かわいそうなのは

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かわいそうなのは

「ユウさん、暇だから推理勝負しましょうよ」  レジ周りを掃除していた俺に佐藤が言った。 「急になんだ。それよりF卓の拭きあげは終わったのか」  佐藤は小犬のような笑顔でピカピカですと頷いて「B卓に注文とか取りにいきましたか」と追加で訊く。 「B卓には行っていないな。なにかあるのか?」  言いながら俺はB卓のほうを見る。  気にも留めていなかったがどうやら三人のお客様が座っているようだった。  大きな窓から外の緑が見える人気の席で、いまも午後の日差しがテーブルを包んでいた。  レンガ調の落ち着いた店内はそのB卓を除けばずっとお喋りに興じている主婦の二人組しかおらず、地域で人気のイタリアンカフェと言っても平日の昼過ぎではこんなものかもしれない。  佐藤のいう通り店は暇だった。 「ということはじゃあ知らないんですね」 「なにをだ?」 「うわあ、やっぱり。損していますよ。店員人生の汚点ですよ。店長候補から外れましたよいまこの瞬間に」 「店長なんて目指した憶えはない」  俺の右胸につけているネームプレートには青色の横ラインがひいてあって、その青線はパートタイマーを意味している。  佐藤の胸にも同じラインが引いてあった。 「向上心のない男なんてモテないですよ?」  大学生の佐藤は女にモテるかそうでないかが人としての分水嶺のようだ。長身で顔もそこそこの佐藤は人気がありそうではあるが。 「もう結婚しているからいいんだよ。それに俺は残業ができないからな。店長にはどのみちなれない」 「あー……。保育園の送り迎えでしたっけ。お父さんは大変ですね」 「俺も忙しいがうちの場合は『お母さん』のほうがよっぽど忙しい」 「キャリアウーマンなんでしたっけ?」 「スーパーハイパーウルトラキャリアウーマンだよあれは。きっと仕事に専念するために俺と結婚したんだな」 「まさか」佐藤はさも楽しそうに笑った。 「それであのB卓がどうしたんだ」 「あ、そうでした」  忘れていたのかよ。 「推理勝負しませんか? 暇すぎて死にそうなんですよ」 「わかるように説明してくれ。B卓で殺人事件でも起きたのか?」 「B卓の様子がちょっとおかしいんです」 「推理勝負に興じるカフェ店員もおかしいけどな」 「よく見てくださいよ。ほらなにか変じゃありませんか」  言われて俺はもう一度B卓の方を見る。  ブラックスーツの男性と白いロングスカートの女性。  この二人は二十代後半だろうか。並んで座っている。  その向かい側に、五十代くらいの太った男性。  若い二人に比べるとポロシャツにジーンズの中年男性は浮いているが別におかしいというほどではない。  だがよく見ると若い男性が額に汗をかいていて、中年の男性のほうはというとシワを顔に深く刻み厳しい表情で腕を組んでいる。  そして表情が曇っているのは女性も同じだった。  佐藤はこの暗い空気感はなぜかということを推理しようと言っているのだろう。 「お葬式みたいだな」俺は言った。 「アレ、若い男性が結婚の承諾を得ようとしているんですよ、彼女の父親に。で、反対されているんです。若い二人は会社の同僚らしいんですがね」  こいつ盗み聞きしたな。それが本当ならありそうな話だが。  でもそれじゃあ推理もなにもないじゃないか。  答えはわかっているのだから。 「そりゃ反対されている彼氏がかわいそうだな」 「ですよね。もっと言えばユウさん、その若い男性のほうに見覚えがありませんか?」  俺は三度目のB卓を見る。 「言われてみれば見たことがある気もするが……。よくわからないな。俺も佐藤も三年近くここで働いているわけだし、一度くらい来たことがあるお客様なんだろう」 「そうなんですかね。少なくとも最近来店した記憶はありませんけど。……ほかには何かありませんか?」 「ないな。これ以上なにかわかったって仕方ないだろう。俺が仲裁に入って、まぁまぁお父さんここは俺に免じて、とでも言ってくればいいか?」 「そうじゃないですよ……。あ、そうか。ユウさんは知らないんだ。違うんですよ。僕が推理したいのは彼氏の浮気のほうです」 「浮気? どういうことだ?」 「娘さんがね、バラしちゃったんですよ、お父さんに。彼氏さんの過去の浮気話を。二年前って言っていたかな」 「つまり娘が自分たちの結婚に不利な話をわざわざお父さんにしたってことか?」 「そうなんです。しかもポロっと言っちゃったとかじゃなくて、しっかり説明していました。彼氏の方は顔面蒼白でしたけどね」 「……それは妙だな。そうするメリットがない」 「そうでしょう? きな臭いんですよ」  なるほど。そういうことか。  なぜ娘は自分たちに不利な話をしたか……。  たしかに気になる、が。 「俺らには関係ないだろう。家庭の問題だ」 「それはそうなんですけど。えっとユウさん、何時あがりでしたっけ?」 「……四時だけど」 「僕は三時なんです。あと三十分ちょっとですね」  佐藤が首を傾けて微笑む。  こいつの言うことはいつも回りくどい。 「だからなんだ? 一緒に飯でも行こうってか。さっきも言ったが俺は子供のお迎えをしないと」 「――夕方から夜のシフトは誰だったでしょう?」 「あ」  忘れていた。  今日は店長が休みで、夕方から夜帯の勤務は女子高生とフリーターの気の弱い女性。それから新入社員のこれまた若い女性。 「いいんですかねぇ、ひょっとするとB卓は本当の揉め事に発展するかもしれませんよ?」  ……こいつ、楽しんでいるな。  たしかにそうなれば夜帯のホールスタッフだけでは対処しづらいだろう。  でもしかしだな。 「父親が娘の交際相手に怒っているだけだ。トラブルに発展するとは思えない。それにキッチンには男がいる」 「ま、そうなんですけどね。……せっかく暇なんです。いいでしょう? 僕たちで推理しようじゃないですか。なぜ娘は自分たちに不利な彼氏の浮気をわざわざゲロったのか(・・・・・・)」  佐藤が得意の笑顔で言って、店内に流れるジャズピアノがちょうど一曲を終えた。  壁掛け時計の針を進む音が響く。      ……トラブルに発展する可能性は限りなく低いがそれでも仕事に支障をきたすようだと困るし、俺は子供を迎えに行かなくちゃならない。残業は御免だ。  それになにより。  まあ、こいつの言う通り暇過ぎるしな。 「いいだろう。ただし俺があがるまでだぞ」 「お、さすがユウさん。大丈夫ですって。すぐに謎は解けますから」  その自信はどこから来るんだか。 「佐藤、それとひとつ言っておく」 「早速なにかヒントでも見つけたんですか?」 「――いいか。飲食店の店員がゲロとか言うんじゃないぞ」
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