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     二  絵描きは、何だか妻の事が嫌になった。せっかく、自分は絵描きとして成功を収めて、これから順風満帆の人生を送れるのに、こう妻が素っ気ないから、結局心から幸福にはなれない。妻は、自分の成功に嫉妬しているんじゃないかとさえ、絵描きは考えた。何しろ、ちっとも世の中から認められなかった時分の絵描きをもてはやし、それに惹かれて結婚までこぎつけた女である。もしや、惹かれたふりだったのでは無いだろうか。何だか物好きな自分に酔って、舞い上がっていただけなのかも知れない。誰もが認めるこの自分を、どうしても認めたくないのが、この妻なのである。  絵描きは、こんな風に疑心暗鬼になって、自分から妻に何かしら働きかける事をやめた。妻は一向に態度を変えなかった。そんな折に、小説家から一通ファックスが届いた。なんだなんだと目を通してみると、 『僕は間違っていた。自分をとるべきだ』 と、それだけのメッセージが書き記されてある。絵描きは、なるほど、と心得て、自分は名声をとるべきだと考えた。どうせ妻を思っても彼女は振り向いてくれない。妻は、誰にも認められず、ひとりぼっちの惨めな自分しか、きっと愛せないのだ。そんな独りよがりな同情心に依存するなんて、まっぴら御免だ。絵描きは、やはり、この小説家に意見を求めて良かったと心から感謝する。 『ありがとう。僕は僕の道を進むよ。僕の周囲がどう思っても、これは僕の人生だから』  この返信を見た小説家は、ふうとため息をついて、電話をかけた。出たのは絵描きでは無く、奥さんの方であった。 「ああ、お久しぶりです」 「どうされました?」 「ああ、いや何、本当は旦那さんの方に用があったのですが——奥さん、少し話せませんかね」 「ええ、私も、あなたと少し話をしたいと思っていたところです」  かくして会談は決まり、二人は喫茶店で会った。 「やあ、久しぶりです」  髭を生やした中肉中背の小説家が現れると、先着していた奥さんの方がやつれた顔で笑いかけた。 「随分心労しているみたいですね」 「別段そんな事はありません。ただ、生きがいを失いました」 「旦那さんの絵、ですか」 「やっぱり、あなたには分かりますか」  小説家は意味深に黙って、少し顎をしやくり上げると、 「何か頼みましょう」 と話の腰を折った。  二人は飲み物を少しずつ口に含みながら、暫く他愛の無い話をした。近頃の異常気象についてや、小説家の仕事ぶり、奥さんの手芸などを一通り話し込んで、今度は小説家が 「にしても、最近の旦那さんの人気の博しようは凄まじいですな」 と本題に繋げた。奥さんは途端表情を暗くして、やっと 「ええ」 と応じた。 「どうしました? 何かお困りですか」 「意地悪ですね。分かっていらっしゃるのでしょう?」 「……奥さん。もう旦那さんに期待されるのは、やめた方が良い。彼はとっくの昔に、芸術家を辞めていたんです。そして、彼を辞めさせたのは——」 小説家は一旦言葉を詰まらせて、 「彼の心の弱さです」 「心の弱さ?」 「……ええ。心の弱さですよ……そう」 「彼は——変わってしまったのでしょうか。まさか……彼が、彼自身の理由で、変わってしまったとは到底思えません」 「人は——分からんものです」  小説家はそう言いつつ、罪の意識を身にしみて感じていた。絵描きは、もう芸術家じゃない、と言うのは、絵描きの描く絵はもう、自分の為のものじゃない、小説家が推察するに、奥さんに気に入られよう気に入られようと描く内に、彼の絵はとうとう、俗物と化したのだ。哀れなものだ。まさか愛する人が、愛する人の愛する気質を変じさせてしまうだなんて。  本来芸術と言うのは、当人にとっての慰みでしか無い。誰にも理解してもらえないような自分を呪い、打ちひしがれ、周囲には頑固、あるいは酔狂だと揶揄される。その自分を共感し、慰めるために、芸術家と呼ばれる人たちは芸術をするのである。ある人にとっては思いもよらぬ、だが、ある人にとっては羨ましくもあるのが、この芸術家と言う人種である。  しかし、だからと言って、芸術家は理解を得ると途端に衰えるわけじゃない。むしろ勢いを増し、自身の理想を拡めようと躍起になるだろう。