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第七十六話 リスクを知らず、服部和毅は── ③
この状態で、コイツに触ったらどうなるんだろう。この幽体離脱現象は、幽霊と同じような実体になるわけだから、すり抜けるんだろうな。
そう考えながら、恐る恐る目の前にいる男に手を伸ばした。しゅるりと幽霊のように人の身体をすり抜けてみようかという興味も一瞬あったが、使い勝手のわからないこの身体は、不思議なことでいっぱいで、どんな行動をとれば結果がどうなってしまうかは想像つかない。だから、なるべく慎重に動くことにした。
ポンと男の肩に利き手である右手を置いた。触れたことに俺は一瞬驚き目を丸くするが、驚きを噛み締めている暇もなく、身体が呑まれるような捕食されるかのような感覚に襲われて焦った。
ハッとしたときには、気味の悪い感覚はすでになくなっていた。身体に痛みはなかったが、少し重いような気がする。
あれ? 男は?
いつのまにか、男の姿が消えていた。
見失った⁉︎
あの一瞬で一体、どこへ行ったんだ。ふと足元に違和感を覚えて、視線が下に向かう。
床に足をついている……。
それは、普通のことだが、今はそうじゃない。
俺は幽体離脱していたはずなのに、何故床に足が着いているんだ⁉︎ まさか⁉︎
部屋から飛び出して、洗面所を探す。そこに設置されている、鏡を見つけて俺は目を丸くした。
ペタペタと自分の顔らしきものに触れて確認する。鏡の中の人物は、俺と同じような動作を披露し、動作のタイミングがずれることは一切としてない。
「俺は、乗り移ったのか……?」
そうか、俺は男の身体の中に入って身体を操っていたのか。暫くすると、視界が真っ黒に染まり始め呑まれるような気持ち悪さに包まれ、ハッとすると男が目の前にいた。
目の前の男は、「洗面所で何してたんだっけ?」と後頭部をがしがしと掻き回しながら首を傾げてリビングへと戻って行った。
俺はまた床から重力に逆らいながら浮上し、幽体離脱した状態に戻っていた。
突如として開花した自分の得体の知れない能力に、俺は怖くなった。取り敢えず、元の自分に戻ろうとしたが、戻り方がわからない。あの時のように念じてみれば、また戻れるのではと思いつき、目をつぶって試してみたが、そんな気配もなく、俺は飛んで帰ることにした。
霊体化した身体はとても軽く、木造建築も雑居ビルをもすり抜けて、飛ぶのが楽しくなった。最初はすり抜けることに抵抗があって、ぶつかった衝撃が身体にくるんじゃないかと思い、腕で頭を庇うようにしてすり抜けていたが、それも徐々に慣れてきた。
飛んでいる時、道路標識を見て気がついた。愛理の元彼のいた場所は、横浜だったようだ。
俺の家まで大分かかるな……。
しかも、飛んでいるから何処に向かっていいのか分からなくなる。
そうだ───────!
いいことを、思いついた。
俺はニヤリと口角を上げた。
***
スーツ姿のサラリーマン風の男が、タクシーを止めて乗り込む。
「お客さん、どちらまで?」
「東京都新宿区────……まで」
中身の男は、服部和毅。
通行人の身体を乗っ取り、愛理の元へ帰ったのだった。
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