魔法少女ピンクブロッサムの付き人

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 今日の私は珍しく一人で帰宅している。  それを孤独で寂しいと評す人もいるが、一人は良いものだ。  興味のない話題を無理に続けることも、沈黙を気まずいと思うことも、小柄な友人に歩幅を合わせてちんたら歩く必要もない。  視線を上げれば、桜並木の歩道はすっかり葉桜。いつの間にか桜の花の季節も終わっていたらしい。誰かの顔を覗き込みながらではこんなことには気づけない。  このまま今日はさっさと帰って、録画した映画でも見るかゲームでもするか漫画でも読むか、とにかく中学に入ってから全くできていなかった怠惰に勤しむとしよう。  なんて楽しい放課後に思いを馳せていると、 「なんだか楽しそうだね」  足元から声がして、私はぴたりと歩みを止める。  例の白猫が、私をもの言いたげな瞳で見上げていた。 「文句でも?」  どうせ、あいつのことだ。この白猫はそれしか言わない。 「さくらはどうしたの?」 「委員会があるから遅くなるってさ」  私はそれだけ答えてすたすたと歩き去る。  今までさくらとは一緒に帰っていたが、それは単に同じ小学校からこの中学に進学している人間が他におらず、つまりは誰も知り合いがいなかったため、仕方がなかったのだ。  別に特別に仲が良かったわけでもなんでもない。だから、こうして一人で帰ることはしごく自然なことなのだ。  あいつのせいで部活にも入り損ね、ロクに友達もいないし。 「なんで待たないのさ」  しかし、白猫は粘っこく私を追いかける。 「私は委員会入ってないし」 「理由になってないよ」  私は再び足を止め、白猫を振り返った。 「ただのクラスメイトを待たないことに、理由なんている?」 「いるよ」  白猫は素早く私に近寄り、まだ真新しい革靴に右前足をちょんと掛けた。 「君は魔法少女ピンクブロッサムの付き人だから」  またこれだ。  私はあえてツンと前に向き直った。無視したのだ。  ことの始まりは、今から三週間前の帰り道のこと、それは入学式の次の日、仕方なくさくらと二人で下校した昼下がりのことだった。  会話はない。  というのも、お互いにまだ他に知り合いがいないから一緒にいるだけで、私たちはもともと仲が良いわけではないのだ。好きなものはオシャレ、大人しいながらも女の子らしいものが大好きなさくらと、趣味は読書で背ばかり高いインドアオタク体質な私では話も合わない。今日一日あったことを並べれば、あっという間に話題は尽きた。  そんなわけでなんだか気まずい空気の中、桜並木の道を歩く私たちの前に、通りの角から突然あの白猫が現れた。 あ、猫だ。赤い首輪もついてるし、どっかの飼い猫かな。 そのときは単にそう思っただけだった。あの声を聞くまでは。  「助けて!」  どこかから助けを求める声が聞こえた気がする。しかし、この通りには今私とさくらしかいない。いやいや、まさか、猫が、そんなこと。 「ねえ、今さ」 「やっぱり気のせいじゃないよね?」 しかし、それに驚いている暇はない。  白猫に続いて、今度はスーツの男の人が現れた。  だが、あの男なんだか変だ。 ジャケットから除く手が短すぎる。わずかに見える指先もこの季節に手袋でもしているのか紫色に見える。 いや、あれは手や指ではない。 「触手?」  と、さくらが呟いた瞬間、男の触手が私たちの方へ伸びて、目の前の道路を強く叩いた。舗装が砕け、アスファルトが飛び散る。  攻撃し損ねたのではない。  これは威嚇だ。  なぜだか理解することができた。生まれて初めて真正面から受けた殺意だった。  怖い。ただその感情しか浮かばず、私は動けなくなってしまった。 「これを使って!」  白猫は器用に首輪抜けをし、私たちの方へ放り投げた。  いやいやこんなものでと思った私を置いて、さくらはそれに飛びついた。  そして、驚くべきことが起こった。  さくらの体はオーロラのようなピンク色の光に包まれて見えなくなり、再び姿を現したときには、片手にステッキ、ふわふわスカートというアニメキャラクターのような格好をしていた。  この間、わずか3秒である。  さくらも私も呆気に取られていたが、白猫は意に介さない。 「いけ! ピンクブロッサム! ステッキを振るんだ!」  そんなことを言われてもさくらは戸惑うばかりだ。わけのわからない状況に置かれた恐怖だってあるだろう。私はそれを一歩も動けないまま見ていることしかできなかった。 「ピンクブロッサム?」 「ステッキを振って! さくら!」  なぜ、この白猫はさくらの名を知っているのだろう。  しかし、名前を呼びかけられた瞬間、さくらはもうやるしかないと覚悟を決めたようで、あの怪物と対峙し、思いっきりステッキを振った。 「フラワーサンシャイン!」  さくらの口から謎の言葉が飛び出た。呪文か、それは。後で聞いてみたところ、勝手に口が動いたようで、さくらの意志で発した言葉ではないらしい。  そんなバカみたいな呪文とともにステッキから放たれた赤いビームだが、威力は満点のようで、それを受けた怪物は抵抗する間も無くあっさりと霧散してしまった。  なにこれ。  後には喋る白猫と、妙な格好をしたさくら、そして呆然と立ち尽くす間抜けな私しかいない。 「ありがとう! 二人とも!」  