自分をだます詐欺師を、私は許した

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 私は無職になりました。 二八歳、女、結婚はしていませんが、事実婚の夫がおります。 私は都内の有名大学を卒業し、国家公務員として霞が関で勤務すること六年。 とても充実していました。順調に出世をして、外務省エリートの夫と知り合い、今に至ります。贅沢が嫌いな私達は質素な部屋に住まい、家具は必要最低限に厳選し、外食はほとんどしませんでした。そのおかげか、二人でコツコツためた貯金はなかなかのものになりました。 なに不自由なく生活してきた、むしろ恵まれた環境に身を置いてきました。 いつか子供を産むことを考えないわけではありませんが、私が三〇になるまではこのまま仕事を続けることに夫も賛成してくれました。  だからあと二年は気兼ねなく働けたはず、だったのです。 なぜ私が大好きな仕事を手放すに至ったのか、その訳をお話ししたいと思うのです。 すべての事の始まりは、実は八年も前から足音を忍ばせていました。  私の弟は、ニートでした。 私が大学三年の夏、二歳下の弟は、入学した大学を半年で退学しました。  はっきりした理由はわかりません。 高校もさぼりがちでゲーム三昧、やっと入学した大学は世間で言うFラン大学。両親も無理に説得して卒業させようとはしませんでした。  そうやって弟は静かに世間のレールから外れていったのです。 家族はというとそんな弟を何も言わずに見守る、という立場をとりました。はっきり言うと保身です。父親は当時、一流企業の出世コースでしたから、弟を家から追い出して何か余計な問題を持って帰ってくることを恐れたのです。 大学生でアルバイトをしていた私は、弟にせめてバイトでもしたらどうか、と再三忠告しました。そのたびに弟はううん、と間延びした返事をし、煮え切らない態度で逃げるのです。ですが、私は弟がアルバイトできるなんて到底思っていませんでした。 彼は能力が低いくせに傲慢で、何度か面接に行ったことがあるそうですが、その度に面接官を見下したような態度をとり、その場で不採用を告げられることも多かったからです。  弟は生活費、食費、雑費、さらにゲームの費用までも母親にせびりました。 母親はそのたびにお金をきちんと出してやっていたのです。男のくせに私より美容院に通っていましたが、それも家計から出ていました。  そんな母親を見る度に私は気持ちが悪いと思っていました。 弟に忠告しても意味がないので、私は何度も母親を説得してきました。母親は苦く微笑みながら、「ああいう子はそのうち働くようになるから。それまで待つしかない」と言うのです。  私は父も母も大好きです。尊敬しています。弟だって本当は嫌いではありません。かわいいところもあるのです。でも、私は両親が死んだ後のことを考えずにはいられませんでした。  たとえそのうちに弟が独立したとして、まともな職につける可能性はとても低いように思います。収入だって安定しないでしょう。  最悪の場合、両親が死ぬ頃にまだニートである可能性だってあるのです。 両親が亡くなったら、いや、年金で生活するようになったら、私がその生活費を支えない、と言い切れるでしょうか。  両親に仕送りすることには異論はありません。でもついでと言ってやんわり弟の面倒を押し付けられそうで、それだけは御免なのです。  弟が私にお金を貸してくれと言ってきたことはまだありませんが、両親にその能力がなくなれば、真っ先に私の所へ来るでしょう。  そこで私は、家族と縁を切ったのです。 大学を卒業し、しばらくは学費の返済の意味もこめて両親へ仕送りをしていました。二年が経ち、すべてを完済できたわけではありませんでしたが、母親からもういいからと言われた時、私と両親は三人で話し合いました。 法律上、家族の縁を切ることはできません。ですから、縁を切るとは言っても口約束のようなもので、私の場合は絶縁状なども残しませんでした。  私が覚悟を決めて、弟の考えが変わってくれたらいい、そんな意識でした。 絶縁なんて大げさな、と思われるかもしれません。ですが、その時期ちょうど私は夫との結婚を考え始めていたのです。私はいずれ夫に迷惑がかかることを恐れて事実婚という手段を選びました。結婚とはお金の取引でもあると思っています。家族のこともあって結婚に後ろ向きだった私と、夫との妥協の末が事実婚だったのです。  外務省のエリートと、同じく国家公務員である私達は、とても恐れたのです。世間の目も、親戚からの批判も。  そうやってひっそりと生活してきた私達ですが、ここにきて色々なものが崩壊してしまいました。  きっかけは、父の異動です。 父は長年勤めていた企業をはなれ、系列会社へ異動することが決まりました。 それが老後を考えさせる一打になったのではないでしょうか。 実際がどうかわかりませんが、とにかく父の中で何か一区切りがついたのだと思います。  