蛇姫ー雨月物語ー

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 どこまでも薄暗く厚い雲に覆われた空からついに大粒の雨が、我慢しきれなくなった誰かが泣いているように地面を強く打ちつける。  家まで持ちこたえるかと思ったが、思ったより早く降られてしまい、慌てて近くにあった古びた家に入る。師の家から傘は借りていたものの、雨脚が強く、休んだ方が無難だと考えたためだ。   幸いその家は、豊雄(とよお)の父親である竹助(たけすけ)が雇う漁師の一人が住む家だった。  紀の国に住む竹助は漁業を生業としており、たくさんの漁師を雇っていた。豊雄の兄である長男の太郎は稼業を手伝う働き者、姉はすでに大和の方へ嫁いでいた。  豊雄はというと、見目麗しい外見以外は何の取り柄もなく、稼業に興味があるわけでもなく、ふらふらと好きなことをして暮らしていた。新宮の神奴(かんづこ)である安倍の弓麿(ゆみまろ)に師事して通っており、その帰り道の出来事だった。 「これはこれは豊雄様ではございませぬか」 「雨に降られたので、弱まるまでしばらく休ませてはもらえぬか」 「このようなおんぼろ小屋でよろしければ、いくらでもお休み下さいまし」  傘をたたんで軒下の縁側に座り空を見上げていると、雨の降りしきる中にぼーっと二人の影が浮かび上がる。よく見ると二十歳くらいの女性と、十三、四歳ほどのかわいらしい(わらわ)が、小さな包みを雨から守るように抱きかかえて必死に走っていた。  二人はすでにぐっしょりと濡れていたので、不憫に思った豊雄は迷わず声をかける。 「早くこちらにいらっしゃい。私の横でもよろしければ雨宿りをしてから行かれるがよろしいでしょう」  二人はパタパタと駆け込んできて、着物についた雨を振り払いながらお礼を言う。 「ありがとうございます。あなた様が先にいらっしゃいましたのに、お邪魔をしてしまい申し訳ございません」  女性は、遠山摺(とおやまず)りの品のある色の着物を身につけていたが、それより何より肌の色が透き通るように白く、桃色に染まった頬が艷やかで美しかった。濡れた髪の毛がほんの少しうなじにはりつき、つたうように水が滴っている。胸元から手拭いを取り出し、首を拭う仕草が柔らかくて目が離せない。 「……気にすることはありません。雨が止むまでこちらでお休み下さい。しかしあなたのような高貴な方が、私のような男とこんな場所で長居はお辛いでしょう。雨脚が弱まったならば、この傘を使ってお帰り下さい。できれば送って差し上げたいくらいですが、知らぬ男と一緒なのも気が引けるでしょうから」  女性は恥ずかしそうに豊雄を見上げると、桃色からもっと赤く頬を染めた。 「ご親切にありがとうございます。日も暮れそうですし、お言葉に甘えさせていただき、小雨になったら傘をお借りして帰ることにします」  しばらくして雨脚が弱まると、女性と童の二人は豊雄の傘を差して家を出ていった。帰り際に何度も何度も頭を深く下げてお礼を言う。 「本当にありがとうございました。傘をお返ししたいので、新宮にいらしたときは、楝姫(れんひめ)の家、とこの辺りの集落に住むものにお尋ね下さいませ。さすれば、誰もが知っている屋敷なので教えてもらえることでしょう。必ずお訪ね下さいませ。心からお待ち申し上げております」
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