蛇姫ー雨月物語ー

2/6
3人が本棚に入れています
本棚に追加
/6ページ
 あの日以来、寝ても覚めても楝姫のことを考え、何事も手につかなくなった豊雄は、傘を返してもらう口実で彼女の屋敷を訪ねることにした。  神宮のとある集落に住むものに、楝姫の屋敷を知らないかと訪ねて歩くが、誰に聞いても知らない、という答えしか返ってこない。おかしいと思った豊雄は、しばらく探し回るとちょうど楝姫の付き人をしていた童と出くわした。 「豊雄様!楝姫様がずっとお待ちです。傘をお返しいたしますので、どうかお屋敷へおこし下さいませ」  童についていくと、大きな門構えの広々とした屋敷があった。  なぜこのような大きな屋敷を誰も知らないのか疑問さえ浮かぶ。座敷に案内されると楝姫が待ち構えていた。 「豊雄様、わざわざこちらまで足をお運びいただきまして誠にありがとうございます。大変うれしく思います」  楝姫は恭しく頭を下げた。  童から傘を受け取った豊雄も頭を下げ、本当は名残惜しいのを隠しながらもすぐにその場を立ち去ろうとする。 「ではこれにて失礼いたします」 「いえいえ、お待ち下さいませ。このままお帰しすることなどどうしてできましょうか。あれほどお世話になったのですから、どうかおもてなしをさせて下さいませ」  楝姫がそう引き止めると、帰らないよう童がさっと豊雄の袖を掴み、食事の並べられた部屋まで案内する。 「では、お言葉に甘えまして」  豊雄も、楝姫のような美しい女性と少しでも長くいられることがうれしくてたまらない。  お酌をしながら楝姫は語り始めた。酒を召したわけでもないのに、楝姫の頬はすでに桜色に染まっているようにも見える。 「つまらぬ話ではございますが、今日は私の身の上をお話しさせていただきたく思います。以前は都におりましたが、夫が受領(ずりょう)の家来としてこちらに赴任してから、急病でこの春に他界いたしました。私の両親も早くに亡くなり、頼るものもありません。あなた様にお会いしたのも強い縁を感じます。どうか私めと契りを結んではいただけないでしょうか。こんな突拍子もないことを言い出した私です。お気に召さなければどうぞ裏の暗い海に放り投げて下さいまし」  この時代、女性から求婚をすることなどないことではあったが、天にも昇る気持ちで、夢のような話が天から降ってきたものだと豊雄は大喜びし、そのまま話を鵜呑みにする。  しかし、すぐに承諾はできない。 「私は鯨のいるような田舎の漁師の息子にございます。財産もありません。結納の品もお金も準備ができないので、どうか先に家族に相談させて下さい」 「承知いたしました。しかし、その身一つでかまいません。私は他に何も欲してなどおりませんので」 「いえいえ、そうはいきませぬ。どうかもう少しお待ち下さい」 「わかりました。では、今宵はどうぞこちらにお泊まり下さい」 「いやいや、何をおっしゃいますか。家族が心配いたします。……明日こっそりとまたこちらに参ります」  少しでも長く楝姫と一緒にいたい豊雄は、ちらっと彼女を見るとさらに肌の白さが増しているように見えた。 「ほほほ、それでは明日も楽しみにお待ち申し上げております。どうかこれをお持ちになって下さい。夫の遺品ですが、必ずやあなた様の力になることでしょう」  楝姫は金や銀で装飾された美しい太刀を豊雄に手渡した。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!