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紘川純4
「国見あり紗は、どうして僕たちの映画に出ようって思ったんだろうねぇ」
「さあ、それは僕に聞かれても分からないよ」
「だって、プロの女優だよ。そりゃあ、僕は、うまく撮る自信はあるけれど、それでもやっぱり、どうしたって本当の映画にはかなわないじゃないか。だから、彼女が僕たちの映画に出るって決めた理由が分からないんだ」
「それは彼女なりの理由があるんだろ。君が映画を撮りたいのと同じで。君は、彼女を撮りたくはないのかい?」
「いや、そんなことはないよ。むしろ撮りたい」
「だったらいいじゃないか。どうしても気になるなら、本人に尋ねてみるといい。ただし、本人が本当のことを言うかどうかは分からないけどねぇ」
「本人が本当のことを言ってくれないんなら、分かりようがない」
「果たしてそうかなぁ?」
「どういう意味?」
カムパネルラは、その問いに答える代わりに少し笑うと、またどこかへ行ってしまった。カムパネルラがいなくなるのと入れ替わりで、武田さんが僕のところへ小走りでやって来た。
「すいません、ちょっと遅れちゃいました」
「大丈夫だよ。僕も今来たところだから」
「純先輩は嘘が下手ですね。今来た人間が、こんなふうに準備万端で待ってるわけないじゃないですか。でも、純先輩のそういうところ、私は好きです」
僕たちは、今日、海辺の城址公園で撮影をすることになっていた。少し早起きをして、武田さんが来るまでに小道具やらこまごまとした物の準備はもう済ませてあった。だから、彼女が言っていることは正しい。でも、遅れたといっても遅いっていうほどではないし、そういうふうに言うのがいいかなって思ったんだ。武田さんには、いつも助けてもらっているし。
国見あり紗は、依然として現れていない。あれからもう三週間が過ぎようとしている。もっと早く他のシーンを撮る予定だったけれど、どうしても仕事で撮影に行くことができないと連絡があった。忙しい芸能人だから仕方ないとも思ったけれど、そんなこと最初から分かっていたことじゃないかっていう気持ちもあった。国見あり紗がいない間は、武田さんのシーンを優先して撮っていたけれど、それにもどうしたって限界がある。コンクールに出品するまでの残り時間が減っていくにつれて、僕は、その焦りからか、なかなか現れない国見あり紗に対してのイライラを少しずつ募らせていた。
「今日は、ここからですよね?」
武田さんが、びっしりと書き込まれた台本を僕に見せて撮影シーンの確認をする。武田さんは、僕が送った台本のデータをプリントアウトして一冊の冊子にしていた。本気で女優になりたいと言うだけあって、ものすごく努力をしている。僕が書いた脚本を読んで、登場人物の気持ちが分からないシーンは、どういった感じなのか聞いてくる。僕が説明すると、でも、こういう場合はこうも考えるかもしれませんよと意見も出してくれる。僕は、自分の脚本が絶対だなんて思っていないから、武田さんのようにはっきりと意見を言ってくれるほうが助かる。もともと女の子の心理なんて空想でしか書いていないのだから。
「少しリハする?」
「大丈夫ですよ。セリフは覚えてきてるんで」
頼もしい。武田さんが、今までセリフを間違ったことは一度もなかった。たまに噛んじゃって笑ってしまうことはあったけれど。でも、そのくらいのほうが、僕も安心して撮影ができる。いつも完璧に演じられると、自分がちゃんと撮影できているかのほうが気になってくる。この前の国見あり紗のように、心を持っていかれるような演技をされると特に。
「じゃあ始めようか」
「了解です」
僕は、カメラを構えていつものように秒読みを開始した。武田さんには申し訳ないけれど、何度彼女に向けてカメラを回しても、正直、この前、国見あり紗を撮ったときのように心を持っていかれることはなかった。そのへんがやはりプロとアマチュアの違いなんだと思う。
「純先輩」
撮影を始める寸前で、武田さんが僕を呼んだ。一旦カメラを止める。どうしたんだろう。今までこんなことなかったけれど。
「どうしたの?」
「私を撮るのって、そんなに楽しくないですか?」
「え?」
武田さんは何を言っているんだ?
