだって」 「ああ」 「間宮くんは、目当てのもの見てきた?」 「ん? ああ」  そんなものはどこにもない。 「間宮くんも一緒に見てくれると思ってたのに、一人で行っちゃうんだもん。でも、見たいものがあったんなら仕方ないよね」  雛川の笑顔に心がきしむ。 「……ごめん」 「あ、いいよいいよ。責めてるわけじゃないから」  そんなふうに言われると余計に自分を責めてしまう。でも、葉介のいない今なら、そんなこと気にせずに話すことができる。さっきの女子高生たちが言っていたことも聞けるんじゃないか。 「あのさ、雛川」 「なあなあなあ、雛川。お、裕貴も一緒だったのか」  俺の言葉は、戻ってきた葉介にかき消された。タイミングが悪いな。もちろん悪いのは俺のほうだ。 「どうしたの?」 「あ、そうだ。何か変なやつが雛川のほうをずっと見てたんだけど。ほら、あそこに……あれ? いない」  葉介の言葉に一瞬で俺の鼓動は早くなった。隣で雛川の体が一瞬こわばったのが分かった。俺は、考えるより先に葉介に聞き返していた。 「どんなやつだった?」 「うーん、フードかぶってたし、マスクしてたからなぁ。でも、それだけで怪しくね?」 「髪の色は?」 「髪の色? 何だよ、誰か心当たりでもあるのか?」 「いや……」 「ねーのかよ!」  葉介が大げさにずっこけるしぐさをする。雛川が雨野にストーカー被害を受けていることを話すわけにはいかない。この様子だと恐らく葉介は何も知らない。 「それって、もしかして私のストーカーだったりして」  雛川の言葉に今度は俺の体が一瞬こわばった。 「ストーカー? そんな心当たりがあるのかよ」 「いや、ないけど」 「ねーのかよ!」  葉介は、再び大げさにずっこけるしぐさをした。 「おまえら、俺のことバカにしてるだろ?」 「違う違う。だってほら、私ってかわいいし。さっきだってスカウトされたし」 「ああ、AVのスカウトな」 「うるさいなぁ」 「まあ、でも、さっきのやつがストーカーなんだったら、俺が軽くぶっ飛ばしてやるよ」  葉介は、右拳を握りしめて軽くボクシングのシャドーの真似事をした。 「ありがと。頼りにしてるよ」  雛川は、葉介が見たやつのことを逆に冗談にした。葉介も、まさか本当に雛川がストーカー行為を受けているとは思っていないだろう。だが、今の葉介の話が本当なら、そいつが雨野だった可能性は否定できない。雛川もそう思っているはずだ。むしろ雨野以外は考えられない。雛川は、大丈夫だよと言ったが、俺は、目の前でふざけている葉介と笑顔で話す雛川を見ながら、本当にこのままでいいのかどうかを考えていた。
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