両親は、家を引っ越すことを決めました。 どうやら父は、そうやって弟を家から追い出そうとしたらしいのです。そうして私の家族がひっそりと隠してきた問題が泡をふきました。  私は家族と縁を切ったけれども、祖母とはこまめに連絡を取っていました。祖母は絶縁なんて関係ない、会いたくなったら会いに行くし、連絡もとると言い切っていました。もう長生きしないのだから孫に会うくらいの贅沢は許してほしいと言われてしまえば、無下にできようもありません。  ですので、これらの話はすべて祖母から聞いたものです。 結論から申しますと、弟は家を出ました。しばらくたって大量の借金を抱えて戻ってきたそうです。  つまり、皆がある程度予想していた通りになったわけです。 借りた相手は数少ない友達の一人で、先方も大ごとにするつもりは全くないと言ってくれました。お金が戻ってくるのならそれで構わないと。  母親は平謝りで彼のご家族にまで挨拶に行き、きちんと全額を返したそうですが、当の弟はまあしょうがないよなあ、と笑っていたそうです。  父親はそんな弟の頬を叩いた、と聞いています。  父親は私と同じ大学の法学部を卒業後、バブルの波に乗って一流企業に就職し、ある程度の地位を築き上げてきた人です。絵に描いたような優等生、あまりに一般人過ぎるのです。もちろん父親なりの苦労はあったと思います。でも、誰もが羨むような安定を、こつこつとめげずに積み上げていくのは並大抵の努力ではありません。私はそんな父親を誇りに思っていましたし、とてもうらやましくもあったのです。自分にはとても無理だ、と。  何が言いたいか、といいますと、私には弟の気持ちがとてもよくわかるのです。私も高校時代は不登校でした。学校に行くのは嫌だ、なんて愚痴を言いながらも登校できる周りの人間の、その神経がわかりませんでした。  私は行きたくても行けなかったのです。 学校に行ける人間の、「行きたくない」と、私の「行きたくない」は全く別物でした。前日は、とても楽しみなのです。でも、朝になると学校に行くのが恐ろしくなります。自分をだましながら通いました。本当につらかったです。  他にも、周囲がさも当然のようにやってのけるような些細なことで躓いてしまうことが多々ありました。運転免許も、ゼミの発表も、就活も、できるかできないかの狭間で揺れながら、どうにかやりきりました。薬の効かない微熱と頭痛、との闘いでもありましたが。  いつしか私も社会は向かないと思うようになりました。 そして弟の気持ちがよくわかるからこそ、恐くもなります。 自分も、いつかああなるのではないか、という不安です。  自分も社会不適合者の血が流れている。 それはもはや脅迫観念のようなもので、私を縛りました。  そもそも私は、ニートが悪いことだとは思っていません。 でも、私はニートになりたくないのです。例えば、私は高所も閉所も苦手なので、宇宙飛行士には絶対になりたくない、と思ってしまう質です(勿論、その能力もないのですが)。そういう意味で、私はニートにはなりたくないのです。  自分は社会不適合者かもしれませんが、それを否定するために就職をしました。それも、中でも公務員を目指しました。  大人になって、また自分をだましました。 大丈夫。自分ならできる。そう言い聞かせてきましたが、本当はどうせできないことを知っていたのです。そんな諦めもいつしかなぐさめに代わりました。  話が脱線しましたが、結局弟は実家に戻りました。  そして追い打ちをかけたのは、母親の病気が発覚したことです。 もともとの持病があったのですが、それに加えて新たな病気が発覚したことは、早すぎる死の予感でした。  母の病気は、母自身から聞きました。 その日、私は母が哀れで、自分が無力で、電話口で泣きました。  泣きながら、何かが崩壊する気持ちを味わったのです。 それは不格好でも規則正しく時を刻んできた時計の針が、突然ぐるぐる回り出したかのようでもありました。今まで何かを我慢し、己を抑制することにかけては器用な方だと自負してきました。でも、私が選んで、望んで着た化けの皮は、とても滑稽で、思っていたよりもずっと重かったのです。  なんて不出来な姉弟でしょうか。 母は、私の思う理想の社会人であるところの父を選んだ、とても正しい人です。二十代で結婚を機に寿退社、二人の子を産み育て、専業主婦を経てパートを経験しました。私が思う、女として理想的な生き方をしてきました。 彼女もまた、あちら側の人間で、とても一般人なのです。  絶縁したことは母なりの決意と覚悟もあったでしょうが、病気を機に心が不安定になり、私に連絡をよこしたのだと思います。そして母は、自分の今後のことについて私に涙ながらに語ったのです。 「我が儘かもしれないけれど、優に戻ってきてほしいの。お父さんと樹の間に立っていくのが私の役割と思っていたけど、もう限界。樹に世話をされるのは正直不安で。