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小学4年の11月の下旬だから二学期の途中だった。こんな中途半端な時期に僕は父の思うが儘に故郷である古知野から東へ15キロ程、離れた楽田という田舎の中のと或る集落の中のと或る竹藪に囲まれた陰気臭い雰囲気の漂う弾丸黒子の地に不調和に建つ妙にバタ臭い小さな白い家に引っ越す破目になってしまったのである。
転校初日、偶然にも古知野を覆い尽くしていた雷雲が楽田に流れ込んだものか、文字通り暗雲が漂う晩秋の空の下、右を見ても左を見ても古知野には全く無かった田んぼの景色が広がる田舎の細い農道を僕と弟は母に連れられる中、この先、兄弟の運命がどれだけ暗転して行くかも露知らず、期待と不安を抱きながらという有り触れた表現は、まだ幼くて僕の様な頑強な古知野への愛着心が無く、それ程、考え込む質でない弟には当て嵌まっていたが、僕は不安一辺倒と言っても言い足りない底知れぬ不安と言うか、余りの境遇の急激な変化に閉口し切って抵抗感ばかりが有って期待を抱く余裕なぞ微塵も無い意気消沈した体で楽田小学校へ向けて、のろのろと歩を進めていた。その道すがら母は付いて来る息子を振り向いて見ては、「可哀想だ。可哀想だ」と何度も呟いて嘆いていた。
僕はこの事から母は引っ越しに反対だったに違いないとずっと思っていたので引っ越しに関して母には不問に付していたのだが、三十二歳で正月を迎え親元へ行った際、父が風呂に入っている間、母と二人切りで話す事になって母に、「慶喜は何で派遣社員なんかやってるの?」と持ち掛けられたので、「僕はおとうの所為でこうなったんだ。おかあは引っ越しに反対だったんだろ。どうにか出来んかったんか?」と聞いてみたら、「お母さんも早く家が欲しかったから引っ越しに賛成だったのよ」と言われ、「えー、ほんとに?」と聞いても、「ええ」と言うので、あん時、可哀想だ、可哀想だって言ってたのに、あれは一体、何だったんだ?と不思議になった途端に、がっくり来て、という事は当時の息子の様子を見て初めて息子が可哀想だと気づいたのだろうか?と不審に思ったものの、いや、幾ら、先見の明を持たぬ、おかあでもそんな訳は無い。とすれば何で楽田に引っ越したら息子が可哀想だと思っていたのに賛成したのだろう?と疑問を深めた末、それは息子の事を第一に考えられず、早くマイホームを得て快適な暮らしがしたいという私情を優先したからだと結論付けた。
父は、「お前達がこれから大きくなると、あのアパートでは狭くなるから、お前達の事も考えて、この家を拵え、ここに引っ越したんだ」と引っ越した当時、僕と弟にその理由を説明していたが、あのアパートでは狭くなるからと言って何も古知野南小学校学区外の楽田に息子に内緒で急いで小さい家を建て、あんな中途半端な時期に息子を転校させる事態を招いてしまう引っ越しの計画を立て行動しなくても同じマイホームを建てるにせよ、息子の境遇の急激な変化に順応し辛い極度に内向的な性格を考慮し斟酌して息子が古知野南小学校へ通い続けられるようにしてやる為にも息子が人間形成で最も大事な時期に当たる中学高校時代も古知野の学校に通えるようにしてやる為にも古知野南小学校学区内にある広いアパートを探し出して取り敢えず其処に移り住み、息子が健やかに育った儘、高校を卒業したのを見届けてから、それまでに貯めたお金で大きいマイホームを建てるという息子の事を第一に考えた、道理に適った長期的な綿密な計画を立て行動していたのなら父は僕を不幸な立場に追いやる事は無かった。
母同様、父にしても早くマイホームを得たいという私情を優先したからこそ、もっと言えば、父がイニシアティブを取って早くマイホームを得たいと私利私欲に走ったからこそ、僕を不幸な立場に追いやったのである。前述の僕と弟に説明した引っ越しの理由にしても息子を言いくるめる為の口実に過ぎなかったのである。実際には父は単純に早くマイホームを得たい、早くマイホームを構えて一端の男と認めてもらいたいと望む所へ持って来て楽田なら地価が安くて、それが可能だから楽田に家を建てる事に決め、そこに引っ越す事になったというだけの話で事実上、息子の事なぞ何も考えていなかったと言い切っても良い位なのである。本当に息子の事を考えていたのであれば、前述の理想的な計画を立て行動したに違いないのである。
