母親の居ない生活

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母親の居ない生活

「入院」と聞いても僕は何とも思わなかった むしろ家事が減って、部屋のスペースが増えて丁度良いとさえ思っていた 入院予定の病院は特に症状が酷い人の最終入院先で、その地域では時々脱走騒ぎや徘徊が問題にもなっているらしい まぁ、僕としてはどうであれ日々の生活が出来れば、としか思っていないので無関心だったけどw 入院後は基本的に僕らのみで暮らして、生活費も通帳に保護費が入るのでそこから都度都度下ろす感じで、今までと何ら代わり無いので問題もない と言う流れであっさり入院へ話は進み、母親は家から居なくなった ・・・なんか、施設の時に恋い焦がれていた「家族」ってなんだったんだろうな~ ともあれ、母親は居なくなったので早速家の模様替え! 今までは妹達が2LDKの1部屋を使っていて、居間が1部屋で母親が使い、残ったのはキッチンと玄関部分だけ そこで僕は玄関横の1畳半の板張りに、テレビやゲーム、本棚を詰め込んでどうにか過ごしていたな~ 今回居間が空いたのでゲーム機と、寝る時の布団のみ移動して快適に暮らせる様にした 妹達は1部屋で良いらしいので変更は無し 実質家の半分は僕が使っている感じになってたな~ そんな快適さもあってか、母親が居ない生活でも何も不満は無かったし、なんなら居ない方が暮らしやすい程だったw ちなみにこんな生活でも勉強はやっていて、中学2年の途中までの席次は上から10番台をキープしていたな~ (まぁ、1学年100名も居ないけどね~) あの頃は勉強、部活と充実していて中々楽しい時期だったと思う また小遣いも年齢で少し増やしたり、期末試験の成績とか家事負担に応じて増額したりと、金銭面での充実も快適な要因だったかな~ 小学生の3000円は大きく変わらないけど、兄妹間で家事の代行とかやって賃金出したりもしてたっけw 今思うとホントに家族らしくないよな~ どちらかと言うと同居している業者みたいなw ともあれ、僕らは母親が居なくとも学業は問題なく家庭環境も問題なかったし、これからもこの生活が続く物と思っていた だけどもそうはいかなかった ある週末に祖父母宅に食事に呼ばれたので行ってみると、何時もの様に色々勧められたので食べていると、祖母が話を切り出してきた 来週から祖父母宅で暮らしなさい、と 何故そうなったかは、はっきりと覚えていない ただトントン拍子に話が進み、次の週から祖父母宅で住んでいた記憶はある 祖父は単身離れた所で働いているので、2DKに祖母合わせて4人で暮らしている状況 狭かった記憶があるかな~ しかもゲームもあまり自由に出来なかったし、寝るのも6畳一部屋で3人で寝ていたし・・・ まぁ、今思えば児童福祉的にアウトだから祖母と暮らしている実績、と言う感じでの急な同居だったかもな~ そんな感じで祖母との同居生活が始まった
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