託す

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「我が軍は窮地に追い込まれしも、兵力は未だ顕在にして、士気も旺盛なり。ただ退くことは日本軍人として忍びなし。ここに今夜、敵軍に対し全軍突撃を敢行し、一矢たりとも報いる覚悟である。しかるに兵たちの生への未練を思い遣るに、その玉砕を実行するは難し。よって我、ある人物に、全員の思いを託すことを決断す。木下。お前は訓練兵の頃から最後まで情けないやつだった。しかしそれを鑑みるに、お前の軟弱に、弱虫に逃げ回る様は、生き残る能力が最もあると判断した。ここに死なねばならぬ我々の未練を、お前に託す。明朝到着する最後の救助船に、何としてもたどり着くこと。司令、室谷」  鞄の中身はほとんどが手紙だった。指令書に続いて転がり出てきた手紙の一枚を、木下は手に取った。 「木下、俺は正直死にたくない。作戦内容が知らされたとき、俺はその役割を自分が名乗り出ようかと思ったくらいだ。俺はお前より強健で、生き延びる確率も高いと思ったからだ。しかし今、これほど自分の強健さを呪ったことはない。お前が羨ましい。願わくば、生きて船にたどり着き、千絵(ちえ)にこの手紙を届けてほしい。最弱の兵隊へ。岩田」  読み終えると木下は脱力して手を落とした。茫然と海の方を見遣る。救助船が汽笛を鳴らした。
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