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 僕は小さい頃は父が好きだった。多くの少年がそうであるように父を尊敬していたし、遺伝により父同様絵の上手な僕は、父の描く絵に倣って描く等、父のすることをよく真似していた。が、反発することもあった。僕が中日ファンになり始めの頃、試合中に逆転され、リードを奪われた中日を悔しくて泣いてしまう位、向きになって応援していると、「野球選手はお前の為にやってるんじゃなくて自分の為にやってるんだから泣く程、向きになって応援したって何にもならんぞ!」と父が言ったことに対し、「そんな事ない。ファンの為にやってるんだ!」と僕は反論したのだ。が、歳を重ねる内に分別が付いて来ると、この時の会話に於ける父の言葉が核心を突いていて自分の言葉が間違っていたと気づくに至り、爾来、父の唯一核心を突いた言葉として僕の心に刻まれる事となった。それは兎も角、僕は当然と言えば当然だが、小さい頃は父と上手くやっていたのだが、中学生になった頃から両者の間に齟齬が生じ、父とまるっきり噛み合わなくなってまともに会話が出来なくなってしまった。反抗期だったからという生易しいものではなく、僕が純文学を通して俗物というものを意識し出したのが要因だった。俗物とは純文学で語られる風刺の対象となる軽蔑すべき人間たちの事で、つまり僕は父にも俗物性を見出した訳だ。そして幻滅して行き、父と全く心を通わすことが出来なくなるに至った。
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