臆病カレッジ

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 反対方向のかおりちゃんに手を振って歩き出すと、木村くんが突如走り出した。 「弥生、悪い。オレ先帰るわ! 早く帰ってこいって言われてたの、忘れてた! 佐藤も、またなー」  少し進んだ先でそう叫んで、返事も聞かずに再び駆け出す木村くん。  あっというまに、その背中は見えなくなった。 「山本とあれだけ走ってたくせに、元気だな」 「そうだね」  期せずして、二人きりになってしまった。途端、目線があちこちと彷徨う。  何か話をしたいのに、全然言葉が浮かばない。  わたしが、緊張から手提げバッグの持ち手をぎゅっと握り締めていると、隣からいつもの声がした。 「そういや、佐藤も家こっちだったんだ?」 「う、うん。わたしの家、五丁目だよ。中学の近く」 「じゃあ、途中まで一緒だな。おれ、その先の坂上がったとこだから」 「そうなんだ」  さらっと頷いたけれど、心の中は焦っていた。実は知っていたのに、知らないふりをしたのだ。以前、吉田くんの近くに住んでいる子が何気なく言っていて、それをしっかりと覚えていた。だけど、そんなことを言って気味悪がられたらどうしようと思うと、わたしは正直なことを言えなかった。 「中学なったら、学校近くていいな」 「うん」 「じゃあ、佐藤んとこのイチゴができたら、食いに行こうかな」 「え?」 「近いからさ、学校帰りに寄れるじゃん。ダメだった?」 「う、ううん。全然。だめじゃないよ」  嘘みたい……吉田くんから言ってくれるなんて。  気紛れでもいい。委員の当番みたいに、五月までに忘れてしまっているかもしれない。  それに、同じ学校でもクラスが一緒になるとは限らない。  クラスも三倍近くに増えるし、こうして話す機会も減るかもしれない。  それでも、中学に上がっても気軽に会えるかもしれないっていう期待に、胸が膨らむ。 「佐藤、何が好き?」 「え?」 「イチゴの代わり。お返しに、何か用意する」 「え、えっと……」  咄嗟に出てこない。頭の中で、食べ物の名前がぐるぐる回っている。  何だったら、変に思われないかな? イチゴに釣り合う食べ物って、何だろう?  うんうんとわたしが唸っていると、吉田くんから微笑が漏れた。 「にしても、名前にイチゴが入ってるくせに、イチゴは普通って……」 「そ、それはまた、違うと思う……」 「ふーん? で? 思いついた?」 「え、ええと、まだ。待って」 「待たない。早く」 「えっ……い、意地悪……」  困って隣の彼を見上げると、どこか楽しそうな瞳とぶつかった。
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