「純先輩は、自分で気付いていないかもしれませんけど、私を撮っているときの純先輩は、この前、あり紗さんを撮っていたときの純先輩と全然違う顔をしてるんですよ。もちろん私を撮るときは、すごくつまらなさそうです」
「そんなことは……」
「ありますよね」
僕は、うまく答えられなかった。会話に一瞬の間があった。それが答えだということを二人ともよく分かっていた。そんなに露骨に顔に出ていたんだろうか。急に心の内側に杭を付きたてられたみたいで、僕はどうすればいいのか分からなくなった。しかし、僕の呪縛を解いたのも武田さんだった。
「私、もっともっと頑張りますね。純先輩が、あり紗さんを撮るのと同じくらい、ううん、もっともっとキラキラした表情で撮ってもらえるように」
「武田さん……」
「撮影前に変なこと言ってすいません。ちょっと自分が許せなかったから。あり紗さんはプロの女優さんだから張り合っても仕方ないのに。ほんとすいません。時間もないのに止めちゃって。じゃあ、始めましょう」
今日、撮るシーンは、片思いの女の子が、駄目だと分かっていても自分の気持ちを抑えきれずに言葉に出してしまうシーンだ。今回の物語では、武田さんが演じる人物の転換点になる、物語全体としてもかなり重要なシーンだ。武田さんは、いつも自分の演じる役と真摯に向き合っている。だからこそ、国見あり紗の演技をまじかで見たことは、色んな意味で刺激があったんだと思う。でも、だからといって、そんなふうに自分を責められると心が苦しくなる。僕は、気を取り直して撮影を始めた。
『人を好きになるのに、出会ってからの時間の長さなんて関係ありますか? その時間の長さで気持ちに優劣はありますか? だったら私は永遠にあの人に勝てないってことですか?』
今日の武田さんは、何か雰囲気が違う。それがカメラ越しに伝わってくる。さっき、国見あり紗にも負けないっていうことを自分で宣言したから、いつもより気持ちが入っているのかな。すごくいい演技だと思う。何だか心がチクチクする。
『私、あの人が現れたときに思ったんです。このままだと、あの人があなたを連れていってしまうって。だから、ちゃんと伝えなきゃダメだって』
あれ?
事前に打ち合わせしたのと少しセリフが違うな。武田さんにしては珍しい。でも、今のセリフのほうが、このシーンにはマッチしているような気がする。何より武田さんの表情がいい。このまま撮影を続けよう。
『出会ってから一カ月くらいしか経っていない私の気持ちは本物じゃないって思いますか?』
今度は明らかに違う。設定が出会って一カ月とかじゃないんだけれど。これは、さすがに止めなきゃ仕方ないか。
「止めないでください、純先輩」
え?
「私……純先輩のことが好きです」
僕は、カメラ越しに僕を見ている武田さんを撮り続けた。
「……でも、僕たちは、出会ってからまだ一カ月」
そうか、武田さんは僕たちのことを言ってたんだ。
「出会ってから一カ月しか経っていない私のこの気持ちは本物じゃないって、そう思いますか?」
武田さんは、もう一度同じ言葉を繰り返した。今度は、それがセリフじゃないって分かった。
「いや……そんなことはないけど。でも……僕には、武田さんがどういう人なのか、そういう目で見たことなかったし。だから……」
武田さんは、何も言わずに僕の次の言葉を待っていた。
「ずるい言い方かもしれないけど、今の僕には、うまく答えられない」
言いながら自分でもずるいなって思う。でも、それが本当の気持ちだった。もしかしたら、それは、はっきりと断ることよりも残酷なことなのかもしれない。
「もしかして、純先輩は、あり紗さんのことが好きなんですか? それこそ、一緒にいた時間は私より短いのに」
「いや、彼女は、そういうんじゃなくて……」
本当にそうか?
