生活保護と新生活

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生活保護と新生活

新しい家にも慣れ、僕は中学生になった まぁ、生活自体は特に変わらず子供のみでの生活で、週1くらいで祖父母の家に食事に行くのがちょっとした変化かな? あとは母親が四六時中家に居るくらいか 生活保護になり、仕事をしないからギャンブルに入り浸るかと思っていたけど、そうはならなかった それよりは精神疾患の面が多く見えた 母親は一日の大半を居間に座って、ボーッとして過ごしていた TVを見ている訳でもない、食事をしているかも分からない いつ寝ているかも分からないし、風呂も毎日は入っていない様だった ただ記憶に残っているのは、朝学校に行ってから帰って来て食事をした後、別の部屋でゲームしていて寝る前にチラッと居間を見ると、朝出た時と同じ状態で電気も点けずにボーッとしている姿だった 僕らは基本、食事は全員分用意するけど別々に取るし、互いの生活にとやかく言わないスタイルを取っていた 端から見ると、「家族」と言うよりは「同居人」ってな感じなんだろうな~ だからか、最低限の家事はするけど一々「介護」まではやらなかった 何故なら「同居人」なのに、家事以外で面倒を見ないといけないのか? そう言う家族だった まぁ、そもそも子供がそこまで気を使えるか?と言うのも祖父母は分かっていたんだろう だから僕らが母親の「下の世話」をした記憶が無いのは、祖父母が定期的に世話して面倒を見ていたからかも知れないな~ それか僕から見えない所では「普通」だったのかもなw その話はまた別で! と、まぁそんな感じで奇妙な「家族」ではあったけど、皆生きてはいけていた 週1の食事でも、祖父母はあまり母親の治療の進捗とかは話題にしなかったから、どうなっているのかは分からなかったし、ぶっちゃけ興味も無かった 僕は僕で新しい学生生活に忙しいし、部活動も始めたから余計に気にする余裕は無かった 新しい友達も出来たし、新しい関係も出来て凄く忙しかった しかも生活保護と言う、世間では殆ど見ない家庭の中学生だ まぁ、その頃は偏見とかは少ない時代だったし、僕自身もあっけらかんと話す上に施設の話もしていたので、目に見える様な「避ける」と言う扱いは無かったかな~ ・・・給食費の滞納の時の気まずさは変わらずだったがw そんな訳で、新しい生活が始まったけど時代もあってか、変化による支障もあまり無く移行できていた ただ裏で祖父母は何かしら考えている様だったけど、今思えば「あの人」達が動いていたんだろうな~ 取り敢えず、僕はそれなりに楽しく「新生活」を送っていた これからまた苦難が待っているとは知らずに・・・
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