29人が本棚に入れています
本棚に追加
(己の命もここまでか…)
激しさを増す雨が、少年の命の灯を消そうとした、その時。
馬のいななきが聞こえた。
馬の足が泥を跳ね上げる音が、だんだんと近づいてくる。馬上から誰かが降りてくる気配がする。だが少年は顔を上げる気力すらない。
「どうした、小童。あの寺から逃げてきたのか。
…そう睨むな。安心せい。わしはそなたを殺しはせぬ。
どうした。腹が減っておるのか。さあ、食え」
雨でぼやけた視界に、白飯のにぎりが見えた。
物も言わずに夢中でかぶりつき、咀嚼もせずに呑みこむ。
腹の底が熱くなる。
ああ、生とはこういうものであったか。
生きた心地に涙がこみあげてきた。
「おぬし、名はなんと申す」
おれは顔を上げた。
…明らかに侍だ。
だが敵ではないと判断し、ぽつりと言う。
「…徐之介。だが、この名前は嫌いだ」
5つの時、わずかな金と引き換えに、親に延暦寺に追いやられた。朝から晩まで僧侶どもにこきつかわれ、ちょっとした過ちをねちねちとなじられる日々。そして今、寺が焼き討ちされ、命からがら逃げだした次第。
そう身の上を語ると、その人は一瞬、刀の柄に手をかけた。だが、しばらく逡巡してから首をふり、刀から手を離し、雨の中で微笑んでこう言った。
最初のコメントを投稿しよう!