ところが、この絵描きは、とても小さくまとまってしまった。それもこれも、奥さんを愛し過ぎるが故である、と小説家は考察している。とすると、先ほど、彼を辞めさせたのは——と発言した時、「奥さん、あなたです」とでも続けなくては、本来いけなかった。けれども、小説家はそう教えてやる気にはなれなかった。ともすると、奥さんが自責の念のあまり、自ら命を絶ってしまうのでは無いかと言う考えさえ頭によぎった。馬鹿げているかも知れないが、この奥さんも、奥さんで、只者では無いのである。奥さんは、自身の夢を、夫に投影していたのだ。——芸術家は憧れられることがあると先述した。芸術家は、表現力に優れ、創造的な発想を始終頭に浮かべていなくてはならない。誰しもが必ず、たとえ自己が周囲にあまり理解されないと感じていたとしても、立派な自身の写し絵を仕立てあげることができるわけじゃないのだ。奥さんはその意味で、技量に恵まれた孤高の絵描きに、頼らざるを得なかったのだである。  この絵描きも奥さんも、恐らく哲学に興味がある。だから、生きる意味を考えたことがあると思う。生きる意味を考えない人間はいないだろうが、彼らのような性格は特に考えるのである。絵描きは何にそれを求めることにしたのか、多分絵なのだろうが、小説家には漠然としていて良く分からない。ただ、奥さんの考えは手に取るように分かる。奥さんは、生きる意味を知る為にも、まず自分と言うものの像を把握したかった。すると、絵描きは奥さんの知りたがった、辿り着きたがった、それへの道しるべを示してくれた。彼女は酷く心を打たれたに違いない。だから、絵描きを崇めるように心から愛し、永遠に彼と生きるのだと決めた。この時点で両者は、両者にとっての、確かに、生きる意味であったのだ。  それが、絵描きの方は変わってしまった。人は刻一刻変化して行く生き物である。生き物であるからこそ、変化するのである。変わって行くにしても、それは少なくとも、奥さんの望んだ変わり方とは違った。絵描きは奥さんに気に入られたいが為に絵を描くようになって、とうとう奥さんの心を手放してしまったのだ。これは、皮肉である、と小説家は思う。皮肉でなくて何だ? 小説家は、彼女ら夫婦こそ、本来の幸せの象徴であると考えていた。お互いがお互いを必要とし、お互いに認め合い、それでもって自身のありのままを相手の中に見つけることができる。これが、幸せの意味、すなわち定義のようなものであると、この夫婦を見てそう感じていた。その強固に結ばれるように見えた、強い絆が、かくも容易にたわみ、緩くなってしまうとは想像だにしなかった。お互いに求め合い、手元の糸を夢中に手繰り合うせいで、絵描きの方が我を見失ったのだ。愚かだ、あの男は。  小説家は、最後絵描きに選択肢を示し、ついには、自分を選ぶべきだ、とまで助言した。それを絵描きが、どのように解釈したのか小説家は知らない。が、どうやら曲解されたことには間違いが無いようだ。寂しい話だ。芸術家であったはずの男が、『自分をとれ』の意味を、すなわち自身の名声と違えるとは。  ところで、小説家には、何が幸せで、誰が幸せか、ちっとも分からなくなった。前述した通り、この絵描きと奥さんの夫婦を手本に、自分もそうあれば良いなと目指してきたものだから、この二人がどうもうまくいかなくなったとなると、困るのである。幸い、小説家は奥さんのしたみたいに、憧れに足る存在を見つけ、それに惚れ込み心酔したことは無いし、絵描きのように誰か特定のある人に気に入られようと執拗に媚びた経験も無い。ただ自身の為に小説を書き、その度に少ない共感を得ながらここまでやってきた。もしや自分のように細々と芸術を維持していけるのが、幸せなのかも知れない、とすると、ちょっと幸せと言うのは物足りない、と思う。小説家は日々、より上の水準があるはずだ、あるはずだと暮らし続けてきたから、これがもう最高の到達点と思うと、途端に生きる気力を失ってしまう。だから自分が、彼ら夫婦に比べて幸せだとは、信じたくないのだ。  一体誰が、いつに、どんな形で幸せを手に入れるのか。理想を実現し、生きる意味を見出し、素直に余生を過ごすことができるのか。小説家はこの日より、四日ほど眠れぬ夜を暮らした。
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