白猫はこちらを振り返り、 「あれは元々この世界の生き物じゃないんだ。けれど、何かのはずみで時空の裂け目が開いてこちらへ来てしまってね。僕はそれを追いかけるトレーサー。本当はもっとかっこいい姿なんだけど、この世界じゃこんな可愛い格好になっちゃうんだ。この姿、見た目はいいんだけど、戦闘力はイマイチ。見たところ、君たちにはすごく適性があるから僕のパートナー、つまり魔法少女になってくれないかな」  などと滔々と語った。  何を言っているのかさっぱりだが、今目の前で起こったことについてこれ以上の説明をできる気がしない。  正直、聞きたいことは山ほどある。けれども、一度にいろいろなことが起こりすぎて付いていけない。そもそもこいつが人語を解することもおかしいのだ。  どう思う? と視線だけでさくらに問うと、なんとさくらは瞳をキラキラと輝かせていた。 「やろうよ! 里香ちゃん! 困ってるみたいだし」  マジ? 何とかハイってやつ? 「ありがとう! じゃあそっちの君は魔法少女ピンクブロッサムの付き人をお願いするね」  そんなわけで私はこの白猫とさくらに付き合って、部活にも入らず放課後毎日パトロールと退治に勤しんでいるのだ。  今日の私はサボりだが。 「いらないでしょ、付き人なんて」  冷静に考えてみれば、付き人ってなんだという話だ。 「必要だよ」  白猫はなおも執拗に追いかけてくる。 「助ける相手がいれば強くなる、みたいな理屈?」 「そんなんじゃないよ」 「じゃあ何なの。大体さくらを選んだのも、特別な理由が…」  最後まで言い切れなかった。  学校の方から、何かが破裂するような爆発するような音がし、かき消された。 「何、今の」  私のつぶやきに、白猫が答える。 「怪物だよ。たぶん君たちの学校に現れた」  白猫は私を見上げ、 「行こう、里香」 「なんでよ。さくらがいるんだし、平気でしょ」  いつもの怪物退治だって私は特に何もしない。ただ横でぼんやりと突っ立っているだけだ。  今回だってきっとそうに違いない  いつだって私は選ばれなかった方の人間だが、付き人という言葉で格下に貶められ、目の前で活躍を見せつけられ続けるのに慣れているわけではないのだ。  我慢の限界だった。 「もういやなんだよ。内気だけどいつも周りに人がいるさくらと、ただ陰気なだけの私の差を思い知らされるのは」  この気持ちの名前を私は知っている。屈辱だ。 「そんなのダメだよ」  だが、異界からやってきたという白猫は、そんな繊細な私の心理をまるで考慮してくれない。 「今更無理だなんて言わせないよ」  周囲がぴかっと光った。そして次いで爆発音。今度のは先ほどよりも大きい。  いつもは楽勝に勝てるはずなのに、珍しくさくらは、ピンクブロッサムは苦戦しているらしい。  畳かけるように白猫は言う。 「ほら、君がいないから、さくらは苦しんでいる」 「どうして…」 「だってさくらはただのガワだもん。あの子は魔法少女なんかじゃない」  でも、あんな風に変身して、ビームだって放っていたじゃないか。 「さくらはね、媒介にすぎないの。近くに魔力の源がないとただの変な服着た女の子。本当の魔法少女はね、君なんだよ」  白猫の青い右目と金の左目が私を見つめる。  じゃあ、もし、怪物と対峙したとき、近くに私がいなかったらさくらは死んでしまうの? 「そうだよ」  心を読んだかのような発言に私はビクリとする。 「思考くらい読めるさ。だって僕は世界の存在じゃないし、常識だって通用しなくて当然でしょ」  ああ、だから初めからさくらの名前も分かったのか。足元が、踏みしめている地面がなんだか心もとなく感じられている。  世界がひっくり返るような感覚だ。 「一番知りたいことを教えてあげる。どうして君だったのか」  だめだ、目をそらせない。なぜ私であり、私ではなかったのか。だってそれは確かに私がいつでも知りたかったことだから。  本当は早く学校に戻らなければいけないのに。 「さくらは選ばれる側であることも分かっている人間なんだ。ああ見えて自分が可愛いこともちゃんと分かっているからガワ向きな性格だし、自分が魔法少女で友人が付き人であることを何の疑いもせず受け入れるタイプ。だから、素直に他者を助けられたりもするんだけど、ちょっと傲慢だよね」  また爆発音がした。さくらは大丈夫なのだろうか。 「対して君は、常に選ばれない側であることを自覚しつつも、それを受け入れきれないめんどくさいタイプなんだ。人は誰しもそういうことがあるけれど、隣にさくらがいると君のその感情は大きくなる。そういう負の感情のパワーってすさまじくて、だから君には強大な魔力があるんだ」  ああ、もうこんな猫の言っていることなんて、 「もういいよ!」  さくらのことは好きじゃない。別に大切な友達でもなんでもない。でも、彼女が死んでしまうのは寝覚めが悪い。そんなの嫌だ。  私は今まで来た道を引き返して走り出す。  インドア派の私が走ったらどれくらいかかるだろう。  それでも走らなければならない気がした。 「さくらのまっすぐに人を助けられる正義感も、里香の誰かを省みれる罪悪感も、魔法少女にはどちらも必要な要素なんだよ」  白猫の言葉を私は背中で受ける。早く行かなきゃ。  だってさくらには私が必要だから。
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