お願い、少し顔を見せてくれるだけでも息抜きになるから」  こんなことを実の母親に言わせている自分があまりに情けないと思いました。 これが五年も早かったなら、私はむしろ進んで母の世話をしたでしょう。仕事と両立しながら、時々文句も言ったかもしれませんが、どうにかしたと思います。母を放っておくだなんて選択肢にすらなかったはずです。  でも、今の私にはそれが選択肢としてある。しかも有力な候補として。 一度決意したことを曲げるのはあまり好きではありません。こだわる方です。 私はそんなことを考えている自分が嫌で、無言で母との電話を切りました。  そんな私と母の弱みに付け込んだのが、弟です。  弟には私の住所も連絡先も伝えていませんでしたが、母親の携帯から私への電話の履歴でも見つけ出したのでしょう。  とにかくなんにせよ、電話がかかってきたのです。 「もしもし、樹だけど。姉ちゃん?」 それが弟からの電話だと知っていたなら私は取らなかったでしょうが、昼間だったので仕事の電話だと勘違いしてしまいました。  久しぶりに弟の声を聴いた時、背筋がぞっとする感覚が、私を襲いました。 「ママのことで相談があるんだけど。今いい?」 私は何も言えませんでした。社会人になると聞きなれなくなる、ママという甘ったるい響きが耳障りなノイズのようでした。 樹は相手の息遣いを伺うような人間ではありません。お構いなしに要件を突き付けてきました。 「ママは病気になったの。家での世話とか俺がやるからさ。姉ちゃんどうせ帰ってこないでしょ。なんだっけ……あ、絶縁?だっけ。そんなくだらないこと言ってないでさぁ……。もういい大人だろ?ママ可哀そうだよ。本当に娘とは思えないね。母親への感謝とかないわけ。まったくさぁ……。まあ心配しなくていいけど。俺がいるから安心してよ。でも治療費ぐらい少しは出してくれてもいいんじゃないの」  私はふつふつと煮えたぎる沸騰を抑えることができませんでした。 でも私の怒り方というのは、頭がかぁっと熱くなってむしろ黙ってしまう傾向にあります。その時私は、彼の最後の言葉をそっくりそのまま言い返してやろうかとも思いましたが、黙りこくってそれを返答にしました。  弟はイライラしたようで盛大に舌打ちをした後、電話を切りました。 携帯の画面が真っ暗になっても、しばらくは呆然と立ち尽くすことしかできずにいました。  今思い返してみても、体内の血液が煮えたぎるようです。 自分を暴走させる原料にもなり得るそれを冷ますのは、大変な苦労でした。  どうして馬鹿で愚かな人間はすぐイライラするのだろうか。 私は諦めとともにスマートフォンを強く握りしめました。  ここまでが今の私を悩ませている一部始終になります。 これらすべてのことを、私は夫に打ち明けました。 「……優はお母さんのところに行くべきじゃないと思う」 夫は強い視線で、何かを訴えかけてくるようでした。 その目を見た瞬間、夫に対して申し訳ない気持ちがとめどなく溢れてきました。  私は、この愛した人以上に、憎き弟に振り回されてしまうのです。 当初、結婚を望んでいてくれていた夫は、私の家族へのトラウマを理解してくれました。夫は弟のことをよく思っているはずがないのです。でも、私が弟のことを本当の意味で嫌いになれないことも、よくわかっているのです。だから、弟の悪口をこの人は言いません。私の家族を、私を軽蔑したりしないのです。それがわかるからこそ余計に、夫に我慢を強いているようで、自分が嫌いになるのです。なんてひどい話でしょうか。自分を愛してくれている人に向き合うとき、私自身を嫌いになるだなんて。  それこそまさに贅沢です。哀れな人間のおごりです。 私にはない、一般人の能力を彼も、持っているのです。私がのどから手が出るほど欲しいその能力を、さも当然のように使いこなしてみせるのです。お手本をみせるかのようにしなやかに。そんな、常識人が持っていて当然のスキルを、当然のように持っていることに疑問すら抱かない。それが本当にうらやましいのです。私は出会ってから何度この人に嫉妬したかわかりません。 この理想的な人間に向き合って、そんな人が自分を好きだと言ってくれて、そうすればこんな自分自身でも愛してやれると思ったから、一緒になる道を選びました。  愛した人に振り回されているだけならよかった。 夫や、母や、父や、祖母の我が儘だったら何でも聞いたでしょう。自分にできることを一生懸命探し回って、この体力尽きるまで精力を捧げたことでしょう。  不本意でした。 自分はせめてまともな振りをしていたかったのです。父や母にとって手のかからない、自慢の娘でいたかった。社会になじむことだけが、親への恩返しだと思っていました。仕事も一生懸命励みました。無理がばれないように無理をしました。多くの出世も望みませんでした。そもそもこんな人間は、仕事ができるだけで十分幸福なことです。  学校にはなじめなかったけれど大学受験は成功させました。  就職試験もうまくやりました。望む職業も手に入れました。  