僕は、自分の言葉に問いかける。僕は、国見あり紗のことをどう思っているんだろう。もちろん嫌いなんかじゃない。だからといって好きかと聞かれると、自分でもよく分からない。ただ、彼女をずっと撮っていたいとは思う。不自然な出会い方をした、よく言えば運命的な出会いって言うのかな? そんな彼女をずっと撮っていたいとは思うんだ。でも、それが好きという気持ちなのかどうかは自分でもよく分からない。
僕は、居心地の悪い空間の中で、カメラを止めるタイミングを完全に失っていた。と、そのときだった。
「彼女、いい表情するじゃねーか」
不意に掛けられた謎の声に、僕は、驚いて振り返ろうとした。
「バカ野郎! カメラから目を離すんじゃねぇ!」
「はい」
僕は、どこの誰だか知らない人に意味不明に怒鳴られて、なぜだか敬語で返事をして、振り返りかけた体をまた武田さんのほうに戻していた。だが、カメラの向こうの武田さんの言葉に、結局振り返ることになった。
「あ、伊瀬武史」
「え?」
振り返ると、そこには、映画界の天才と呼ばれている伊瀬武史監督が立っていた。映画を撮影する者のはしくれとして、当然、僕でもその顔は知っている。もちろん実物を見るのは初めてだったけれど。
「あーあ、完全に切れちまったな。これじゃあもう駄目だ。いい感じだったんだがなぁ」
「あの……」
「いいか、映画ってのは、しょせんまがい物なんだ。リアルじゃねーんだよ。それをいかにリアルに近づけるかなんて言うやつがいるがそうじゃねえ。まがい物の中にリアルを見つけるんだよ。分かるか?」
「はあ……」
「ん? ああ、わりぃ。あのお嬢ちゃんがいい表情してたもんで、つい口出ししちまった」
「いえ、それはいいんですが」
「ああ、そうか。俺がどうしてこんなところにいるかってことだな?」
そうだ。あの『海に彼方に見えるもの』で、国見あり紗が数々の新人賞を受賞したように、同作で伊瀬監督もたくさんの監督賞を受賞していた。一部では鬼才とも呼ばれている映画界の俊英。そんな人がどうしてこんなところに?
「おまえら、萩相徳高校の映研だな?」
「はい」
「あり紗はどこだ?」
「あり紗って、国見あり紗のことですか?」
「そうだよ。他に誰がいるんだよ」
「国見あり紗なら、今日は来ていません。ていうか、しばらく見てないです」
「マジかよ! こんなところまで来たってのに」
「国見あり紗に何か用事ですか?」
「まあな。でも、あり紗がいねーんじゃ、これ以上ここにいても意味はねえな。わりぃ、邪魔したな」
そう言って、伊瀬監督は、軽く右手を挙げると僕たちに背を向けて歩き出した。だが、三歩くらい歩いたところで急に立ち止まり振り返った。
「お嬢ちゃん、さっきのは、いい演技だったぜ」
伊瀬監督は、振り返って武田さんにそれだけを言うと、ゴム草履の音をペタペタとさせながら、今度は本当に去っていった。伊瀬監督が去った後で、僕と武田さんは呆気に取られて、しばらくお互いの顔を見合わせたまま言葉も出てこなかった。先に言葉を発したのは、武田さんだった。
「純先輩、私、伊瀬監督の実物、初めて見ました」
「僕もだよ」
「あり紗さんに何か用事だったんですかねぇ?」
「みたいだね」
「また伊瀬監督の映画に出るんでしょうか?」
「かもしれないね」
僕は、伊瀬監督が国見あり紗を捜しているという事実に少し胸騒ぎを覚えながら、現れない彼女のことを考えていた。彼女が伊瀬監督の映画に出るなら、僕たちと映画撮影をしている時間なんてなくなるんじゃないだろうか。まさか、このまま現れないなんてことはないよな。僕は、誰にともなく心の中でつぶやいていた。
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