兄弟の絆、そして決意 -兄の過去-

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兄弟の絆、そして決意 -兄の過去-

第一話 アメジストクルーズ船自爆テロ事件 兄8歳 真夏の昼下がり、庭の何処かでミンミンゼミが(やかま)しく鳴き、テレビの音に対抗する。邪魔されてたまるかと、俺はテレビの音量を上げた。 ふと弟の勇希(ゆうき)が後ろで寝っ転がっていたことを思い出して、テレビの音量を上げてしまった所為で起きてしまってないかと背後を見てみれば、汗で額にべとりと髪をはりつけたままの勇希の瞼は閉じられていた。 俺は、ほっとして視線をまたテレビへと向けた。それから暫く、夏休みスペシャルでたまたまやっていたアクション映画に釘付けになっていたが、とうとう耐えきれなくなり、「あっつぅー」と居間の畳から腰を浮かせ足が自然と台所へ向かう。 ただでさえ暑いというのにセミの声を聞いてると、もっと暑く感じる。 こういうときはやっぱりアレだな。 冷凍庫からイチゴバーを一本取り出すと、ふと洗い物をしていた母と目が合う。「お風呂あがりは無しだからね」と釘を刺されてしまった。「……はい」と思わず苦笑する。 袋を剥ぎ捨てアイスを(くわ)え、居間に戻り再び腰を下ろす。アクション映画の続きを──と思ったのだが、テレビ画面の上方に『緊急速報』と白い文字が浮かび、右から左へとテロップが流れていった。 地震か? 『緊急速報』といえば、大抵地震であるから、他の可能性は特に考えなかったし、内容を気にも留めなかった。 次の瞬間、画面がニュースに切り替わった。 テレビスタッフが慌ただしく動き、ニュースキャスターに原稿を渡しているところから始まった。 『───緊急速報です。番組内容を変更してお送り致します。東京湾で寄港中のアメジストクルーズ船が爆発したとの情報が入りました。中継を繋ぎます。田中さん』 『はい。ご覧ください。東京湾で寄港中のアメジストクルーズ船が爆発したとのことで上空から撮影しております。現在、爆発は起きておりませんが、クルーズ船は炎に包まれており、生存者の確認が出来ない状態で────』 中継はまだ続いている。  嘘……だろ?  心臓が嫌な音を立て始める。茫然(ぼうぜん)とする。内容が全く頭に入ってこない。手が震え、持っていたアイスが滑り落ちた。空いた両手で頭を抱える。掌にぬめり……とした汗がへばりつく。暑さによる汗とは別の。 父………さんは? 今日、何の船に乗ってるんだっけ? 一昨日、父さんと話した電話の内容を思い出す。 『正義(まさよし)、明後日、アメジストクルーズ船っていうでっかい船に乗って家に帰るよ。そしたら、いっぱい遊ぼうなぁ』 穏やかで優しい父さんの声が鮮明に浮かぶ。 嘘……だ。 嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ‼︎ 呼吸が浅くなる。酸素が足りず苦しくなる。苦しくて生理的に涙がぶわりと溢れる。苦しくて自分の体を抱き締め、呼吸を整えることに努める。 意識が遠のくようにセミの声とテレビの音が小さくなる。耳に入るのは自分の心音。 台所で洗い物をしている母さんの背に絞り出すような震える声で呼びかける。 「母……さん……!」 一度で聞こえる大きな声で。今の状態で、二度も呼べる自信がなかった。   ようやく洗い物を終えたのか「なに?」と蛇口を止め、濡れた手をタオルで拭きながらこちら見る。目が合い、伝わったことに安堵(あんど)し、俺は再度、呼吸を整えることに努める。 眼を丸くし、足音を大きく響かせ駆け寄る母。 ジジジ……と庭のセミが離れる音。 「どうしたの、真っ青よ……」 眉を下げた母が俺の頬を両手で包み顔を覗き見る。 セミの鳴き声に対抗し、音量を上げたままのテレビ音が大きく居間に反響する。 『繰り返します。東京湾で寄港中のアメジストクルーズ船が爆発しました。クルーズ船は炎に包まれており、生存者の確認がとれておりません。乗客員は約2500人、乗組員1211人とのことで────』 「父、さんが───」と続く言葉が見つからないまま母を見る。 母は視線をテレビを向けて顔を白くしたが、「大丈夫。大丈夫よ、きっと」と俺を抱きしめ(なだ)めた。(なだ)め、背中をさすってくれる母の手に安心し、呼吸も心音も静かな律動を取り戻し始め、涙も引いていった。 畳を汚したイチゴバーは半分溶けて、それが飛び散った赤い血を連想させた。 とてつもなく嫌な予感がした。 ふと、畳に広がる赤い液体に自分の父の倒れた姿を重ねてしまい、ドクリと心臓が耳を撃つように大きくゆっくりと一度跳ねる。 大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫大丈夫だ………きっと父さんは生きている。母さんだって、大丈夫だって言ってた! 父が死んでしまったかもしれないという恐怖と不安で再び呼吸が乱れるのを恐れひたすら自分に言い聞かせる。 "父さんは、きっと生きている" ただの悪い白昼夢だ……きっと。 そう信じて疑わなかった。   「兄ちゃん、どうしたの?」 異様な空気を感じたためか、勇希が目を擦りながら、のそりと身体を起こして聞いてくる。 だが、今の俺に説明する余裕などなく、震える唇をきゅっと結んだまま、ただじっと勇希の目を見返すしかなかった。 父さんはきっと生きている。だから、全部終わった後に勇希に話せばいい。無意味に勇気を不安にさせる必要はない。自分の中でそう言い訳する。 母さんも俺と同じような考えだったのか、俺と勇気の頭を「大丈夫よ」と言いながら撫でるだけで、説明することはなかった。
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