何より、結婚はできない、事実婚ならいいと言った風変わりな私を受け止めてくれる紳士に出会えました。 運命かもしれませんが、多少は自分も努力をしたと思っています。たまには自分をほめてやってもいいと思うことはあるのです。  それなのに。それなのに。 私は何か悪いことをしたのでしょうか。どこかで間違えたのでしょうか。 今、私は脅されている……。 何にでしょうか。弟?それとも運命でしょうか。  そうして、私は無職になりました。 自分から退職届を出しました。上司は驚いて数秒固まったあと、とにかく話だけ聞きたい、といって私をランチに誘って下さいました。 「……何かあったんですね」 上司の困った声なんて久々に聴いた気がします。部署に配属された新人さんが思わず口走った若者言葉についていけなかった時以来です。 「本当に辞めてしまうのですか。ありきたりではありますが、本当に仕事ができる人だと思っています。勿論結婚とかね、まぁよくわかりませんけど出産とかね……いや、そうあるべきって話じゃないんですが」  ところどころ口ごもるのは、ナイーブな話題はセクハラとも捉えられがちであることを意識したためでしょう。 「とにもかくにも、私は正直言って反対です、辞めることは。これは上司として、じゃなくて親戚のおじさんの戯言、ぐらいに思って欲しいんですが」 そう律儀に前置きをして、私の仕事ぶりがいかに安心できるものか、そしてそれらは皆が皆できることではないだとか、気配りが上手で素晴らしいだとか、とにかく私をほめてくれる言葉をたくさんくれました。  心のこもった言葉の節々に、お世辞ではないリアリティが溢れていることは十分伝わりました。部下の細かいところもきちんと見ていてくれていたのだと。そしてそんなこともやすやすとできることではありません。  本当に良い上司にも恵まれていました。  この人もまた、私が憧れる人です。  その晩、私と夫は食卓に向かいあい、食後のコーヒーを飲みながら他愛もない話をしていました。明日の天気や、朝ごはんのことについて。 私は、話をしながら彼の男らしい手首の血管を眺めていました。 ぼうっと眺めているとその血液が愛おしくなって、気が付くと目頭が熱を帯びていくのがわかりました。  夫の手がティッシュボックスへとのびていきます。 ゴオッという鈍い音を立ててケースから大きくはみ出た一枚が、ふわりと私の手を包みこみました。 「あのね、話があるの」 私は白くて柔らかいそれを、破れないようにそっと持ち上げました。 「なに?」 いつもと変わらない、優しい響きでした。 「私、今日から自分のお金を捨てます」 夫は驚いたように目を開きましたが、やがて口元を緩ませました。  その大きな瞳に吸い込まれるように、私は息せき切って言葉を紡ぎました。 「私は退職します。無職です。貯金や通帳やカード、現金も全部あなたに渡します。ご飯も食べません。電気もつけない。服だって着ない。お風呂も入らない。椅子も、ソファも携帯もコンタクトも腕時計も全部全部、使いません」  言葉が震えました。言い終えた後も、のどの奥の振動が、鼓膜を揺らして視界をゆらすようでした。すべてが共鳴し合い、ゆれずにはいられなかったのでしょう。  夫は終始おだやかな表情で聞いていました。  私はただ座っているのがきまずくなり、今すぐ行動に移さなければ、という衝動にかられました。椅子をがたがた言わせながら立って、ライトのスイッチを消しに行きました。  リビングに、月の光だけが遠慮なく入ってきます。 夫は身動きもせず、ただじっと座っています。私の手は震えていましたが、その薄暗さはなぜだか少し安心しました。  暗闇の中でも私は自分の椅子に迷いなく座ることができました。 それが無性に安心させるのです。お金があるかないかなんて関係ないのです、椅子に座るのには。優しい木のぬくもりを愛おしく感じました。 「それはつまり、こういうことかな?」 私が席に着いたのと同時に夫は立ち上がり、またスイッチをオンにしました。  ひと時の暗闇は、幻のようでした。 月の光はシーリングライトと混ざり合い、どこかに消えてしまったかのようです。 眼をかばっていても、夫がまたもとの席につく音が聞こえました。 「じゃあ僕が電気をつけてあげる。服だっていくらでも買ってあげる。お風呂も沸かして無理やりにでも入れるし、ご飯も食べさせるよ。嫌いなブロッコリーも食べてもらうから。それから、椅子もソファも自由に使わせてあげる。コンタクト代や携帯代なら払ってあげるし腕時計は……そうだな、ブランド物でお揃いにでもする?」  夫は自分の使い古した時計を叩いて私に見せました。 私は彼と数秒の間、見つめ合いました。プロポーズしてきてくれた時のことを思い出して、その時と変わらない柔らかい表情をずっと眺めていたいと思ったのです。 「結婚しようか」
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