本人は何々主義という自覚が無いにしても父は俗物が抱える慢性的な病とも言うべき物質主義且つ集団主義に侵されているから息子の事を第一に考えた計画を立てられず、早計と言う他はない計画を立て無謀な軽挙妄動に委細構わず踏み切ってしまったのである。つまり父は物質主義且つ集団主義故、精神主義且つ個人主義と違って息子を人格を持った人間としてではなく人格を持たない所有物として扱う傾向にあり、息子の中身を蔑ろにし勝ちになり、深く知ろうとしないので僕の境遇の急激な変化に順応し辛い極度に内向的な性格を看破出来なかった、但、父は僕が内向的な性格である事位は承知していたのだが、その所為でそんなに交友関係が有る筈が無いと僕を見縊ってしまい、当然、それでは僕が交友関係豊富に順風満帆に古知野で過ごせた事由を知る事が出来なかったし、無論、僕が古知野に強い郷土愛を持っている内情も知る事が出来なかったから僕が異郷の地に甚だ馴染み辛い人間である事を把握出来ず考慮し斟酌するに至らなかった、糅てて加えて物質主義故、物質的な豊かさが幸福を齎すと考え、集団主義故、自分について自分の評価より世間の評価に重きを置き、世間から一端の人間と認めて貰う事を強く望む為、鹿を逐う者は山を見ずで只もう単純に早くマイホームを得たい一心になって自分の夢に向かって驀進したのである。
但、そんな父でも僕が内向的な性格だけに新しい環境に馴染めるかどうかと心配する気持ちは勿論、有るには有ったのだが、内向的な性格でも本人が努力さえすれば、大丈夫、転校した位で人間は変わるものではないと楽観視する御目出度い考えと、第一、そんなことは俺の知ったことじゃないとうっちゃる無責任な思いを優先する頭しか、悲しい哉、持ち合わせていなかったのである。
と言うのも前述の通り、そんなに交友関係が有る筈が無いと僕を見縊っていた父は、仮に僕の豊富な交友関係が有った古知野南小学校での学校生活を「ハイレベルな学校生活」と形容すると「ローレベルな学校生活」と捉えていた事になるので元々ローレベルだから転校しても学校生活のレベルはそんなに変わるものではないと目星を付けていた訳である。
以上の所以から僕が転校すれば、どれだけ失敗する人間になってしまうであろうかとも、逆に僕が古知野に居続ければ、どれだけ成功する人間になれるであろうかとも全く想像が付かなかった父は、それでなくても日本国憲法が基本的人権の尊重を理念とし、第十三条で全て国民は個人として尊重されると謳い、相互に尊重し合い助け合い自由を与え合わなければいけないとする欧米の本来の個人主義を暗に諭しているにも拘わらず、どういう訳だか、欧米の悪い所ばかり吸収する癖にそういう欧米の思想の第一義に限って吸収出来ず、個人主義を利己主義と勘違いして受け止め、相変わらず集団主義でありながら集団の利益を求めず個人の利益を求め、冥々の裡に利己主義に陥っている典型的な現代的な日本人で、息子の人格を尊重出来ず、息子を一端の人間に育て上げる為の目的としてではなく自分を一端の人間に見せる為の手段として扱う日本人に有り勝ちな親なので、息子の事を第一に考えられず、早くマイフォームを得て快適な暮らしを掴み、一端の人間と世間に認めて貰おうと私利私欲に走ってしまったのは、必然の成り行きであり当然の帰結であった。
この低能なるが故に頭の中がエゴイズムで支配されてしまった見栄坊の父の断行した引っ越しの所為で僕は言うまでも無く土地っ子から全くの余所者になってしまい、無情にも生まれ育ち馴れ親しんだ土地とそこで得た多くの友人を一気に失う破目になってしまったのである。そして内向的な、あまりに内向的な、特異な性格を余す所なく露呈する運命になってしまったのである。
まあ、こう書くと、僕が全くの不幸な人生を歩んで来たと思われそうだが、僕とて沈む瀬あれば浮かぶ瀬ありで良い時期もあったし、大半の転校の経験がない読者には分かってもらえず運命の所為にするなと批判されそうだが、僕が父の所為で不遇になり、また、そのお陰で俗物の心に潜在する悪魔を早く見れたのも紛れもない事実である。だから文豪のように元々秀才じゃなくても、こうして俗物の本性を見抜いて批判する小説が書ける身の上になれたのである。
こう思う僕を父は草葉の陰でどう見守っているのだろう・・・
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